第13話 生霊への裁き
熱い、熱い。麗花は店外から聞こえてくる悲愴な叫びに気を取られているとドア鈴カラ~ンとなった。
「お帰りなさいませ…」とまで言って麗花は言葉を詰まらせた。入店してきた女は、顔が青赤く、雨にでも濡れたのかと思う程、汗が噴き出て流れ止まないでいた。
女は、店内をキョロキョロ見渡し、背中を齎せられる席を選び、勝手に座った。麗花は「まぁいいか」と思いながら、女の様子に敢えて触れないようにした。
「ご主人様、ドリンクと軽食しかありませんが、ご注文は如何されますか」
女は、ぼたぼたと玉のような汗を落としながら、時折、Tシャツの丸首の部分を引き契らんばかりに腹の方に引き下げていた。
「ねぇ、この店、熱いわよ。設定温度を下げてよ」
麗花にとって初めての依頼だった。ここに訪れる客には肉体はない。汗も掻かないし、熱さ、寒さなど感じることはなかったからだ。
「すみません、ご主人様。生憎、エアコンというものは御座いません」
「マジ!今時、エアコンのない店などあるの?まぁ、いいは、じゃ、何でもいいからドリンクを。大量の氷をぶっこんだものなら何でもいいわ」
「再びすいません。当店には氷は御座いません」
「一体、この店、どうなっているの?よくこんなので商売できてるわよね!」
「再び再びすいません、ご主人様」
「もいいい、何でもいいから飲み物を持って来なさいよ!」
「あの~すいません。失礼ですが代金の方は大丈夫ですか」
「代金?」
女が体中をまさぐるも何も持っていないのは、麗花には容易に推察できた。その時、店内の明かりが消え、モニターが立ち上がり、時間が止まった。聞こえてきたのは裁き所の役人の声だった。
「この者の代金は、要らない。これは、無駄な人間粛清計画の一環であり、テストだ」
「テスト?麗花、赤点しかとったことないよ。私も受けるの?嫌よ」
「どこまでもそちは天然だな。受けるのはそ奴だ」
「よかったぁ~」
「そちは、何時ものようにモニターを見、言いたいことを言えばいい」
「えっ、でも、思ったことを言えば、お客様と喧嘩になるじゃん、恐~い」
「そ奴には聞こえない安心して愚痴るがいい」
「そうだったわね、ラッキー。あっ、その前にこのお客様、いつもとかなり様子が違うんだけど、どういうこと?」
「そ奴は、まだ死んでいない。生霊だ」
「そうなの?生きているのにここに来れるの?」
「ここは正確には黄泉の国ではない。入口だ。現世に戻っても感覚は残るが見たり聞いたりした記憶は一切残させない」
「初体験か…。私はいつだったけ~」
「では、始める」
「無視かよ」
スピーカーだけが生きていた。裁きを受けていない現世の人間が登場するため、音声のみに切り替える、と聞こえてきた。一呼吸おいて、この女がなぜ、ここに呼ばれたかの情報が流れてきた。
詳細は裁き所が行う。「そちは感情の部分を補えばいい」と指示された。聞こえてきた内容は余りにも簡素化されたものだった。その内容は淡々と流された。
この女は、騒蟹霊奈という、勿論、仮名だ。霊奈は、14歳の時に初体験を済ませ、異性の要求に快く応える事で寂しさを埋めていた。ただ快楽と時間の浪費だ。そこには短期の満足が存在するだけだ。男は狩人だ、特に若い時期は。結果、飽きられ、それを繋ぎ止めるように無理難題も受けざるを得なくなる。引き摺る執着心の果てに立て続けに子を授かる。霊奈に取れば愛する子であっても男の前では邪魔な存在。自分を求めてくれる子より、求めてくれる男の比重が重い。
麗花「愛されている気持ちで劣等感を忘れる。体目当てのその先を考えたくない。相
手に好かれるために、子育ての苦悩から逃れるためにか…。哀れなことね」
相手の要求に応えるたびに自分の価値を低くする子供の数が増える。その時付き合った男が最後の救世主と思い込み、子供への感情は超絶希薄に。邪魔者。その苛立ちに警鐘が鳴らされた。事件の三週間前に長男を車に放置し通報され、警察にネグレクト(育児放棄・怠慢)と判断され、児童相談所に通告される。これを受けて担当者が連絡したのが事件当日だった。その時、霊奈が子供の変貌を119番する30分前のことであり、連絡が取れないでいた。救急隊が到着したのは、霊奈が男に会うため車を停めていた公園の駐車場。炎天下にエアコンなし。窓は締め切られ、社内はまさにサウナ状態。結果、車内の幼児2人がは意識不明の状態で救急搬送され、その後死亡した。救急隊員と消防隊員が駆けつけた際、幼児2人の体温が40度を超えていた。隊員は「これまで触ったことがないほどだった」「裸にパンツ一枚。蒸された人間だった」と話している。
麗花「えっ。この女、糞だな!」
霊奈は、自分が引き起こした騒動に自暴自棄になり、「無」の状態だった。しかし、取り調べを繰り返し落ち着きを取り戻すと自分が犯した罪の償いを終えるころの自分の年齢に落胆するとともに、子育ての重荷と足枷がなくなった安堵感に支配される。
麗花「本当に最悪!子供たちが可哀想過ぎる!」
スピーカーからの声は、霊奈の怒りの静まりを待たず途絶えた。
麗花「ねっ、可笑しいじゃない。熱かったのは子供達でしょ」
役人「これを見ろ」
と、モニターに映されたのは、逮捕され、警察署に入る姿だった。
麗花「涼しい顔ね。悪いのは私じゃないって、感じ」
役人「平等や差別だ、と騒ぎ、競争社会から目を反らせ、現実世界に放り込む理不尽
さが少数の偽善者の大声で正当化されている狂った世界。それが今の人間界
だ。猫や犬にも劣る、いや、比較するのも悍ましい為体さだ。この生霊は、創
創造者の関係者としての責任において処理するためのテストだ」
麗花「だからこの女に子供の苦しみを味合わせているってこと」
役人「これは悪夢として一生纏わりつくものだ」
麗花「それじゃ、子供はどうなるのよ」
役人「子供の死に関しては、生前年数の短い順に早期転生が叶うとされている」
麗花「せめてもの救いだわ。でも、やっぱり許せない」
役人「やはりそうか」
麗花「気になるじゃない」
役人「いや、そちは気にするな。ただ、裁き所では、通常とは異なり、人間界で裁き
が軽い者に関しては、独自に懺悔の場を与える事を検討中だ」
麗花「じゃ、この女の今の姿は…、灼熱地獄ってこと」
役人「そうだ。身も心も焼き尽くされ、灰になればまた同じ苦しみを永遠に繰り返
す。それを懺悔として受け止めるまでな」
麗花「でも、この女、生霊ってことは、人間界に戻るんでしょ。時間が経つと忘れて
男狂いをしてまた同じことを繰り返すんじゃない。いいえ、もっと巧妙に」
役人「そうだな。だから、死神の名簿を作成する者と試作を練っておる」
麗花「早くしないと新たな犠牲者が出るわよ」
役人「別の案件で、もう、出ておる。悪夢を用いたものだ。今までのように様子見は
出来ない、人間に任せられないとお怒りの神々も現れている。乞うご期待と言
っておく」
そう言い残すと役人は存在を消した。喫茶店に明かりが戻った。そこには、汗だくの女の姿はなかった。ただ、テーブルには両手の掌の跡がくっきりと刻まれていた。
麗花は生前、死後の世界を覗いたと言う話を聞いたことがある。これからは、ただ、俯瞰で自分を見た、というものでなく、心痛を伴うものが増えるのだろうと感じていた。
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