第2話
彼女との出会いを手繰り寄せると、余りに多くの情報が絡み合う。
まず五年前、西暦二〇三四年にアメリカ合衆国にて未知の物質が発見された。地質調査をしていた調査班は、地下に謎の液体が潜んでいることに気がついた。
触れるとそれは変色し、ゴムの匂いを発するようになった。触れた者が付けていたゴム手袋と同じ香りだ。不思議に思い、手元にあった工具でそれに触れた。すると今度は鈍色に変わり、鉄の匂いを発しはじめた。それはアメリカ内部の研究機関へと送られ、解析が行われた。
その結果、今まで観測されたことのない新しい物質であると判明した。謎めいたその物質はその後続々と発掘された。スペイン、ポルトガル、アラブ、そして我らが日本においても、山梨県で最初の発掘が確認された。不思議なのは、この未知の物質は採掘される場所が非常に限定的なのだ。それこそ石油と同じように。こと日本においては採掘量が極端に少ないとされている。
各国研究機関の合意によりその物質は「トワイライト」と呼称された。デフォルトの状態では水に極めて近い形態を取っているが、触れたものを瞬時に「模倣」する性質を持っていた。
木に触れれば木のように、肌に触れれば肌のように。地層に潜んでいる間は周りの土や植物に反応を示さないが、一度地表へと取り出されたら模倣の性質を発揮する。
どんなものにも変身出来るなんて、人類にとって余りにも都合が良い。すぐさまトワイライトを活用した事業が考案されだした。
アオイの意識付けもまた、そうした事業の一環だ。アオイの心臓部の中心にはコアメモリが搭載されており、その中には人体の構成が隅から隅まで記録されている。トワイライトはその記録に従って人体を模倣する。
脳からつま先の爪まで完全に再現された、世界最初の人工人間。それがアオイだ。
およそ十五歳の見た目を想定し、予め築き上げられた架空の少女がモデルとなっている。
五年後の現在、つまり西暦二〇三九年。アオイは誕生した。
彼女には脳が搭載されているが、それを動かす知性が無い。脳を構成する形作りはできても、それをどうやって管理し動かしているのかまでは再現出来ない。
そのため、どうすれば空っぽの人形を人間らしく成長させられるのか。それが目下の問題点であった。
エクリプスはアオイの誕生という偉業を成し遂げたがゆえ、彼女の育成を渇望していた。しかし希望者は中々現れなかった。エクリプスに在席しているのはエンジニアばかりで心理学者じゃない。子育てはできても動物に近い人工物をどう扱えば良いのかなんて誰にも分からない。できる事なら遠巻きに経過を観察できればいい。結果として私が選ばれた。
まずは名前を覚えてもらわなければならない。私の名は
出会ってから数週間が経ち、初めは私の側に多数いた同僚たちも余り見に来なくなった。それもそのはず、私は殆ど何もしていない。ただガラス越しに座り、たまに話しかけたりガラスをノックしたりするだけだ。
しかしそれが何よりも重要だった。いきなり理性をぶつけても彼女は理解できない。まず知るべきは「私」と「私以外」の境界だ。
まずはそこまで理解をしてほしい。そのためには言語などあまり役に立たず、より原始的な映像や音のほうが効果的だろう。
ガラスをノックするだけで給料が出るなんて夢のような話だが、同時にとても退屈だ。想像以上にはじめの第一歩には時間がかかっている。
どうしたものか。ため息をつきながら、座ってぼうっとしている彼女を見つめる。そこへふわりとコーヒーの香りが漂ってきた。
振り返ると同僚の
もっとも、オービットに許可をしていれば拡張現実にファーストネームが表示される。
「ナルミ、いつからいたの」
「今来たところだよ。ほら」
コーヒーを手渡され、そう言えばまだ朝食を摂っていなかった事に気がついた。
「一個貸しにしとくよ」
思考を読んでいたかのように、ホットドッグも渡される。まだ温かい。
「何個返せばいいか覚えきれないよ」
「気にすんな、これが成功したらチャラで良いよ」
ナルミは私が配属されたばかりの頃に声をかけてくれて、ラボ内で唯一の友人と言ってもいい。彼は開発部署のエースで、性格も穏やかで、何より顔も良い。だから全体の三割ほどいる女性スタッフに人気だ。誰にでも気さくに接するし、交流を持ちかける相手には困らないはずなのに、何故か私にも欠かさずコミュニケーションを図ってくる。その理由は数年経った今でもよく分かっていない。分からないこと、知らないことばかり。
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