冥土喫茶
龍玄
第1話 賽の河原
人は死後、魂は、役目を果たした肉体から抜け、自分が死んだ事を自覚すると上空に導かれ薄暗い河原に導かれる。そこは感情も肉体と共に脱ぎ捨てられている。稀に、怨念、執念が強すぎ、脱ぎ去ることのできない者もいた。導かれる河原は、俗にいう三途の川のある場所だった。
隅林卓蔵は、河原に導かれていた。そこには、あちらこちらに濃霧の中で見られるような人影がどこからともなくポツン、ポツンと現れ、呆然と佇む姿があった。老若男女。赤子だけは、浮遊するようにその場に留まって見えた。
赤子以外は、生きていたままのような者、事故か事件かに巻き込まれ血まみれの者、体の一部が欠損した者たちがゆらゆらと佇んでいた。
川には青白い顔をした物静かな船頭が導く船が停泊してい。そこに頭を垂れる者たちが整然と乗り込む姿が見受けられた。列の後尾に目をやると受付とあり、そこでは何やら手続きをしている様子が伺えた。
「手続きに時間が掛かります。順次呼ばれるまでお待ちください」
と蜻蛉の体に響くように聞こえた。
「俺は、死んだのか」と卓蔵は感じていたが、それ以上の感情は沸くことはなく、受け止めるしかなかった。暫くして、自由に動き回れるようになった。卓蔵は、受付のある場所に近づいてみた。そこには乗船料がいると注意書きと共に書かれていた。
注意書きには、審議官による審議の結果、故人様は何らかの罪に応じた苦行を科せられ、とても辛い思いをしながら川を渡る事になります。 しかし、六文銭を渡せばこの苦しみを味わう事なく、安全に川を渡る事が出来るとされていた。 六文銭は現代の金額に換算すると約300円だ。地獄の沙汰も金次第と言う事だ。
卓蔵は、300円で楽が出来るなら払うでしょうと体を探るも財布が見当たらなかった。金を持たない者は、どうするんだ。そう思って受付の様子を見ていると、身に付けている物を差し出し、査定され乗船権利を得てる者が少なくなかった。中には、「俺を誰だと思っているんだ、銀行には大金も株も多く所有している。証券会社かATMの場所を教えろ。乗船料の何倍も払ってやる、その変わり優雅に安全に乗船させろ」と凄む者もいた。その者に係員が近づき、掌で口を塞いだ。すると、凄んでいた男はス~と大人しくなり、列から外され、河原に導かれると列の最後尾に導かれた。結局、この男は高価な腕時計を質入れするようにして、他の者と同じように船に乗り込んでいった。
赤子や幼子は、渡し賃を払うことなく船頭の近くに導かれ、優先的に乗り込んでいた。幼子の中には、河原に連れていかれ、石の山を幾つも作らされていた。その中には若年層も混じっていた。不貞腐れた様子で石の山を積み上げると監視員が近づき、その者が石を積み上げるのに夢中になっている隙を見て、崩していくのを卓蔵は見た。このような光景を聞いた事があった。賽の河原だ。
童子の戯れに
これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる賽の河原のものがたり
この世に生まれ甲斐もなく親に先立つありさまは諸事の哀れをとどめたり
二つ三つや六つや七つ十にもたらぬ幼児(おさなご)が賽の河原に集まりて
苦しみ受くるぞ悲しけれ
幼児が雨露しのぐ住家さえなければ涙の絶え間なし
河原に明け暮れ野宿して
西に向いて父恋し 東を見ては母恋し
恋し恋しと泣く声はこの世の声とはこと変わり
悲しき骨身を透すなり
ここに集まる幼児は小石小石を持ち運び
これにて
手足石にて擦れただれ 指より出ずる血の滴 身体を朱に染めなして
一重積んでは幼児が紅葉のような手を合わせ父上菩提と伏し拝む
二重積んでは手を合わし母上菩提回向する
三重積んでは古里に残る兄弟わがためと
礼拝回向ぞしおらしや
昼はおのおの遊べども日も入相のそのころに冥途の鬼があらわれて
幼きものの傍によりやれ汝らなにをする 娑婆と思うて甘えるな
ここは冥途の旅なるぞや 娑婆に残りし父母は今日七日や
四十九日や百箇日
追善供養のその暇にただ明け暮れに汝らの形見に残せし
手遊びや太鼓人形かざぐるま着物を見ては泣き嘆き
達者な子どもを見るにつけ なぜにわが子は死んだかと
酷やあわれや不憫やと親の嘆きは汝らの責苦を受くる種となり
かならず我を恨むなと言いつつ金棒振り上げて積んだる塔を押し崩し
汝らが積むこの塔は歪がちにて見苦しし かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し成仏願えと責めかける
やれ恐ろしやと幼児は南や北やにしひがし こけつまろびつ逃げ回る
なおも獄卒金棒を振りかざしつつ
すでに打たんとする陰に幼児 その場に手を合わせ熱き涙を流しつつ
ゆるし給えと伏し拝む
おりしも西の谷間より
なにを嘆くか
汝らいのち短くて 冥途の旅に来たるなり
娑婆と冥途は程遠し いつまで親を慕うとも娑婆の親には会えぬぞよ
今日よりのちは我をこそ冥途の親と思うべし
幼きものを
憐れの給うぞありがたや
いまだに歩まぬ嬰児を
泣く幼児を抱きあげ 助け給うぞありがたや
原文は、あまりにも酷く可哀想なものであり、時代を経て軟化したものとされている。親を嘆かせ、悲しい思いをさせたから、子供らは責苦を受けているという意味。
親が涙を拭い、嘆き悲しまなくなれば、子供らは責苦を受ける理由がなくなると言うものだ。石を積まされるのは、功徳を積み、その功徳を親に送り、親の悲しみを救い、悲しくとも笑顔で生きて欲しいとを子の願いとすることが、先だった子の責務とされ、親が涙を拭える日こそが、子らの解放される日でもある。
百箇日は
卓蔵は、船頭に導かれるように幼子が乗っているのを見た。説かれている内容では、親が悲しみを乗り越えない限り子供の転生はないとされているが幼子が自ら命を絶つのは考えにくい。病気・虐待・事故によるものが原因だ。
卓蔵は船頭に聞いた。
「この幼子たちの渡し賃は誰が支払っているのか」
船頭は暗い目でぼそぼそと答えてくれた。
「幼子の意志とは関係なく奪われた命は、優先的に転生の道が用意されている聞いている。乗船料は免除だ。早く転生すればするほど残された親の悲しみが薄れる。親が立ち直り新たな子を授かる行為と心構えを持てば、多くが元の親の所で新たな命を育むことが出来るそうだ。新たに授かった子が亡くなった子の面影を持つのは、遺伝子だけの問題ではなく、亡くなった子の生まれ変わりだとされているからだよ」
宗教家でも信仰が深いわけではないが、悲しみを抱き続けるより、新たな生き方を模索するのが合理的だと考えていた。
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