第7話 上手の手から漏れる水
安倍川晋造は、三途の川で乗船の列に呆然と並んでいた。すると、一匹の蛍が左胸に止まると後部からパーッと明かりが灯った。晋造は、ふわっとした感覚を手に入れた。そこで目に入ったのは、異色の光景にある喫茶店だった。
「冥土…喫茶?」
晋造は、入り口で佇んでいた。ドアが開きメイド姿の女性が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ、ご主人様。どうぞお入りください」
晋造は、言われるまま店の中に入った。
「ここは…」
「冥土喫茶で御座います、ご主人様」
「ここは黄泉の国と言うところですか」
「その入り口の三途の河原で御座います」
「ここが三途の川の渡し船のある処ですね」
「はい」
「皆さんのお陰で成仏させて頂きました。感謝しています」
「ご主人様のようなお方は、初めてです」
「…のようなとは?」
「成仏されているのにここに来られていることです、ご主人様」
「では何故、私はここに招かれるように来たのか教えてくれますか」
「はい、ご主人様。私が知りえる範疇ですが宜しいですか」
「それでお願いします」
「はい、ご主人様お答えさせて頂きます。死因について不明の方が多い中、その点も仏の導きで解消されております。ただ、脳が動いて居る僅かな時間に走馬灯のように印象的な記憶が思い出されつつ消去されるのですが、ご主人様の場合、それがなされる間もなく、終わられた。普通はそれでも弔いなどで解消されるのですが、ご主人様の場合、志半ばの大きな役割が果たされないまま終えられたようで、審議委員会から差戻されたみたいです」
「私に何か不手際があったと言う事ですか」
「いいえ、私が聞き及んでいる内容は、残された者への役割を新たに課すための猶予とされています」
「残された者への役割ですか」
「はい。きっとご主人様は、大きな組織を正しい方向に動かそうとされていたと存じます。それを愚者によって奪われた。私からもお悔やみ申し上げます」
「ご丁寧に」
「さて、ご注文は如何致しましょう」
「と、言われても…」
「そうですね、では、恩務ライスは如何でしょう。お代は、結構です。審議委員会の計らいとなっておりますので」
「恩務ライス?審議委員会の計らい?それは何でしょう、忖度などではありませんよね」
「あはははははは、す、すいません、生前、悩まされた言葉ですね。ご心配は無用です。閻魔様に仕える者の忖度かも知れませんが、ご主人様には無関係ですから」
「それなら、良いのですが黄泉の国に来てまで心を擦り減らしたくないですから」
「ご安心ください、ご主人様。お薦めの恩務ライスは、労をねぎらうものです。希望されるなら私の♡マークもご用意できますが、如何なされますか」
「それは、遠慮しておきますよ、あははははは」
「あら、びっくり。初めてここへ来て笑い声を聞きました」
「ここは、そういう処なのですか」
「はい、大概は残留思念があり、苦悩に満ちた方々が多いです」
「そうでしたか」
「あっ、恩務ライスのご用意ができたようです。お持ち致しますのでゆっくりとお召し上がりくださいませ」
晋造は、一度は断った麗花の♡マークをリクエストし、恩務ライスを堪能した後、案内人の導きにより渡し船に乗り込んだ。無事、三途の川を渡り切った晋造は、特別な空間に招かれていた。
「ここは?」
「裁定所だ。お前は、他の者と違い、人間界の脅威に対し警鐘を鳴らし、我らが送り込んだ暴君と呼ばれた者に真実を伝え、行動に移させた。横槍が入ったがな」
「そんな大それたことを私は致しておりません」
「それはお前が決める事ではない」
「出しゃばった真似を致しました」
「本来は大王の裁定を受けるが常なれど、特別な計らいにてここに通した」
「特別な計らいとはどう言うことでしょうか」
「知らぬで良い、ううん、まぁ、良いか。教えてやる詳細は語らぬが、ここに通されたのは私が担当した中では、渋沢栄一と徳川慶喜であった」
「そのような方々と同じ待遇ですか、恐れ多い事です」
「お前は名を知られ、忘れ去られるには時間を要する。人の記憶にあるうちは生まれ変わるのが難しいからな。まぁ、大王の特別な計らいがあるだろうが」
「なぜ、そこまでして頂けるのですか」
「行い、よ。本来は…」
と言いかけて役人は口籠った。
「何でしょうか。如何なるものもお聞き致しますからお聞かせください」
「それは、叶わない。さっさと誘導人に従い生まれ変わる準備に行け」
「あっ、はい」
誘導人は晋造を白光の差し込む領域へと導き、扉を閉めた。
閻魔会の審議委員たちは、混沌としていた。異国の裁定に異議を申し立て、閻魔会では責任の擦り合いが生じていた。今回、その異国にも深く関わった安倍川風多郎の死は、各国の閻魔会をも動かし始めた。閻魔会では、目に見えたテロ組織に該当する者には、自滅の道筋を用意していたが、間接的や善意を装う形にテロ行為に対し、監視の目が行き届かないでいた。自らの失態を痛感した閻魔会は、天界に嘆願書を出し、天災と言う形で種族の粛清を図った。さらに、害虫国の指導者に疑心暗鬼の思考を植え付け、孤立させようと思考パターンの調整に入っていた。しかし、長きに渡り、人間界に任せていた世界には、性善説の天界の目を欺き、暗天界の無法状態を見過ごす結果となっていた。その目を覚まさせたのが、安倍川風多郎の死だった。
悪意の独裁者の行動、保身や欲望の末に根付く邪悪な輩の思考に天界は、悲愴と怒りを悟り、遅ればせながら動き始めた。しかし、一度、人間界に送り出した者を変えるのは困難極まりもの。生い立ちの改善は今や手遅れとなり、新たな出会いによる思考の変革を行うための出会いの関係を構築するのに時間を要することは否めなかった。単純な洗脳に侵されないための知識の蓄積が、洗脳されるための知識の蓄積に用いられており、これを崩壊させるには、粛清しか短期間に効果を得られる方法が乏しくなっていた。
安倍川風多郎の死で宙に浮いた魂をひとりの者に注入するのが最も簡単な方法だったが民主主義という規則を作った壇上では、容易なことではなかった。そこで、効果は低減するが適応者を探り出し、分散し、思考改革の下地を作る手間のかかる手立てを取るしかなかった。
安倍川風多郎の生前、能力の差に卑下し、反発していた者のネガティブな鎖を決意から腐敗させ解き放ち、継承者として存在感を得ることに邁進するように運気の歯車の組み換えを急いだ。それを阻むように暗天界の指示で動く者が阻止に動いた。異国の閻魔会は、新たな独断者を2024年に再度誕生させるように動いていた歯車を強化する手立てを打った。その際に手を組む改革者の育成も急がせるよう関係各位に命じていた。その為に禁じ手ともいうべき、阻止に関わる輩の懺悔への導きを宿命とする
者の育成にも力を入れ始めたのは言うまでもなかった。
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