永遠に近い速度で透過する

宮葉

Chapter 1: Ark

第1話

 目の前に一筋の線があるとする。両端のうち一方が「はじまり」ならば、もう一方は「おわり」と言える。

 「おわり」から「はじまり」へ向けて、円弧アークを描くように線を書き足す。するとそこには半円が出来る。線の端から端へと辿り着き、もう一度始まりへと戻る。そんな奇妙な図形が。

 私達が創ろうとしていたのは、つまりそういうモノだ。始まりと終わりがあって、しかし終わりは始まりへと回帰する。私はそんな半円を見て沢庵みたいだと思った。

 そう、私達は巨額を費やして沢庵を創ろうとしていた。

 などと言ってしまえば色々な人に怒られるだろうけれど、そのくらい突拍子もない事を成し遂げたのだ。永遠ではないけれど、永遠に限りなく近い発明品を私達は獲得した。

 硝子の部屋と苺のショートケーキ。そして数多の物語たち。世界を変える生き物はそこで生まれ、そこで覚醒に至る魂を獲得した。



 毎日が未来であるならば、想像力なんて何の役にも立たない。なぜなら私の日々は停滞しているからだ。

 午前六時、起床。シャワーを浴びたあと、毎朝の義務である心理診断を行う。部屋の入口に置かれたモニタにまず掌を乗せる。脈拍と汗に含まれる成分を解析し、ストレス係数を測定する。

 毎朝こんな事をしなければならない必然的な理由を私は知らない。知らないというよりも、知ることを許されていない。

 私が知るべきことはごく僅か。

 素敵な天使は今日も羽を磨いているのか。

 素敵な明日の為にその身を捧げられるか。

 私はダボついた白衣に袖を通し、左腕にロンググローブを纏わせる。手首のあたりを指で撫で、深呼吸をする。立ち上がり部屋を出た瞬間から、プライベートは失われる。


「おはようございます。今日も一日研究に励みましょう」


 ほら、脳内に無機質な同居人が。話しかけてきたのは体内に埋め込まれている拡張型生体管理デバイス、オービットくん。あるいはオービットちゃん。

 私達は皆、このデバイスの移植を義務付けられている。静寂に包まれたプライベートは絶対に生まれない。 

 居住区画から廊下を渡り、ラボラトリ区画の最奥へと歩いていった。研究機関「エクリプス」、その深淵へと。

 私は数年前からエクリプスに住み込みで働いている。居住区画は私のようにいつでもラボラトリへ駆けつけられるよう、仕事に魂を捧げた者のために与えられた。大事なのは自ら望んでそこで暮らしだしたこと。それ自体になんの不満もない。


 問題は私に託された研究対象について。

 エクリプスにおいて最大最高の発明品、そして誰も管理したがらない謎多き産物。けれど誰もが遠巻きに眺めたがる、動物園のパンダみたいな存在。

 それは時に天使と呼ばれる。そのままの意味で使われているのなら良いのだが、多分名付けた誰かは皮肉のつもりだっただろう。だからあまり気分のいいあだ名じゃない。

 三方を白い壁が覆い、前面がまるごとガラス張りとなっているその空間で天使さんは一日中座り込んでいる。 


「おはよう、アオイ」


 人工物構成体第一号、A01。それをもじってアオイ(AOI)と呼ばれているそれこそが、いま世界中の注目を集める生き物だ。

 見てくれは私達人間と殆ど変わりない。しかし彼、あるいは彼女の肉体は意図的に作り出された人工物だ。いや正確には極めて自然的な物質なのだが、人工物と呼ぶ他ない。

 私を視認し、瞬きをする姿。私はアオイを「彼女」と呼んでいる。生殖器を持たず、子を成す器官も持たないのだから性別など無い。けれどどちらかと言えば女性に見える顔立ちをしているからそう思って接している。

 彼女はまだ自意識なるものを持っていない。肉体こそそこにあれど、魂と呼ぶべき意識が存在しない。

 私の役目はガラス越しに彼女と対話を行うこと。意識なき生き物に意識を認識させること。

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