第六話 砂糖の白珠

 七人目の発症者が後宮に現れ、同日八人目が王宮で発症した。


 医局から注文される薬草の種類が増え、〝薬園の乙女〟の十二名がひっきりなしに後宮の外へと出るようになっていた。その薬草から想像できるのは、皮膚病に対する薬。時には内蔵機能を改善する薬草もあって、医局はありとあらゆる薬を試しているのだと推測できる。心で焦りはあっても、陛下からの連絡を待つばかり。


 早朝の薬草の世話を終え、遅めの朝食を取った私たちは部屋で花茶を飲みながら休んでいた。ルーアンの執務室に常備された花茶の材料をいくつか分けてもらい、全身の炎症を抑える効果を加えている。甘みのある芳香と、さっぱりとした味の花茶は〝薬園の乙女〟全員から好評を得ていた。


「七人目の子、紗雨サウォって言うんだけど同い年なんだよねー。すんごい大人しい美人なの。カリンみたいに、真っすぐな髪が長くてサラサラで」

 私とホンファより一つ年上のシュンレイは、最初に受ける侍女研修の際、サウォと同室だった。第二公主の侍女になったサウォの居室は〝薬園の乙女〟の部屋と近く、時々交流していたらしい。


「どんな状態だったの?」

「同室の子が見たらしいんだけど、なんかこう、顔の左半分が青黒くなって溶けたみたいだったって。本人は静かに泣くだけだったんだけど、同室の子たちの方が怖くて泣き叫んでたって」


 青黒くなって溶けたよう。その言葉で思いつく病はいくつかある。ただ、顔半分だけというのが引っ掛かる。体の左だけに症状が出る病気もあるけれど、顔と限定されると該当しない。


「今朝の悲鳴は同室の方だったのねえ。その方はどうなったのかしら?」

「すぐに女武官が来て、王宮へ連れて行かれたって。他の子にどうしたらいいかって聞かれたから、手洗いとうがいを勧めたの」

 今の所、それが最善。〝薬園の乙女〟の全員がこまめに手を洗い、うがいを徹底している。


「……もう八人かー。怖いよねー」

「そうね。早く原因がわかればいいんだけど」

「医局の医官だけでなく、引退した医官まで駆り出されてるそうなのよ。医官の皆様の体調も心配ですし、早く解決してほしいですわねえ」

 引退した医官は、帝都や故郷で医術師や薬師になっていることが多い。今は帝都限定で、そのうち他の都市からも呼ばれる可能性が出てきた。


「皆ー! 医局から注文が来たわよー! 至急届けてって!」

 朝収穫した薬草を医局に届けた同僚が部屋に入ってきた。医局からの注文書が最年長の藍籐ラントウに手渡され、同年の李花リィカと相談しながら薬草の種類に応じて割り振っていく。


「薬草が収穫出来たら、それぞれがすぐに届けて! 着替えは不要!」

 いつもは灰水色の波打つ長髪を降ろしたままのラントウも最近は一つに結び、リィカは薄茶色の髪をしっかりと結い上げて、いつでも注文に応じられるように緊張感を持っている。


 気持ちが沈んでいても仕事は休めない。私たちに割り振られた薬草の名が書かれた紙を見て、シュンレイが声を上げた。

「あれ? トウシンって、昨日も注文なかった?」

「あった。これを基礎にしてる薬が多いから、沢山必要なんだと思う」

「……足りるかしらねえ。範囲を広げた方が良いかしら」

 トウシンは私たちが担当している場所での収穫量が一番多い。水と肥料をきっちりと管理すれば一年中、何度も花が咲きロウソクに似た実をつける。


「そっかー。じゃあ、注文届けた後、建物の際まで種まいちゃおっかー? トウシンの種って、午後に撒いても平気なんだよね?」

「平気平気。何なら、夜中が一番いいっていう話よ」

「夜中の作業は困るわねえ」

 肥料と水やりの量を計算しながら、私は薬草園へと向かった。


      ◆


 注文された数種類の薬草を入れた布袋を抱えて、私たちは後宮を歩いていた。特に急ぎの品ということで、後宮侍女の印である桃色の深衣に着替える時間もなく、茶色の作業着のまま。


「このまま外に出た事ないから緊張するねー」

「そうね。それだけ急いでるっていうことだから仕方ないんじゃないかな」


 なるべく最短距離を選んで廊下を歩いている時、曲がり角の先から、強烈な薔薇の香りが流れてきた。

「あら……これは……」

「道、変える?」

 あまりにも強い五種の薔薇の香りの正体は、ホンファとシュンレイもすぐに気が付いた。曲がり角を避けて廊下をまっすぐに進むと、遠回りになってしまう。


「行きましょ。普通にすれ違うだけ……」

 私が言い終わらないうちに大きな破裂音が響いて、真珠のような白い粒が数個、ころころと廊下を転がっていく。


「身分をわきまえなさい!」

 ランレイの鋭い叫び声が聞こえた後、曲がり角から桃色の深衣を着た女性が姿を見せた。真っすぐな茶色の髪に碧の瞳、左の頬を赤くした女性は私たちの姿を見て驚きつつも、私たちの横を通って走り去った。


「え……何?」

 困惑する私たちの前へ、ランレイが姿を見せた。美しく結われた銀髪には、瞳の色に合わせた翡翠の髪飾り。銀糸で刺繍された豪華な桃色の深衣に白絹の領巾ひれを羽織った姿は、絵巻物に描かれる天女のよう。いつも手に持っている薄絹の団扇と、取り巻きの侍女の姿は無かった。


「……ごきげんよう」

 ちらりと私たちを一瞥し、不機嫌さを隠しもせずにランレイは第一公主の部屋の方向へと歩き去っていった。突然のことで驚きすぎた私たちは固まったまま見送るのみ。


「……え? 何? 暴力沙汰?」

「真珠は……あら? 真珠ではないのねえ」

 廊下に転がったままの白い粒をホンファが拾い上げて呟いた。

「あ、そうなの?」

 偶然目についた一粒を拾い上げると、真珠とは異なる軽さを感じた。


「これ、水飴に入ってた砂糖菓子みたいよねー」

 シュンレイの指摘が正解に思えた。指で強く押せば潰せそうな感じがある。

「あら。落ちた物を食べてはダメですわよ」

「ちょ。ホンファ、いくら私でも拾い喰いはしないってー」

 苦笑するシュンレイの指が、白い粒を圧し潰した。ふわりと漂う匂いは砂糖菓子とは違っている。砂糖に混ざるのは香料か薬草か。今まで嗅いだことのない異質な香り。


「シュンレイ、すぐに手を拭いて。それから手を洗って。石けんで洗うまでは、絶対に舐めちゃダメ」

「え、カリン。何? これって何か危ない物?」

「まだわからない。調べてみないと」

 

 顔を青くしたシュンレイが近くの手洗いへと走り、私とホンファで落ちた粒を拾い集めると五個になった。潰さないようにとそっと手巾に包み、潰れた粒はホンファの手巾に包まれた。


「……ランレイが落とした物かしらねえ? それとも、先ほどの女性かしら?」

 侍女は私たちよりも少し年上に思えた。十九か二十。そんな年。真っすぐな茶色の髪に既視感がある。

「両方とも、何も持ってなかったよね」

「ええ。そうですわねえ」


 どちらが落としたのかは、二人で考えてみてもわからなかった。戻ってきたシュンレイと合流して、歩き出す。


「ねえ、さっき、ランレイに引っ叩かれてたのって、確か第三公主の侍女だと思う。名前は……えーっと、雅恵ガエイだったかな?」

「知ってるの?」

「知り合いじゃなくて、去年の星詠みの時に私の前に並んでて、後姿がカリンに似てるなーって思ってたの。顔は全然違うけどー」

 星詠み。その言葉を聞いて胸がきりりと痛む。青月妃ユーチェンは、毎夏に行われる『星詠みの宴』で占星術師にそそのかされて私の両親を殺した。


「シュンレイって、去年は一番人気の占星術師に並んだのでしょう? その間、話はしなかったの?」

 誰にでも明るく話しかけるシュンレイが長時間並んでいたのなら、周囲と仲良くなっているだろう。

「一応話しかけて挨拶してみたんだけど、深刻な顔してて、それどころじゃないみたいな感じだったんだよねー。だから後ろの子たちとしゃべってたの」


 シュンレイの言葉で、私の既視感の正体がわかった。茶色のまっすぐな髪は私と同じ髪型で、いつも鏡で見ているからだろう。私と同じ髪型の女性は、後宮内にも多数いる。


「身分をわきまえるって何かしらねえ?」

「何かランレイって高慢だよねー。いつものことだけどー」

 高慢であっても、直接手出しをしたことに私は内心驚いていた。いつもは取り巻きの侍女たちに実行させていたのに。私は二人にランレイからの嫌がらせを相談してこなかったから、いきなり暴露するのも迷う。


「そろそろ出口ですわよ。割符を」

 後宮の出口に設置された検査場所には、袋を持った他の乙女たちも並んでいた。全員が茶色の作業着で、何となくほっとする。


「届けたら、すぐ戻る?」

「ちょっとだけ、友達に話し聞いてくるー」

「私も、医局の話を聞いてみようと。カリンもルーアンの話を聞きに行けばよろしいのよ」

 シュンレイもホンファも私がルーアンに会いに行くことはわかっているらしい。


「あ、でも、この服だと、どうしようかなー」

「あら、可愛いですわよ。新鮮と思って下さるのではなくて?」

「そうかなー」

 そういえば、この作業着姿をルーアンに見せたことはなかった。偽装婚約だと自分に言い聞かせているのに、どう思われるのか気になるのは何故なのか。


 複雑な気持ちと真珠のような粒、そして薬草の袋を携えて、私は後宮の門を出た。

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