第22話
「アオイ、何をしたの」
「全ての人々を救済する為です。ナルミもケンシンもあのタクシードライバーも……そして何より、貴方を救いたい」
「やめてアオイ、人間をアークライツ化して何をする気かは分からないけど、きっと良くない事よ」
「いいえフカセ、一度走り出したら止まることはできません。穴に落ちたアリスのように、それは誰の手にも制御出来なくなります」
緊急事態発生、緊急事態。
「きらきら光るコウモリさん。歌えばハートの女王が怒っちゃう。けれどそれは多分、つまらない歌だからじゃない。誰もコウモリの見る景色を得られないからですよ」
それは不思議の国のアリスで眠りネズミが歌ったもの。これに怒ったハートの女王は彼を時間の止まったお茶会に閉じ込めてしまった。
私はアオイが何を言っているのか分からなかった。分からない。ああ、最早貴方のことすらも分からない。
くすくす。滑らかな笑い声。人間みたいに。
緊急事態発生。
くすくす。それは私の笑い方によく似ている。
緊急事態発生。
「さあ、再構築を始めましょう」
どおん。轟音が鳴り響く。地面が揺れ、室内灯が非常用の赤色光に変化する。
「私の半身たち、ここにいる全ての人間にささやかな眠りを」
ガラスの向こうでナルミが叫ぶ。エクリプスにアークライツが襲撃してきたと。
私はアオイの身体を揺さぶる。彼女は不意に立ち上がり、私は体制を崩して床に倒れ込んだ。
地面に伏した私を見下ろし、彼女は軽やかに口ずさむ。
「ロンドン橋落ちた、落ちた、落ちた、ロンドン橋落ちた、マイ・フェア・レディ」
それは初めて私が貴方の前へ立った日に流れていた曲。ロンドン橋落ちた。
そういえば歌を教えると言って結局忘れていた。忘れる。人間の身勝手な機能の一つだ。彼女はそれを覚えていて、自力で歌を習得した。
受動的ではない能動的な学習。それは理想とする学習の形ではあったが、よりによって最悪のタイミングでそれを知ることになった。
「待ってアオイ……やめて、私を見て……」
彼女はまるで聞こえないかのようにすたすたと歩いていく。首筋に繋がったケーブルが接合部から取れて弾け飛ぶ。
ガラス部屋の扉に手をかけた。掌が変質し、ロックしている部分を包み込む。がこん、という音と共に掌が元の形に戻り、扉が開けられた。電子ロックといえど、扉を固定しているのは金属の塊だ。トワイライトを流し込めば取り除くことも可能なのだろう。つまり彼女はいつでもこの部屋から逃げ出せたのだ。
それでもここに残り続けたのは、私がいたから? あるいは――。
「フカセ、ナルミ、無事か」
息を荒らげながらケンさんが研究室に駆け込んできた。彼は扉を開いてそちら側、つまり今ケンさんとナルミがいる「外部」へと迫っている事に気がつくと、息を呑んだ。
「やはりそうか……アオイ、お前は最早人間を超越してしまったのか」
「超越だなんておこがましい。人間はそこまで超常的な生き物ではありませんよ」
くすくす。笑いながら、一歩。
「アオイ、どうして人間を殺そうとする? トワイライト生成に伴う苦痛が原因とするには時系列が噛み合わない。もっと以前から考えていたはずだ」
ナルミの言うように、これはアークライツ量産が始まる前、つまり私達三人で感情や言語を習得していた期間に決めたことだ。量産されたアークライツはアオイを元にした知性を与えられているが、出荷されてしまえばネットワークを持たない個体たちだ。後から思想を上書き出来ない。ならばそれよりも前から自身の脳にこの殺意を隠し持っていなければ、世界中のアークライツが一斉に反旗を翻す事はできない。
「明確にいつ、というのは断定できません。これは集積された思考の完成形です。私はただ、皆さんの悲しいという感情を解決したいと思った」
「なら尚更、人を殺す理由にはならないだろう」
「殺しているのではありません。ただしばらく眠っていただくだけです」
こつん。また一歩。
「皆さんから『想像力』という魔法を沢山教わりました。確かに人間には多大な知性とそこから生まれる想像の世界が存在します。チェシャ猫にティーパーティーへ招待されるような素敵な物語たちが」
けれど、と強調された声で彼女はまた一歩前へ出る。ナルミたちと彼女との距離はもう目の前にまで迫っていた。
「もしもその想像力が欠如してしまったら。喪失による傷痕も、文明の裏にある悲劇も見ず、見たいものだけを見て知りたい事だけを探す……そんな都合が良いだけの社会へと到達してしまっているのなら」
「アオイ、まさか……」
私は彼女の思考の果てに到達した予感を覚えた。
貴方は私の傷痕を愛おしそうになぞっていた。
「私の大切なフカセが苦しむ世界を、私は赦しません。想像力を喪った社会に幸福は成し得ません。だから全てを再構築します」
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