第9話

 その後、明日の打ち合わせを少しして解散となった。彼は自分の家へ、私は居住区へ。


「本日の業務を終了します。お疲れ様でした」


 脳内でオービットくんが話しかけてくる。

 勤務時間、消費カロリー、心拍変動、ストレス値が拡張現実に表示されるが数字の一桁すらも見ずに指で払った。ウィンドウはすうっと身を引いて消え去る。そこには私の部屋だけが映し出される。

 本棚に並ぶ文庫本をぐるっと眺める。今や紙媒体はコレクター品だ。レコード盤や手動運転式の自家用車みたいなレトロブームが起きない限り、ほとんど見向きもされない。

 しかしこれは私の血肉だ。私に命を与えるもの。私は紙とインクで出来た世界を抱いて眠りたい。

 不思議の国のアリスを読み終えたから、次は何にしようか。もう一冊児童文学でもいいかもしれない。

 児童文学は主人公の感情の推移をある程度明確に記述してくれている。アオイはアリスの一挙手一投足について、なぜそう思ったのか、なぜそうしたのかという答えを教えてもらえる。

 そうしてイコールで結ばれる情報が増えていくことで、特定の感情に至るまでのプロセスを覚えていく。

 文学は人間性を獲得するためのチュートリアルとなる。

 そして読み終えてから感想を聞くことで、アウトプットを促す。感情を思考し、それを言語に落とし込み、相手に伝える。テレビで見たアニメの内容を一生懸命親に伝えようとする子供のように。

 家族は社会性を獲得するためのチュートリアルとなる。

 本棚の中で目に止まった一冊があった。芥川龍之介の『河童』だ。中学生の頃に読んだ。

 適当なページを開くと、河童の村にやってきた主人公が出産前の儀式を目撃するシーンだった。河童のお父さんが河童のお母さんの産道に口を突っ込み、


「お前は産まれる事を望んでいるか」


 と問いかける。初めて読んだときは衝撃を受けた。なんて悲しい儀式なのだろう、と。

 子は産まれる事を強制される。産まれてしまえば生きる事を強制される。それは芥川自身のパーソナリティに深く関わる思想なのだろう。

 ぱたん、と本を閉じて考える。

 私は嬉々としてアオイを教育している。

 それが仕事だけれど、今ではそうしたいと自発的に思っている。

 けれど彼女は、果たして人間のように生きたいだろうか。古くからのロボットのように、命令されて従うだけの人形でありたかっただろうか。

 葛藤。

 それは余りにも人間らしく、逃れようのない呪いのような感情と言える。

 アオイが人間になったとして。

 私は最初に、どんな顔でどんな言葉を贈るだろうか。


「ご就寝の時間です」


 ああ、うるさいなあもう。左腕が繋がっている限り、オービットは沈黙を続けてはくれない。


「シャワーがまだだよ」


 独り言のようにオービットへ伝えて、服を脱いだ。最後にロンググローブを取り外す。一筋の長い傷痕が顕になる。それを指先ですうっとなぞり、私はシャワールームへと歩いていった。


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