第15話

 ――西暦二〇四〇年。年が明けてすぐにアオイへのトワイライト生成計画が始まった。

 かつてこのガラス部屋へ入れられた時のように、彼女は医療用のストレッチャーに乗せられ、研究室を出た。トワイライト移植のラボへ搬送されるまで、私とナルミは傍らに付いていた。まるで入院患者を憂う家族のように。年月で言えば一年かそこらだけれど、費やした思いは濃密だった。だから私にとってアオイは家族と呼んでいい程だった。


「大丈夫だからね。怖くない、怖くないよ」


 彼女を励ますことに取り立てて意味はない。彼女は恐れていないからだ。だからこれは私に言い聞かせているのだ。きっと大丈夫。けれど頭の片隅では分かっている。そんなわけがないのだと。


「お二人は研究室にお戻りください」


 研究員が入り口でそう言ったが、私もナルミも示し合わせたように近くのソファへ腰掛けた。彼がコーヒーを注いできて、二人静かにそれを啜った。

 時間にすれば約三十分。体感ではそれ以上。私達は目も合わせず、ひたすら扉を睨んでいた。

 「作業中」のLEDが消えるとロックが解除された。中から研究員たちが出てきたので、同時に立ち上がってストレッチャーへ駆け寄った。


「アオイ……私が分かる?」


 彼女の目は虚ろだった。腕には点滴が打たれていて、口元には酸素マスクが付けられている。


「最低限、呼吸が行えるようになるまであと一時間ほどかかる見込みです。それまではこれを外さないように」


 淡々と説明され、彼女はガラス部屋へと戻された。しゅうしゅうと酸素が送られ、彼女は時々何かを喋ろうと喉を鳴らした。しかし各器官が満足に動かないのだから会話もままならない。

 代わりに私の腕を引っ張って、傷痕を指先で優しくなぞっていた。

 午前中はずっとそんな調子だったが、午後になると酸素供給が解かれ、横たわった状態でなら会話も可能になった。

 私とナルミの表情もようやく陰りが晴れ、いつものような安心感が蘇る。本を読めない彼女のために、私とナルミで朗読をした。表情筋がうまく動かないから、せっかく覚えた笑顔を作れない。それでもアオイは楽しそうだった。そう思いたかった。

 きっと意識を保つので精一杯だっただろう。辛くとも苦しくとも、私達を見つめぽつりぽつりと言葉をかけてくれるその姿に、心の実在を感じた。


 夜になると彼女は立ち上がった。お馴染みの首に繋がれたケーブルはトワイライトの生成率を割り出せるようアップデートされていて、一日足らずでその数値は八割ほどにまで上昇していた。

 あれほど弱っていたのに、彼女は部屋を歩き回って笑っていた。元気そうな姿に、ようやく安堵の息を漏らした。


「良かった、元通りだ」


「本当、トワイライトって凄いね」


 お互い明日のことは話題にしない。いつもなら報告書やら明日の段取りやらを話してから帰るのに、この日は一切そんなことをせず、ナルミは退社した。私は部屋に残り、彼女と話し続けた。この楽しい時間が少しでも長く続くように、徹夜で彼女の行動に付き合った。

 本を読んだり会話をするくらいしかしなかったけれど、その時間はあっという間だった。気がつけば研究室の扉が開いて、ナルミが現れた。


「シャワー浴びてこいよ、俺が見ておくから」


 お言葉に甘えて私は自室に戻った。温かいシャワーを浴びて、着替えを取り出しベッドへ腰掛けた。


 ほんの数分、考え事をしているつもりだった。しかしふと我に返って飛び起きた。時計を見る。一時間程度経っていた。眠ってしまっていのだ。

 慌てて服を着て研究室へと駆けた。扉を開くと、ガラス部屋には誰もいなかった。

 モニタ前にナルミがいて、私を見ると目を伏せた。

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