第3話 地獄の沙汰も金次第

 メイドの榊原麗花がにこやかに立ち去るのと真逆に隅林卓蔵は、薄暗い空間に一人残されたような不安に押しつぶされそうになっていた。目が慣れ始めると驚く光景が再び飛び込んできた。


 「何だよ、これ。うわっ」


 卓蔵が目にしたのは、腕や足があらぬ方向に捻じ曲がった者や刃物に刺されたのか血だらけのシャツを着て俯く者、首に切れた縄を巻いた者、齧られた後のある白く風船のように膨らんだ者、特に卓蔵を驚かせたのは、テーブルの上で手を左右に動かし何かを探している者。見るに堪えない光景が点在していた。そこへ、麗花がやってきた。


 「ご注文の浄化で御座います」

 「ああ」


 見た目はクリームソーダのようだがクリームの部分からドライアイスの煙のようなものがふつふつと沸き上がっていた。卓蔵には疑問だらけだった。


 「これは?」

 「ご注文の浄化で御座いますが、何か。あっ、お好みの注入がありましたら、ご遠慮なくお申し付けくださいご主人様」

 「注入?」 

 「増し増す♡とか御座いますが」

 「いやいやいや。これの意味がわからないって言うか…。クリームソーダみたいだけど」

 「あっ、失礼しました。ではご説明させて頂きます。クリームのようなところはご主人様の今の魂の形です。スカイブルーの部分は…冷淡を表しています」

 「冷淡?」

 「はい。ご主人様の生前はここでは冷淡と判断され、その浄化にと用意されたものです」

 「私が冷淡…。見に覚えがないが…。寧ろ、社交的だと思うんだが」

 「それはご主人様の思い込みです。ここでは見た目の行動や発言ではなく、その真意が善か悪かで判断されます。ご主人様の死因は私には分かりませんが、生き様の判定としてご主人様の性格というか思考が問題視されているということです」

 「ちょっと待てよ、それ、誰が判断してるんだよ、迷惑な」

 「それは、私には分かりません。注文を受ければどこからか受け取り箱に注文の品が届き、それを運んできているだけですので」

 「じゃ、君はシェフとか調理人を知らないのか」

 「はい。知る必要もないので」

 「毒とか入っていたらどうするんだ」

 「あははははは」

 「何が可笑しいんだ、失礼だな君は」

 「す、すみません。ご主人様はまだお気づきになっていないようなのでお伝えしますね。ご主人様はもう亡くなっておられます。肉体がなければ毒が入っていても影響がありません。そんなことを気になさることが私にとって珍しいと言わせた要因です」

 「分からない、わかるように説明してくれないか」

 「畏まりましたご主人様。ここに来られる方々は、肉体から魂が離れると自分がなくなったことを自分の感覚で確認されるのが一般的です。中には肉体に戻ろうと幾度も試みる方がおられるそうで、稀に戻れる方もおられるそうです。九死に一生を得る、と言う事でしょうか。殆どの方は、肉体と魂を結ぶ社会生活を営む糸が溶けてなくなり軽くなり、空に向かって浮き上がります。その過程で記憶や感情などが喪失し、ここに来られる頃には無心になられているのが一般的です。ご主人様のように感情や思考が残っている場合は、死を受け入れられていない場合や残留思念が強く残っている場合があると聞いています」

 「さっきから、君は誰から聞いたりしてるのかなぁ」

 「誰と言うか、聞こえてくるので姿を見たとかはありません」

 「じゃ、私は何らかの理由で死を受け入れられなかった、リセットされなかったということか」

 「はい。それだけ軽薄だったということです。考えるより媚びるが先に動き、悪気も善意もなく、よく見られたい、あわよくばその主になりたいとかの本能に突き動かされるタイプかと存じます。ご主人様のようなタイプは自分の行いに自分自身で判断できない状態にあり、リセットではなく、新たに構成し直す処置をなされるようです」

 「全く理解できない」

 「私はただのメイドですから、詳しい事は分かり兼ねます。すみません」

 「君が謝る必要はないよ」

 「有難うございますご主人様」

 「じゃ、その件はいいとして、さっきから後ろのお客さんが手を左右に動かしているのはどうしてなんだ」

 「あの方は、自分の首を探されているんです」

 「ひぇ~」

 「これは経験ですが殺害され首をどこかに放置されたお方だと思います」

 「殺人事件の被害者か」

 「多分。事故ならいずれは見つかるはずですが、事件なら放置された首が見つかるか時間が経ち骨になった時点で戻ってくるはずです。それまではずっとあのままの状態です。誰かが渡し船に乗せて上げれば問題ないのですが、そういう感情や思考が喪失した状態で皆さんがここにいるので待つしかないのです」

 「いや、さっき受付では生前とはあまり変わりないように思えたが」

 「最低限のやり取りができる思考は残されているのもあの場所迄です。ご主人様のように河原で彷徨われている方は別です。助けて上げますか」

 「えっ、いや、それは…」

 「今、助けて自分が不利になると躊躇われましたね。それがご主人様の問われる罪になります」

 「どういうことだ」

 「もし、助けていたら慈悲と見なされ、ご主人様の罪は薄れ、判決に有利に働いたのは間違いありません」

 「じゃ、助ける、助けるよ、どうすればいい、教えてくれ」

 「残念。もう遅いです。ご主人様の助けたいは慈悲ではなく、自己保身に成りますから、寧ろ、罪の上塗りに成り兼ねないと存じます」

 「くそ~」

 「でも、安心してください。偶然にも選ばれたご注文の品は、残留思念を薄める効果があるとされています」

 「そうなのか、じゃ、一気に飲み干してやる」

 「あっ、お待ちくださいご主人様」

 「何だ?」

 「代金の方がまだなので」

 「そうか…。でも、金はないんだ。キャッシュカードならあるけど」

 「ここにはATMは御座いません」

 「じゃ、どうすれば」

 「そうですねぇ~。じゃ、持ち物の全てをお見せくださいますか」

 「ああ」


 卓蔵は、ポケットなど漁ったがこれといったものが見当たらなかった。


 「これしかないが…」


 麗花はテーブルに並べられた品を値踏みした。


 「ご主人様、幸運ですね。ここの代金はこの万年筆で補えます」

 「じゃ、これで。でも、渡し賃は…」

 「ご主人様。係員にその腕時計を差し出せばいいかと」

 「そうなのか」

 「約300円ですからこれで十分でしょう」

 「そうか、よかった」

 「残った分は、係員にチップとして渡せば、揺れの少ないいい席を用立ててくれますよ、きっと」

 「地獄の沙汰も金次第、か」

 「はい、ご主人様」


 卓蔵は、浄化を飲み干すと麗花から成仏なされませ、と声を掛けられ冥土喫茶を出た。

 

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