第21話

 ――西暦二〇四四年十月三十一日。

 三人の想いが重なり合ったあの日から、ケンさんは毎日欠かさず私の元へ来てくれるようになった。


「ケンシンさんってやっぱり呼びにくい……ケンさんじゃ駄目ですか?」


「それは止めてくれ、気恥ずかしい」


「直に慣れますよ、ケンさん」


「コーヒーいりますか、ケンさん」


「お前達、からかっても上手い返しは出来ないぞ」


 彼は不器用な男だけれど、距離が縮まれば可愛い中年だ。気の利いたジョークは言えないし堅物な所は相変わらずだけれど、過去が刻んだ人間味が愛おしい。


「体調はどうだ、フカセ君」


「前よりもずっと良いです。お二人のおかげで」


「確かに顔色が良いな。午前中は会議があるから、また午後に顔を見に来る」


「お忙しいのにありがとうございます」


「気にするな。手のかかる娘みたいなものだ」


「手のかかるは余計です」


 日常は少しずつ修復されていた。一度沈んだ私の世界は、暁光トワイライトのように再び光を照らし出していた。

 十月三十一日はハロウィン、そしてマルティン・ルターによって宗教改革が起きた日だ。細やかな喧騒が目に浮かぶ。

 そんな暖かな朝は過ぎ、私は横になりながら、隣で眠るアオイを見つめていた。私はもう大丈夫。だからあとは、貴方が救われる道を探すだけ。

 彼女の頬に手を添えた午前十時二十四分、建物内にけたたましい警報が鳴り響いた。


「緊急事態発生、全職員は業務端末を確認して下さい。今後の業務については追って通達いたします。繰り返します、緊急事態発生――」


「何、どうしたのナルミ」


 この部屋の業務端末はナルミの前にあるモニタしかない。ガラス部屋にいる私は、彼から口伝で教えてもらうしか無い。


「……フカセ、落ち着いて聞いてくれ」


「勿体ぶらないで、どうしたの」


「一億体のアークライツ、全てが暴走を始めた」


「暴走って、何をしたの」


「人間たちへ手当たり次第に襲いかかっているらしい。映像を送る」


 オービットに映像が送信された。外国の監視カメラのものだ。アークライツが突然人間に襲いかかる。拡大すると、舌先を変質させて頭部に挿し込んでいる。人間の身体がびくりと跳ねる。

 アークライツはその場を立ち去り、残された人間が数秒の後にぬらりと立ち上がる。そしてアークライツと同じように、また別の人間に襲いかかる。首に腕を絡みつけ、頸動脈を圧迫している。つまり殺そうとしているのではなく、気絶させようとしている。


「アークライツは人間たちに何をしたんだ……」


 私は映像を何度も見返して、ある事象に思い至った。隣で眠るアオイを見る。彼女は毎朝、トワイライト製の脳を残してそれ以外を疑似トワイライトに交換している。

 トワイライトの脳を。脳さえあれば、肉体そのものを制御可能なのだ。人間のような肉体構造をしているけれど、人間の形へと我々が誘導したに過ぎない。殆どの部位は飾り付けと言っていい。

 つまり脳さえトワイライト化したら、それはほぼアークライツと同等なのだ。

 そしてトワイライトに潜む思考、人間性はアオイをモデルにしている。

 人間の脳にトワイライトを流し込んだら、それは脳を分解、再構築して変換できるだろう。アオイが毎朝そうしているように。脳だけの変換ならそう時間はかからない。

 つまりこれは。


「人間をアークライツ化しようとしている……?」


 そしてそれを実行に移したのは、他でもないアオイだ。彼女がトワイライトを通じてこの意志を刻み込んでいたのだ。一体いつから。アークライツの量産が始まった時だろうか、私と言葉を交わすようになった時だろうか。 


「おはようございます、フカセ」


 声がする。私を見る瞳がある。聞き慣れたあの声色。すっかり見慣れたあの笑顔。

 アオイは笑っていた。その目は今まで見たどんな表情よりも、自然で滑らかな円弧アークを描いている。

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