第二話 秘蔵の宝玉
龍省に務める文官ルーアンは、私の一つ年上の十八歳でありながら、特別待遇を受ける程の秀才。王宮内に日当たりの良い広々とした個室を与えられている。贅沢を好まない性格からか、部屋には寝台と机と箪笥が二つ。最近になって、二人用のテーブルと椅子、茶器が揃えられた。
テーブルに向かい合って座り、ルーアンが魔法で沸かしたお湯で花茶を淹れる。茶壺に小さな枡で測った茶葉を入れ、沸騰直前のお湯を入れて蒸す。心の中で百を数えて茶杯に注ぐと、美しい夕焼け色の花茶が華やかで瑞々しい芳香を放ちながら広がった。香りだけでも気分が落ち着く花茶は疲労回復の効果もあって、ルーアンの好物の一つになっている。
「本当に残念ですねえ。今日こそは一緒に外へ出られると思ったのですが」
愚痴るルーアンと二人で同時に溜息を吐く。十二日前、初めて二人で王宮の外で休日を過ごす予定だったのに、早朝の後宮で発生した奇病のせいで女性が外に出る事を禁じられた。医術師による検査が行われ、やっと外出許可が出たというのに、今朝、王宮の女官の一人が奇病を発症して、再び王宮から出ることが禁じられてしまった。
「王宮の女官まで発症したのなら、後宮から病気が広がった、と考えるのは当然です。王宮外に感染を広げない為には仕方ないと思います」
自分で自分に言い聞かせてみても残念。年末の休み以外で蒸したての胡麻饅頭が食べられると密かに楽しみにしていた。
この十二日の間に六人が発症していて、後宮内は戦々恐々。噂はいびつに広がって、正確な症状も原因も全く不明。私は手洗いとうがいを徹底するように同僚たちへ勧めるのが精一杯。
「……あの……私が症状を直接確認するのは難しいでしょうか」
「難しいですねえ。朝夕問わず常時、医官と女武官が控えていますから」
「武官が控えている?」
「自傷を防ぐ為ですよ。王宮で血を流せば親族に類が及ぶと脅していても、女性にとっては心的負担が大きいそうです」
その光景を想像してしまって、ますます気の毒になってきた。
「何とかできませんか?」
「それは…………力になりたいと思う気持ちは理解できますが、私は反対します。反対する一番の理由は、カリンの秘密が護れないということです。カリンの創薬魔法を見ていても、私には再現できませんでした。あの魔法は一族の血が強く関係していると推測できますので、知られると厄介です」
私が使うのは、香魔一族の特別な魔法。歴代の皇帝に隠されてきた香魔の能力が知られれば、過去の凄惨な悲劇の歴史を繰り返すことになってしまう。
香魔が作るのは病気や怪我を治す薬だけでなく、毒薬もある。精神に干渉する惚れ薬や、幻覚薬。効果が高いからこそ悪用できる薬もある。一族は皆、年齢よりも若く見える為、不老不死の薬を作っているという誤解もあった。皇帝に保護されるまでの一族は、繰り返し略奪され、逃げ回る生活だったと聞いている。
ふと、第一皇子リュウゼンの言葉を思い出した。
「リュウゼン様が皇帝に即位されたら、一族のことを本当に公表してしまうのでしょうか」
「公表させないように何か策を練るしかないと思いますよ。例えば、公表しない方が利益があると思わせるとか……何か弱みを握って……というのは最終手段でしょうねえ」
驚いた。私は香魔の存在を知られたら怖いとしか考えていなかったのに、ルーアンは対処方法を考えている。
「リュウゼン様に利益がありそうなことを思いついたら教えて下さい。私の方はリュウゼン様の身辺を調べています」
「そんなことができるのですか?」
「龍省は皇帝陛下以外の皇族、貴族や役人の不正を調べる権限がありますからね。リュウゼン様は女性問題が多々ありますが、正直言って弱みにはなりません。もっと決定的な何かを掴まなければ」
「女性問題?」
「将来、月妃にすると約束して平民の女官や侍女と関係を結ぶそうです。口外すれば約束を反故にすると言って口止めすることも忘れない。月妃は五名と決まっているのに、約束はそれ以上。平民の女性を騙すことは、皇族や貴族には問題と思われないそうです。私には理解できませんが」
以前、連れ去られそうになった時のことを思い出して、ぞっとした。『侍女は口が軽いから避けろ』と言っていたのは、このことか。『適当な女官を見繕う』とは、女官は貴族の娘が多いから平民を選べということだったのだろう。
「リュウゼン様がお戻りになるまで、もうしばらくかかります。すでにカリンが私と婚約していると知っても、手を出そうとする可能性もありますから、もっと強い護符を作りましょう」
二箇月の予定で出発した視察旅行の日程は、事故や天候の影響で延びているらしい。
「そういえば、カリンとケイゼン様の噂は無くなりましたか?」
「まだまだ噂は無くなりません。聞かれる度に否定しているのですが、何故でしょうか」
溜息一つ。ケイゼン様との婚約は絶対にないと後宮の千人の女性に訂正して回ることもできないし、もどかしい。
「人は一度信じた事を覆すのは大変ですからねえ。私の名と顔が後宮に知られていないというのも一つの理由かもしれません」
「知られていないのが理由になるのですか?」
「ええ。ケイゼン様の顔は全員ご存じでしょう。でも、私の名と顔は知らない。噂話としては、知らない者よりも、顔も名前も知っている方が面白いですからね」
成程。そう言われれば納得できた。噂話も単なる娯楽と考えれば、私自身にとっては重大でも、皆にとっては他人事。正確さに大して意味はないのか。
「少し気が楽になりました」
「王宮の方では、私との噂が広まってきています。私がきっちり休みを取るようになったと文官の間では驚かれていますよ」
これまでは、なんだかんだと仕事をしていて一日休むことはなかったらしい。
「お休みが取れない程、お忙しいのですね」
「今はそれほどでもありませんよ。担当している行事や儀式に関しては、最初の一年でまとめ上げておりますからね。宰相や大臣の挨拶文を考えるだけです」
「丸暗記で対処できる試験や仕事は、つまらないものでしてね。私は過去の事例にしか正解を求めない王宮の先例主義に疑問を持っています。時が過ぎれば人々も変わる。神々も精霊も求める物が変化していく。同じことを何も考えずに繰り返すことを最上としていては、進歩が無い」
「ですが、絶対に変えてはいけないものもあります。天と初代皇帝で交わされた契約に則った儀式は変えてはいけませんが、時を経るうちに変わってしまった儀式もあります。過去の記録を紐解いて、元々の形に戻す儀式と天に合わせて新たに変えていく儀式を提案して、実現したいと……おや。すいません。誰にも話したことがなかったので、熱く語り過ぎました」
目を泳がせて、言い訳をしながら頬を染めるルーアンの表情が可愛いと感じて頬が緩む。正直言って、話の内容は難しくて完全に理解は出来なかった。
「ま、そういうことですから、一年で仕事は随分と楽になりました。無理はしておりませんよ」
微笑んで立ち上がったルーアンは、箪笥の引き出しを開け、持ち手が付いた古い木製の箱を取り出した。一抱えより若干小さめな箱は両開きの扉が付いていて、墨で書かれた薬という文字がかろうじて読み取れる。
「薬箱ですか?」
「元々はそうでした。豪華な箱では盗まれる可能性が高くなりますからね」
扉を開くと小さな棚と引き出しになっていて、棚にはいつ作られたのかわからない、茶色く変色した
「この薬は古く見えますが、一応使えますよ」
「……確認してもいいですか?」
恐る恐る鎮痛薬と書かれた茶色い薬袋を開くと、赤い油紙に包まれた茶色の丸薬。慎重に開いて匂いを嗅ぐと、確かに薬効成分が感じられた。
「一族の薬とは異なっていますが、とても効果の高い薬ですね」
薬草や薬石の効果が最高に引き出されていて、鋭い匂いに丸みがなく、飲む際に少々の勇気が必要だろう。それでも、その完成度に驚いてしまう。もとは乳白色だったと思われる茶色の軟膏も、成分が失われていなかった。
「私の義父は偏屈な薬師でしてね。自分の気が向いたら薬を作ります。この薬は二十年前に作ったと聞いています。私が王宮へ行くと報告しましたら、これを持って行けと」
「素敵なお義父さまですね」
「どうでしょうか。実物に会っても驚かないで頂けると良いのですが」
一番下の引き出しを引くと内側に黒い布が貼られていて、細かく区切られた中には様々な大きさの丸い紅玉や青玉、翠玉が並んでいた。さらに引き出すと、一番奥にはきらきらと七色に輝く小さな宝玉。
「お見せすると約束していた、私の秘蔵の宝玉たちです」
普段は見せない得意満面の笑みが可愛らしくて、珍しい宝玉よりもルーアンの顔に視線が向いてしまう。ルーアンは、うきうきとしながら次々と七段の引き出しをテーブルに並べていく。
透明な水晶や薔薇水晶。薄い色や濃い色の紫水晶。色とりどりの宝玉は、素晴らしい色と輝きを見せている。これは自慢しても仕方がないと思う。
「この宝玉は何ですか?」
「これは金剛石です。七色に輝き、非常に固い宝石です」
驚いた。物語では文字として見たことはあっても、金剛石の実物を見たのは初めて。小さくても、とても高価な物のはず。
「金剛石も護符に使うのですか?」
「そのつもりで買ったのですが、魔法を跳ね返してしまうので研究中です」
心の中で、ほっとしてしまったのは仕方ないと思う。美しく輝く金剛石を、何かあれば消えてしまう護符に使われるのはもったいない気がする。
私が知らない宝玉を尋ねると、すぐに答えが返ってくる。その知識は豊富で、時間はあっという間に過ぎ、窓の外の太陽が真上に近づいた。
「昼食は王宮の食事処へ行きましょうか。何か食べたいものはありますか」
前回、部屋での軽い食事を頼んだら、テーブルに並べきれない数の料理が来て大変だった。王宮内にはあちこちに官職用の食事処があって、好きな時間に食べることができる。
「先日は海の魚でしたから、今日は川の魚を食べたいです」
「わかりました。先に注文を済ませておきましょう」
ルーアンは見かけによらず大食漢なので、沢山料理が出されても平気。食べる姿は見ているだけで何故か楽しい。また一緒に食事が出来ることが嬉しくて、私は微笑んだ。
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