第十四話 封印の魔法
倒れたまま動かないルーアンの左腕に刺さっていた氷の刃が粉々に砕けて消え去った。そのわずかな一瞬、コーレイの種の匂いを強く感じて血の気が引く。
それは致死性の毒。氷の刃に塗られていたのだろう。
「ルーアン!」
仰向けにすると、その顔色で命の炎が細くなって消えていくのを感じる。香魔の一族でありながら解毒薬一つ携帯していない自分に絶望した時、微かな匂いで思い出した。
「解毒薬……! ルーアン! 〝清麗の雫〟はどこ?」
衣の上から探ると、胸元に硬い感触。深衣の襟から手を入れて、首に掛けられた小さな布袋から中身を取り出す。
白く小さな薬瓶には花々が彫刻されていて、瓶の栓には香魔一族の封印魔法が施されている。
「その芳香は誰が為に。我は汝の芳香を欲す。開け、汝の芳香は奇跡の風を巻き起こす」
呪文を唱え、爪で栓に星を描くと封印魔法が解けた。
横たわるルーアンの息は止まり、その鼓動も微か。全身の力も抜けていて、指を口元に寄せても反応はない。……口移しするしか思い浮かばない。
これまで誰かに口移しで薬を与えたことはなかった。それでも、もう飲む力すら残っていないルーアンを助けるにはこの方法だけ。ルーアンの半身を抱え、薬瓶を傾けて液体を口に含む。
初めて口にした〝清麗の雫〟は薄荷に似た香りと甘い甘い味。一族が創り出す多くの毒薬が甘美な味であると言われるように、この解毒薬も甘い。美しい夢のような味であればある程効果が高いと言われている。
急激に体温を失い冷たくなった唇を感じながら、薬液を少しずつ流し込む。
お願いだから飲み込んで欲しいと心の底から願う。ほんの少しで構わない。この〝清麗の雫〟は十滴も飲めばすべての薬の効果を無効にする。唇を解いて再度薬を含み、目を閉じて願いと共に薬液を流し込む。
ルーアンの手がびくりと震えたのを感じて目を開くと、赤い瞳と至近距離で視線がぶつかった。
「!」
慌てて唇と体を離すとルーアンの頭が地面へと落ち、とても痛そうな打撃音が周囲に響く。
「うぁたたたたたたたっ!」
「あ、えーっと。そ、その、だ、大丈夫ですか?」
声を掛けると、頭を抱えてのたうち回っていたルーアンの動きがぴたりと止まった。
「…………痛くて死にそうです」
「そ、そんなっ!」
心配になって頭を抱えたままのルーアンの顔を覗き込むと、真っ赤になっていた。涙目になった赤い瞳が徐々に赤茶色へと変化していく。
無言で立ち上がったルーアンと、気まずくなった私も視線が落ち着かない。頬が熱くなっていくのは止められなかった。
「…………ありがとうございます。助かりました」
「あ、はい。どういたしまして」
助かってよかったと思う気持ちより、羞恥の方が遥かに強くてまともに顔を見ることはできない。ルーアンも同じように思っているようで、動作がぎくしゃくしてしまう。
「あ、あの、氷の刃を投げてきたのは……?」
「犯人は逃亡しましたよ。正体までは掴めませんでしたが、返し矢の手ごたえはあったので、犯人も私と同じ左腕に怪我をしているでしょう」
「返し矢?」
「仕返しの魔法ですよ。毒までは返せないのが残念です」
ルーアンの深衣の袖は裂けていて、血が滲んでいる。ルーアンは慣れた様子で右手と口を使って手巾で傷口を押さえるように結び、応急処置を行った。
「さて。こちらの始末をつけておきましょう」
そう言ってルーアンは地面に落ちたままだった白い紙の周囲に指で金色の光の円を描いた。白い紙はまるで生きているかのように立ち上がって身を捩るように苦しみ始め、しばらくして倒れた。
「これは?」
「呪いです。不用意に触れると呪われて死に至る。非常に嫌な術ですねえ」
白い紙を拾い上げ、ルーアンは溜息を吐く。
二つ折りの紙を開くと
「これはこれは。酷い術者ですねえ。素人の名と血を依り代にするとは」
「どういうことですか?」
「こういった魔物の幻影魔法は、本来は術者の異名や印影、血を核にすることが多いのですよ。これは術者の物ではなく、おそらくは依頼者の本名と血を使っています。失敗した際は依頼者を切り捨てて、自分は無関係を装うことができます。……だからあの程度の弱さだったということですねえ」
懐に入れたくないと言って、ルーアンは紙を袖の隠しへと入れた。
ほっとした時、握りしめたままの薬瓶に気が付いた。
「あ! これ、勝手に使ってしまってごめんなさい」
小さな瓶に入った薬は残りぎりぎり一回分。私が口にしたことでかなりの量を失っている。
ルーアンは薬瓶を受け取って微笑む。
「謝らないで下さい。これで私の命が助かったのでしょう? ……私は捨て子でしてね。産着にくるまれて籠に入れられた状態で捨てられていました。これは私の首に掛けられていた袋に入っていた物です。私の出自を示す唯一の品。私の魔力でも開けられなかったので、解毒薬が入っているとは思いませんでした」
「この封印は私の一族と皇帝陛下、正妃にしか開封できません」
使用を許されているのも、皇帝陛下と正妃のみ。何故、ルーアンが持たされていたのか全く見当もつかない。
「……この話は、また後日にしましょうか」
先に事件の後片付けをすると言って、ルーアンが苦笑した。
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