第四話 満月の芳香
月に一度行われてきた後宮内での市が中止になり、皇帝陛下からの贈り物として日用品が外勤の侍女へ配布された。毎月の支給品とは別扱いで、〝薬園の乙女〟の部屋にも十二個の大きな包みが届けられ、中止が残念と嘆いていた者たちも一転して贈り物を喜んでいる。
木の名札が下げられた紙包みを解くと、全員から歓声が上がった。
「うわー、これ、高そうー」
「素敵! これ、絹じゃない?」
「これ欲しかったの! 嬉しい!」
絹の手巾は繊細で滑らか、綿の手拭いは柔らかで、外国製の
「これは何かしら? 蜜ロウにしては白いし……」
「練り香じゃないかな」
ホンファが手に取った丸く小さな白い陶器に花模様が描かれた容器には、練り香が入っていた。石けんや香油は事前に希望を聞かれた香りで揃えられ、支給品よりも上質とわかる。平たい陶器に入った紅は、色鮮やかで美しい。いつも市で見かけていても、中々手には取れないものばかりで、心がときめく。
「カリンは香り無しでお願いしたんでしょ? 練り香は何の香り?」
「そうね。絵もないし。何かな?」
真っ白な陶器のフタを開くと、ふわりとした新緑のような爽やかさと、ほのかに柑橘系の甘さのある香り。花の名前はわからなくても、遠いどこかで嗅いだ記憶が引っ掛かる。
「良い匂い~!」
「とても良い香りねえ。何かしら?」
盛り上がる二人の前で、ようやく思い出した。満月の夜、香魔の儀式の時だけに祖母がまとっていた香りと同じ。祖母は『月香』と呼んでいた。
興味を示した同僚たちも嗅ぎに来て、全員が首を傾げる。
「これ、何の花?」
「何だろ……不思議な香りねー」
複数の花を合わせた香りではなく、一つの花の香りだとはわかる。香油や花が好きな同僚たちも、全くわからないと諦めを見せた。
「シュンレイ、ホンファ、これ、使う?」
「えー、それはちょっと。良い匂い過ぎて、もらったのバレちゃいそうだもん」
「カリン、陛下からの贈り物を他者に渡しては不敬ですわよ」
「お菓子は良いのに?」
「あれは、人数分ちゃんとあったでしょう? きっと皆に配れるようにという陛下のお気持ちよ」
もしかしたら、陛下から贈られた練り香を祖母は大事に使っていたのだろうか。それとも、祖母が使っていた練り香を陛下が選んでくれたのか。
正直に言って、あまり好みではない香り。というよりも、尊敬する祖母の印象が強すぎて、私にはまだ早いという遠慮が勝っている。いつか祖母を超えられたら。そんなことを考えながら、私は練り香のフタをきっちり閉めた。
化粧品の他にも、花々の透かしが入った紙や糸で綴られた
「これは何かしら?」
茶色の紙箱に入っていたのは、綺麗な色の何かが入った四つの小瓶。手のひらに収まる小瓶には、赤、黄緑、水色、黄色と、透明な色が美しい。中には真珠のような丸い粒が浮かんでいる。
「あ、これ、帝都で流行ってる水飴じゃないかな」
「水飴? 綺麗な色ね」
封蝋を開け、フタを取ると美味しそうな果実の香りが広がる。
「このまま食べてもいいけど、こうするとふんわりして美味しいのよ」
水飴の食べ方を知っている同僚が、箱に入っていた木の棒の使い方を皆に披露し始めた。二本の棒でとろりとした飴をすくい、一本の棒を使って、かき回す。飴は徐々に白く粘性を増して、棒を立てても落ちる事がなくなった。二本の棒でさらにこねると、淡い色の飴に変化した。
「きゃー! 垂れた!」
「うえええ! 難しー!」
「そのままでも美味しいですわよ」
薬の材料としての水飴は知っていても、菓子としての水飴は初めてで、棒だけで練り上げるのは難しい。何とか垂れない程度に練った飴を舐めつつ、皆で笑い合う。白い粒は清涼感のある砂糖菓子で、かりっとした歯ごたえが水飴と対照的で楽しい。
「髪飾りはこれだけかー。残念ー」
絹の
「シュンレイ、せっかく陛下に頂いても、好みの物じゃなかったら困りますわよ」
「それはそうよね」
先日、陛下と交わした話を思い出して笑ってしまう。ルーアンからもらった護符は私の好みにも合っていたから、こうして毎日着けていられる。もしも好みと合わなかったら、着けていなかったかも。
「あ、そういえば〝華蝶のかんざし〟も帝都で流行ってるって聞いたー」
その単語を聞いて、第一皇子リュウゼンを思い出してしまった。
「〝華蝶のかんざし〟といえば、蝶遊苑国の女性の憧れの象徴ですもの。定期的に流行るわねえ。前回は三年くらい前だったかしら」
流行しているとはいえ、流石に本物そっくりの品は作られないらしく、名前を借りただけの単なる蝶の意匠のかんざしばかり。
「ホンファ、〝華蝶のかんざし〟欲しいの?」
「全然。昔は夢を見ていましたけれど、後宮に来てから現実を見てしまったもの」
「だよねー」
〝華蝶のかんざし〟とは、皇帝陛下が五人の月妃のうち、正妃である青月妃に贈る特別な品。過去にはお忍びで外に出ていた皇帝に見初められて平民から皇后になった者もいて、夢見る女性は平民にも多い。
月妃になれば信じられない程の贅沢が出来ると言っても、広大な池に浮かぶ小島で、鳥かごのような月宮暮らし。外に出る自由はない。年に数回の表に出てくる儀式や行事では容姿や装束で他の月妃と争う姿を見せつけられて、月妃同士の戦いは華やかで壮絶と知っている。見ているだけなら絵巻物のようだけれど、自分が戦うのは遠慮したい。贅沢か自由か選べと言われたら、自由を選ぶだろう。
後宮内の儀式では青月妃ユーチェンの髪に常に〝華蝶のかんざし〟が飾られていて、濃い紫水晶で作られた蝶は今にも飛び立ちそうな繊細さで花の蕾に止まっていた。ずっと芸術品だと思っていたのに、贋物だったことを思い出した。
「ああ、だから最近、後宮で蝶のかんざしを付けている方が増えているのね」
おっとりとしたホンファは意外と他者のことをよく見ている。他者に興味がない私は、全然気が付かなかった。
「そうみたい。でも、銀とか真鍮とかばっかで硬いんだよねー。薄絹とか布で作られた方が可愛いのにー」
髪飾りにこだわりを持つシュンレイが口を尖らせる。
「布だと水に濡れたらダメになってしまうでしょ? もしも持っていても、特別な日にしか付けられないかも」
帝都で売っているのを見た、薄絹で本物そっくりの精巧に作られた蝶のかんざしを思い出した。平民が手を出すには勇気がいる価格だったように思う。
「あ、そっかー」
後宮の外勤の侍女に許されているのは、服の下に隠せる装飾品と髪飾りのみ。昔は髪飾りも目立たないものと決まっていたのに、第一皇子の婚約者ランレイが侍女という身分でありながら、公主よりも派手な髪飾りを着けるようになって、その決まりが緩和されたという経緯がある。
「ちょ! 月餅入ってる!」
重めの紙袋には、龍の模様の丸い小型の月餅が五個。毎年、秋の満月に配られる月餅は、胡麻餡と紫芋餡、かぼちゃ餡、白いんげん餡、小豆餡と五種類あって、餡の中には胡桃や松の実、向日葵の種が入っている。どれも美味しくて、皆が楽しみにしている。
「今の時期に食べられるなんて!」
私が好きなのは胡麻餡の月餅。水分少な目の月餅を少しずつかじりながら、花茶を飲むと美味しさが増す。
「陛下、ありがとうございます!」
思わず正直な感謝の言葉が口から零れた。
「カリン、月餅が一番嬉しいって、顔に出ていますわよ」
「だって嬉しいもの。ホンファも紫芋餡の月餅好きでしょ?」
「…………かぼちゃも好物ですわよ。陛下の月餅、甘すぎなくて美味しいのよねえ」
帝都で買える甘い月餅とは全く別物と、私たちは知っている。
「カリンもホンファも食い意地張ってるんだからー」
「へー。シュンレイは月餅要らないんだー」
「そ、そんなこと言ってない!」
月餅の話題で盛り上がった私たちは、花茶を淹れることにした。
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