第五話 裏道の密談
王宮の医局から注文された薬草を袋に詰めて、私とシュンレイ、ホンファの三人は後宮から外に出た。いつもとは違い、桃色の深衣を着た私たちを、女性たちはあからさまに避けていく。単に避けられるだけならまだしも、露骨に嫌な顔をされるのだから気分が下がる。
丁度、多くの女官たちが遅い昼食を取る為に移動する時間で、私たちの周囲だけぽっかりと穴が開いていた。
「……はっきりし過ぎだよねー」
「それは仕方ないかも」
「もう少し穏便に示して頂きたいものよねえ。人通りの少ない道に行きましょうか」
溜息と苦笑交じりでホンファに案内される道へと向かう。医官の恋人に教えられたという裏道は、本当に人がいなかった。窓の無い白壁が続き、緑の木々が生い茂る。その人目の無さに危機感を覚えつつ、ルーアンの護符に無事を願う。
常に人が行き交う王宮や後宮で慣れているからか、静まり返った裏道では口を開くことがためらわれる。三人とも何となく無言になって、足早に歩いていた。
「ケイゼン様、出自の怪しいカリンよりも、わたくしをお選び下さいませ」
突然自分の名前が出てきてどきりとした。強烈な甘い香りは、ランレイが着けている五種の薔薇の香油。香りの方を見ると、建物の影になった場所で桃色の深衣姿のランレイと、水色に銀糸刺繍の上着、白の脚衣姿のケイゼンがいた。二人は対峙するように向き合っている。
シュンレイとホンファも目を丸くして驚いていて、咄嗟に三人で木の陰に隠れた。
「今の言葉は聞かなかったことにしよう。君は未来の青月妃だという自覚を持った方がいい」
「どうかわたくしの言葉をお聞きください。以前カリンの身辺調査をさせましたが、父母と住んでいたという村には、住んでいた記録がありませんでしたのよ。祖母の
ランレイが私を調べたと聞いて驚いた。王宮に出仕する香魔が出身地として名を使う村は複数あって、いずれも帝都からは遠い辺境の村ばかり。皇帝からの直接指名で、これまでは私自身の出自を調べられることはなかった。
「シュカを知っていた陛下が、その孫であるカリンを召喚した。それだけだよ。税記録がないのは、税が免除されているからだ。優秀な薬師でもあったシュカの薬で何人もの皇族の命が助けられたから、その恩賞だと聞いている」
「ですが、シュカの父母についても税記録がないのです。住んでいた村は廃村になっていて……」
「君の父である宰相の調査力は信頼しているが、カリンがいた村は僻地だろう? たくさんの人が住む帝都とは違って、小さな村では村人全員が顔見知りであり、親族のようなものなんだ。もしも誰かが調べに来ても、警戒して本当のことを言わなかっただけかもしれないよ」
ケイゼンの言葉は聞き分けのない子供に言い聞かせるようで優しい。私が香魔であることを隠そうとしてくれている。
「カリンは文官のルーアンと婚約したと聞いている。陛下も喜んで祝ったと仰っていたし、私との縁はないよ」
「それは本当のことですの? 絶対に?」
「本当のことだよ」
ケイゼンの声に、少々の寂しさを感じるのは私の驕りだろうか。無邪気な子供の淡い初恋は、今では完全に終わっている。
「……わたくしが青月妃になれるかどうかなんてわかりませんもの。〝華蝶のかんざし〟を贈ると約束された者もいるようですし。……それに……リュウゼン様は」
「それ以上は口にしてはいけない。人の言葉は誰が聞いているかわからないからね」
ランレイの言葉を遮り、その場を離れようとしたケイゼンの袖をランレイが掴んで引き留めた。
「青月妃になれというのは、父の命令。幼少の頃から、わたくしはケイゼン様をお慕いしております」
ランレイの告白に心底驚いた。青月妃を目指していると思っていたのに。
「私はリュウゼンに成り代わる野心はないよ。ただ、皇子として我が国の安寧と繁栄を願い、働くだけだ。それに私の血を残そうとは考えていない。生涯独り身を貫くつもりだ」
ケイゼンの独り身を貫くというのは、もしかしたら母親の青月妃ユーチェンの罪を償おうとしているのかもしれないと思いついた。ユーチェンの罪は本人のものであって、ケイゼンには責任はないと言いたくても、これまでの話を聞いていたと知られたくないと迷う。
「君の想いには応えることはできない。もう呼び出されても応じないよ」
そっとランレイの手から袖を抜き取り、ケイゼンはその場を離れて行く。
「ケイゼン様、わたくし、諦めません!」
叫んだランレイは振り返り、私たちの方へと早足で歩いてきた。見つからないようにと必死で身を寄せ合い、低木の茂みに隠れたおかげで、ランレイは私たちに気づくことなく去っていった。
「……はー。何か、もの凄いもの見た気がするー」
「意外ですわね……ランレイがケイゼン様がお好きだなんて……」
医局へ向かって歩きながら、シュンレイとホンファは口を開いた。私に気を使ってなのか、ランレイの恋についての話ばかり。
「でもさー、青月妃になれるかわからないって、どういうこと? 婚約者だし宰相の娘でしょ? 確定じゃないの?」
「〝華蝶のかんざし〟を贈ると約束されたのは誰なのかしらねえ?」
約束されたのは、きっと騙された平民の女官や侍女たちのこと。……リュウゼンが私に渡すつもりというのは知られていないのか。
リュウゼンについて、ランレイは何かを言いかけていた。その内容が気になる。
「リュウゼン様って、陛下そっくりで優しくて素敵なのに。もっと優しそうなケイゼン様がいいってことかなあ?」
「そうねえ。人の好みはいろいろですもの」
思わず、二人はリュウゼンの本性を知らないから、と言い掛けて口を噤む。表向きの顔は陛下に似ていても、女性を物のように扱い、平民女性を騙す裏の顔は恐ろしい。もしも裏の顔をランレイが知っているのなら、ケイゼンを選ぶのは当然のこと。
「カリン、どうしたの? さっきから黙っちゃって」
「え? あ、あの、ケイゼン様が独身を願われているなんて思わなかったから」
「……カリン、言っていいのかわからないけれど、ケイゼン様、カリンに失恋したのではないかしら?」
「ええっ?」
「留学からお戻りになったら、カリンが婚約していたから驚かれたとか」
「あ、それはあり得るー。恋に破れて、自暴自棄!」
「ちょ。待って。それは無いから!」
先ほど、ちらりと感じたことを見透かされたようで、恥ずかしい。それはきっと自意識過剰。
「まあ、そのうち新しい恋をするんじゃないかなー。私も失恋したときは、お菓子が食べられないくらいにつらいけど、次の恋を見つけたら、過去はどーでも良くなるしー」
「そうですわよ。カリンはルーアンとの愛を大事に温めればよろしいのよ」
ルーアンとの愛。何故かその言葉で頬に羞恥が集まっていく。ルーアンとは偽装婚約でしかないのに。
「きゃー! カリン、顔が真っ赤ー!」
「あら。本当ですわね」
「ちょ! か、からかわないで!」
やがて裏道を抜けると、医局のすぐ近くに出た。
「お仕事、お仕事! 早く終わらせましょ!」
薬草を届けた後、ルーアンの執務室を覗いてみよう。そんなことを考えながら、私は足を速めた。
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