第23話
「皆さんから『想像力』という魔法を沢山教わりました。確かに人間には多大な知性とそこから生まれる想像の世界が存在します。チェシャ猫にティーパーティーへ招待されるような素敵な物語たちが」
けれど、と強調された声で彼女はまた一歩前へ出る。ナルミたちと彼女との距離はもう目の前にまで迫っていた。
「もしもその想像力が欠如してしまったら。喪失による傷痕も、文明の裏にある悲劇も見ず、見たいものだけを見て知りたい事だけを探す……そんな都合が良いだけの社会へと到達してしまっているのなら」
「アオイ、まさか……」
私は彼女の思考の果てに到達した予感を覚えた。
貴方は私の傷痕を愛おしそうになぞっていた。
「私の大切なフカセが苦しむ世界を、私は赦しません。想像力を喪った社会に幸福は成し得ません。だから全てを再構築します」
「アオイ、やめて!」
彼女は左手でナルミを、右手でケンシンの首を掴んで持ち上げた。
「海を見せてくれてありがとう」
喉を抑えられながら、ケンさんが声を振り絞る。
「娘ともう一度海に行きたかったんだ……君達と見られたことは、かけがえのない思い出だ」
ぎゅうう。ケンさんの首筋に血管が浮かび上がり、彼は目を見開いて苦悶の表情を走らせる。
「フカセ、聞こえるか」
それを横目に見ながら、ナルミはいつも通りの表情を貫いていた。しかしその指先が僅かに震えている事に、私は気付いてしまった。
「どうかこれだけは、迷いなく信じてくれ。君は何も悪くない。もしもこの世に悪者がいるとしたら、それはきっと――」
ぎゅうう。ナルミも同様に締め付けられる。
彼らは互いを慈しむように見つめ合いながら、空中で手足をばたつかせ抵抗した。
しかしそれは単なる反応に過ぎず、アオイの非人間的な躊躇のない暴力に抗えるはずがなかった。二人の身体はだらりと項垂れ、もうぴくりとも動かなくなった。
ガラスの向こうの景色はリアルじゃない。そう信じたかった。ただ遠くに見える映像があるだけで、私がそこへ立っていなければ実在を証明出来ない。
だから私は地面を這って、アオイの元へ行こうとした。けれど過呼吸めいた粗い息が視界を虚ろにさせる。
「ああ、大好きなフカセ。驚かせてごめんなさい。大丈夫、全て正常に動作しますから」
ああ、大好きなコーティ・キャス。まるで脳内に寄生した生命体、イーアのような口ぶりで。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア作、『たったひとつの冴えたやりかた』。
「アオイ、どうして……どうしてこんな……」
「全ては貴方の為に始めたことです。大丈夫、貴方の幸福はナルミの幸福になり、そしてケンシンの幸福になる。貴方達は素敵なご友人なのですから、きっとそうなります」
私は血も涙も胃液も何もかもぐちゃぐちゃにミキサーされたような痛みを覚えながら、アラートの鳴り続ける中小さく懇願した。
「ならいっそ、私を殺して」
「それは出来かねます」
彼女は私の喉に両手を押し付け、圧迫を始めた。酸素が入ってこない。頸動脈が押されて目がチカチカする。
彼女は顔をぐっと私の目の前にまで迫らせる。この距離で彼女を見ると、初めて触れ合った日を思い出す。私の涙を見て、疑問の声を上げた貴方。赤子のように純粋だった貴方は、自分で考え自分で実行する大人になったのだろうか。
ああ、寂しい。辛い。
子育てって、こんなにも孤独なものなのかな。
意識が遠のいていく。
「さあ行きましょう、新たなる世界へ」
消灯。
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