第4話 「いい人」こそ、大罪。
世にも奇妙な喫茶店を出た卓蔵は、三途の川の渡し船の受付に向かった。長蛇の列の最後尾に並び、受付の様子を伺っていた。その間にあれやこれやと考えていたことが嘘のように吸引口に吸い込まれるように列を進んでいた。
「渡し賃は」
「これを…、あっ、余った分は受け取ってください」
「分かった」
卓蔵は、渡し船の後方に座らされた。その後ろには何人かがいた。最後尾には、水しぶきが掛からない施しがなされていた。しかし、卓蔵はそれに関心を示さないようになっていた。
船は渓流を下るように時には激しく上下し、進んでいった。生前との違いは、船の動きに対して発せられる声などは一切ないことだった。洞口に入ると真っ暗になり、腰から抜け落ちるような感覚の後、意識が戻ったのは暗闇の空間だった。そこに何処からともなく名前を呼ぶ声が聞こえ、その声に従い前に進んだ。蝋燭の明かりがほのかにともり、薄明かりの中、正面奥に巨大な人物像がこちらを睨みつけるように鎮座していた。その前に一人の人物像が現れた。その者は、判決を受ける者によって見え方が変わる。生前の宗教が影響し、その人物を作り出していた。その人物から声を掛けられた。
「隅林卓蔵。そなたは自己保身を優先し、偽善を常とする者。その偽善に寄り、周囲を騙し、多くの困惑を生み出し、争いや人間関係を乱した。その罪は重い。卓蔵、そなたは有罪か無罪か、答えよ」
「私が罪を…そんな身に覚えがないことを問われても困惑します」
と、答えながら生前のように振舞っている自分を不思議に感じていた。
「本当の悪人とは己の罪に気づかぬ者を指す。よって、隅林卓蔵は、人間への生まれ代りを許さず。与えられた命を全うするが良い」
「待ってください。私がどのような罪を犯したと言うのですか」
「人の目のある処では偽善者を装い、目のない所で他人を支配下に置いたり、その者の悪口・批判を垂れ流す。愚かな者はその偽善に騙され、真実・事実を見失う。絆という関りで身勝手と言う大罪を犯した」
「全く、納得がいきません」
「人の視線を避けようと隠れる行為は、自らの醜態を隠すため。その反面、真実を見抜けぬ未熟者を言葉や態度で騙し、善人ぶる姿は、醜態としか見えず」
「諍いを好まない私が、人を騙していたと」
「真実を語らぬは、大罪」
「納得がいきません。窃盗も詐欺も傷害事件も犯していません。刑罰といえば交通違反くらいですよ」
「それは人間社会の事であり、ここでは無関係。ここで問われるのは、道徳心よ」
「諍いを好まぬは、面倒な事に恐れをなし、真実に目を背けたもの」
「お、お待ちください」
卓蔵は自分に非のない事を必死で訴えた。すると奥の巨像が目を見開き、
「隅林卓蔵、人間への転生叶わず。結審」
巨像の一言で扉が開いた。そこは真っ暗な闇。その闇から黒煙が卓蔵に纏わりつき闇に引き込んでいった。卓蔵の意識が戻ったのは、多くの人間が悲鳴を上げている工場のような場所だった。そこには、多種多様の虫や動物の映像がアトランダムに映し出されており、判決を受けた者がその前に立つと映像のひとつが裁かれる者の悲鳴と共に流れ作業のように消えて行っていた。卓蔵の番が来た。目前の映像は、鼠だった。私が鼠?そう思った瞬間、すべての意識がなくなった。
ここは、とある百貨店の地下三階にあるゴミ集積場だ。鼠にとっては人間に攻撃されなければ天国のような場所だった。そこで、新たな鼠が誕生した。卓蔵がチップを渡したことで比較的優遇された新たな生き場所を得たものだった。当然、卓蔵の記憶はなく、これからは一匹の鼠として生きていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます