第11話
彼女の手を取り、私達は部屋の扉をまたいだ。アオイにとっては初めてここに連れてこられて以来の一歩だ。
「さあ行こう」
彼女の手を引いて、部屋を出る。アオイは私の姿だけをじっと見ている。
入り口に立つディックを見上げる。大きな男だ。彼の視線は私だけを見ている。アオイと同じように、その他を見ようとしない。
「管理官は、アオイがお嫌いなのですか」
「なぜそんなことを聞く」
「『彼女』とか『アークライツ』とか、決して名前で呼ぼうとされませんから。それに見ることすらしない」
一瞬、彼の視線がぐらりと揺れたように見えた。人間の眼球は静止することが殆ど無い。なのでこの表現は正確ではないが、しかし生物学的な運動と感情を伴う運動とでは僅かながら受ける印象が変わる。前者は意識しない限りこちらも気付かない。後者は瞬間的に察知できる。
「モノに執着するタイプではない」
さっと背を向けて、彼は廊下を歩いていった。早く来なさい、と背中越しに私達を急く。
ナルミは不機嫌そうな顔をしているけれど、私には初めて彼が人間らしい態度を取ったように思えた。その真意は図り兼ねるけれど。
エントランスへと手を引いていくと、ドライバーの男が気まずそうに待っていた。大仰な建物の片隅で待たされるのは確かに嫌だな。
「遅くなりました。四名でお願いします」
うやうやしくお辞儀をし、彼は車まで案内をした。スーツの隙間、左腕の手首に伸びる傷口を見つけ、そして見なかったふりをした。
現在、タクシーは無人が九割以上となっている。各車両、交通管理システムの連携により自動運転の事故率は落雷で死ぬよりも低くなった。
それでも有人タクシーは根強く残っている。どちらかというと贅沢な、あるいはレトロなコンテンツとして生き残っている。
自動運転にはない柔軟な運転、コミュニケーション、そして本来不必要な運転手を使わせるという贅沢。それが主なニーズだ。
「どちらまで?」
「フカセ、どこがいい」
「うーん……まずは東京タワーへ」
東京の名所を順番に見せて回ると、彼女は絶え間なく景色の一つ一つに疑問を投げかけた。
なぜ東京タワーは赤いのか。
なぜ青信号と呼ぶのに緑色なのか。
なぜあの女性は隣の男性に怒っているのか。
そしてなぜ、ドライバーの左腕には傷があるのか。
レンガ調を模した東京駅の外観を前にして、タクシーは一時停車した。車内には沈黙が流れる。運転席にもこの会話は聞こえているはずだ。
二人で慌てて謝罪をしたが、彼は袖をまくってアオイに見せた。
「お客さん、初めて見るのかい」
そこには一筋の施術痕が刻まれている。中央には小さなデバイスが埋め込まれていた。
それは私の左腕と同じものだ。
普段はロンググローブで隠しているけれど、私にも同じ傷痕が刻まれている。
なぜ私達はそんな痕を刻まれたのか。
なぜそれを隠さなければならないのか。
ドライバーの男は晴れやかに笑う。営業向けの作り笑いなのか、子供の悪意なき問いかけを赦しているのか、私には分からなかった。
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