第5話 榊原麗花がメイドになった切っ掛け 

 冥土喫茶の榊原麗花は、メイドとして従事する前、時間の感覚のない三途の河原で彷徨っていた。麗花には幾許かの記憶も感情もあった。ここが死後の世界であると気づいたのは周りを見渡した時の事だった。普通の人、姿が変わり果てた人、様々な見かけない人物がある者は徘徊し、ある者は静かに列に並んでいた。その共通点は、どの人物も血色という者がなく灰色一色だったこと。麗花には、自分の死因の記憶がない。強い衝撃的な事を受け、その前の記憶を失っていた。

 どこからとなく聞こえてくる、いや感じてくる「並べ」という指図に従えないでいた。徘徊する気にも成れなく呆然と辺りを見渡していた。ある一角に明らかに異様な光景が目に入った。麗花は引き付けられるように場違いな建物の前に佇んでいた。その扉が開いた。中から現れたのは、更に異様な思いもよらないメイド姿の女性だった。


 「入る?」


 その女性に急に声を掛けられ麗花は戸惑った。この場に来て初めて会話のできる相手と出会ったからだ。


 「あんた、私と同じ匂いがするね」

 「同じ匂い…。どういうこと?」

 「そうか、記憶がないんだ。行く宛てがないんだったら入りなよ」

 「あっ、はい」

 「あっ、私の背中以外を見ないと約束して」

 「あっ、はい」


 麗花は、その女性に逆らう理由はなかった。言われた通り、その女性の背中を見ながら店内に入った。看板と異なり店内は不気味なほど薄暗く静まり返っていた。


 「びっくりしたでしょ。不気味で」

 「えっ、はい」

 「記憶がないんでしょ、戻してみる、少しだけ」

 「…」


 麗花は、今更記憶など戻してどうなるの、と思い黙って佇んでいた。


 「突然じゃ、戸惑うわよね。さっき、同じ匂いがするって言ったでしょ、興味ない?」

 

 麗花は、面倒くさいなぁと思いながらも話し相手をなくすのも勿体なく思い、社交辞令的に頷いて見せた。


 「本心じゃないわね、うふふ。でも、自分が生前、何をしてきたか知るのは、渡し船に乗る決意にも成るわよ」

 「乗らないとどうなるんですか」

 「私のような例外は除いて、そうねぇ~簡単に言えば、浮遊霊として彷徨い続けるのよ。楽に思えるでしょうけど最も終わりのない苦痛になるのよ」

 「どういう意味ですか」

 「最初はいいかも知れない。私は知らないけど、うふふ。暫くすると生きている者への嫉妬心や執着心が芽生えてくるの、いや芽生えさせられるの。欲しくて欲しくて堪らないものが目前にある。でも、触れる事も出来ないの。この苛立ちは、全身を掻きむしるほど苦しいものらしいわよ。それが半永久的に続くのよ。孤独もね。自ら命を絶つこともできない、そもそも命がないし、電化製品みたいなスイッチもないからね」

 「そうなんですか」

 「聞いた話よ。だって私、ここにいるもん、彷徨っていないじゃない」

 「でも、なぜ、私に声を掛けてくれたんですか」

 「言ったでしょ、同じ匂いがするって」

 「同じ匂いって、何なの?」

 「人を苦しめたことに全く反省の欠片もない最悪の人間だったってことよ」

 「わ、私が…」

 「幸せね、記憶がない事って。嫌な事を思い出し苦しまなくていいもの」

 「私が人を苦しめた?」

 「そう、あなたは間違いなく罪悪人よ」

 「…」

 「このまま渡し船に乗れば間違いなく、ゴキブリや蚊や蠅などに生まれ変わらされ、人間に叩きのめされる運命にあるわ、私の想像だけど」

 「私が、ゴキブリや蚊に…。私は何をしてきたの」

 「知りたくなった、知らなければ後悔するわよ。反省や懺悔は自分がした行いを理解しないとできないものなの。私はそれをここで知る事になったから」

 「あなたもゴキブリや蚊に生まれ変わっていた?」

 「さぁ、私が決める事ではないし、どうやって決めているかも知らないわ。でも、そうなっても自業自得だと思うようになっただけ」

 「そうなんですか」

 「私も今のあなたのようだったの。それを先代の方に救われたようなものよ」

 「ひょっとして、その先代って人も罪悪人だったの?」

 「年金暮らしの高齢者を騙して金を奪ってホストに入れあげていたって。その中には将来を苦にして死を早めた人が多く出たそうよ」

 「私も…似たようなことを…」

 「気になってきたのなら回想ジュースをお勧めするわ。奢るわよ」

 「じゃ、お願いします、あっ、お姉さんのこと何て呼べばいいんですか」

 「私、初夢ミク、うふ」

 「ミクさん」

 

 麗花には聞き覚えがあった。でも、思い出せなかった、似たような名前を。


 ミクの運んできた回想ジュースを肝が据わっていると言うより鈍感な麗花は、何の躊躇いもなく飲み干した。


 「どう?」

 「どうって、私の日常だけど。これが罪なの?」

 「重症ね。じゃ、浄化ジュースを飲んでみて」

 「また、飲むの?」

 「大丈夫よ肉体がないからお腹が一杯にはならないから」

 「そうだけど…」


 言われるままミクの運んできた浄化ジュースも一気に飲み干した。すると、途轍もない苦みが込み上げてきた。


 「ほらね」

 「何がですか?」

 「苦みがあったのでしょ、それが罪悪人の証なの」

 「…」

 「あなたは、そうだなんて呼べばいい」

 「麗花でいいです」

 「麗花ちゃんは、どうしてここに来たの?死因は?」

 「わかりません、記憶がないから」

 「えっ、そうなの?」

 「記憶がないのが珍しいんですか?」

 「そうじゃなくて、死因を知らずに苦みを感じるのが珍しいのよ」

 「そうなんですか」

 「私にはわからないけど、麗花ちゃんが選ばれたのはそのせいかも」

 「そうなんですか」

 「回想ジュースを飲めば、死に至る直前の記憶が蘇るはずなのに、効かないのも初めてよ」

 「私、どうしてここに居るのか知りたい」

 「だったら、私の後を継ぎなさい。多くの死者に接してその苦悩や恨みなどに接すれば分かる事になるかもよ、私がそうだから」

 「そうなんですか?」

 「継がなければ渡し船に乗るのね、でも、渡し賃はないでしょ」

 「じゃ、継ぐしかないわね、はい決まり」

 「…」

 「これで私は、判断を受けられるわ」

 「あの~このお店、ミクさんだけなんですか?」

 「そうよ。注文を受けてあの窓口に伝えるだけ。あとはその窓口から出てくるものを発注したご主人様に渡し、代金を頂くだけの簡単な役割よ」

 「ウエイトレスみたいな」

 「そうね、暫くは私について慣れればいいわ。それまでは付き合うわ」

 「よ、よろしくお願いいたします」

 「あら、敬語、使えるの?」

 「少しですけど」

 「あはははははは」


 榊󠄀原麗花は、ひょんなことから知り会った初夢ミクと名乗る謎の女性から冥土喫茶のメイドを引き継ぐことになった。時間の概念がない賽の河原の喫茶店で幾多の死者を初夢ミクと見送った。段取りも対応も慣れた頃、初夢ミクは、置手紙を残し、麗花の知らない内に渡し船に乗っていた。その日から、麗花ひとりでの接客となった。

 

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