第12話

 十年ほど前、世界規模で生体管理デバイス、オービットの移植が義務化された。例の脳内お喋りさん。

 人口が増えすぎた結果、これまでの人為的な枠組みではまとめきれなくなったため、社会は完全なる管理体制を受け入れた。

 日本の場合、保険を適用した上で移植費用を国民が負担する。その分、キャッシュバックなどの追加施策で溜飲を下げようとしたものの、「一方的に決められたものを一時的に負担しなければならない」構図に変わりはなかった。


 結果、その一時的な負担すら困難な貧困層は移植を受けられなかった。

 通信機器がなければ生活が不便になるように、管理デバイスがなければ不便になる社会になるまではあっという間だった。

 この格差を埋めるため、救済プログラムが打ち出された。移植費用を移植済みの国民と政府が負担し、未移植の全国民に実施された。

 ただし通常の移植よりも負担額を減らした結果、傷痕が残ったり継続的な痛みが起きるなどの問題もあった。しかし支払いから手続きまで、日常の大部分にデバイスが必要だったため、我慢するしかなかった。


 追加移植された彼らはリコネクターズと呼ばれた。社会への再接続。足首に再び鎖を付けなければならなくなった者たち。

 デバイスがなければ就職も非常に不利となっていたため、求人の斡旋も行った。さらには「一定規模以上の企業は、総従業員の数パーセントにリコネクターズを採用する」ことを推進した。

 これまで努力を続けてようやく就職した一般層の一部はこれに反対した。しかし企業としては採用することで補助金が出る。


 結果、リコネクターズへの差別が起きた。オービットを受け入れた社会の奴隷は、遅れてやってきた弱き生き物に石を投げる。リコネクターズはいわば奴隷の奴隷だ。

 誰しも自らの足元に人を縋らせたがる。

 誰しも朝のトーストに他人の不幸を塗りたがる。被害者の少女は学校の人気者だった、なんて無意味な情報をどうして報道したがるのだろう。

 私もドライバーも、そんなリコネクターズだ。

 だから傷痕を隠そうとするし、良識ある人々からすればそれはタブーなのだ。

 アオイは当然そんな事知らない。

 私の長いながい説明のあとで、彼女はぽつりと呟いた。


「正常に機能した社会にも関わらず、争いが起こるのは何故なのですか」


 確かに一連の流れはすべて合理的な判断のように見える。デバイスの移植は多くの利益をもたらすし、国民への一時負担と還元施策はシンプルな増税よりも誤魔化しやすい。リコネクターズの施策も同様だ。

 けれど何故か、人は誰かを傷つけたがる。私も、きっとこのドライバーも常に誰かに後ろ指を差されながら生きている。

 そんなことをしたって傷のない彼らは特別になれないのに。


「想像力の欠如だ」


 それまで口を噤んでいたディックが不意に呟いた。


「もしも自分がリコネクターズだったら。もしも自分が同様に迫害されたら。ごく単純な客観視にだって想像力は必要になる。しかしインスタントな娯楽に溢れた現代でその能力は不必要と化してしまった」


 インスタントな娯楽とは、つまり簡易的に消費される個人の作品群。ネットの書き込みや数分で終わる新製品のレビュー、そして何より報道される人生のダイジェスト。

 いつしか私達は人生の良い面か悪い面にしか興味を持たず、十万文字の活字よりも数分のダイジェストでそれを流し込もうとしていた。

 消費され、明日には忘れてしまうような物語だけを摂取していれば、脳は次第に蝕まれていく。言葉から情景を想像すること。想像力とは制限された情報から自分だけの解を導き出す儀式なのだから。

 忘れる。余りにも便利で都合の良すぎる機能だ。


「想像力とはなんですか」


「紅茶はどんな味か予想する事、とかかな」


 ナルミの言うそれは、不思議の国のアリスを読んだときの彼女を指している。あのときの紅茶の味は今も覚えている。


「ならば皆、紅茶を飲めば良いのではないでしょうか。美味しいです」


「そうはいかないのが人間って奴なんだよ。面倒くさい生き物だろ?」


 ナルミは苦笑いを浮かべながら通りゆく外の景色を眺めていた。彼は時々、視線を虚空に逃がす癖があるようだ。


「とても不可解です」


「それでいいのよ、アオイ。沢山考えて、沢山知っていって。帰ったら新しい本を読もう」


「ええ、ありがとうフカセ」


 彼女は私の傷跡をそっと撫でて、笑った。愛おしそうに、大切に抱きしめるように。彼女の表情はどんどん人間のような滑らかさを持つようになっていた。


「二人共、最後に一つだけ寄りたい場所がある」


 ディックが不意に声をかけた。薄暗くはなってきたが時間にはまだ余裕がある。


「ええ、どうぞ」


 快く承諾すると、彼がドライバーに道順を告げ、タクシーは街の外れまで進んでいった。

 しばらくすると、海の側で止まった。暗闇の中で静かに漂う水面。そこには何者もいない。すっかり暗くなってしまったし、何よりアオイはタクシーから降りられない。だから窓越しに黒く塗りつぶされた景色を黙って見る管理官を、私達も同じように沈黙して見ていることしか出来なかった。

 しばらく遠い目をしていた彼は、なにかに納得したように目を伏せて言った。


「すまない、帰ろう。重要な話がある」


 その後タクシーはエクリプスへと戻り、余った残高は丸ごとドライバーにチップとして渡した。何ヶ月分のお金だろうか、彼はあんぐりと口を開けたまま去っていった。

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