第七話 隣国の手紙

 医局へと薬草を届けて、私はルーアンの執務室へと向かった。作業着姿なのが気になりつつも、それよりも手巾に包んだ白い粒の正体が気にかかる。


 扉を指で軽く叩くと、すぐに開いた。人の好い笑顔のルーアンには違和感を感じてしまいつつも、会えると嬉しい。

「カリン、来てくださって嬉しいです。どうぞ」

「あの、お忙しいのではありませんか?」

 灰色狼を連想させる色の髪がぼさついていて、目の下には疲れを示す黒い隈ができている。たった二日会わなかっただけでこれほど変わってしまうのか。


「徹夜が続いただけですよ。今日は眠れる予定ですから、ご心配なく。さ、どうぞ」

 私が執務室へと入って扉が閉められると、ルーアンに抱きしめられた。ルーアンが使う爽やかな竹の香りと、くっきりとした墨の匂いが鮮やかに香る。突然過ぎる行動で、羞恥が頬へと集まっていく。

「ちょ! 何をするんですか!」

『……窓の外に人がいます。少しだけ我慢してください』


 囁きながらルーアンが視線で示した窓の外を見ると、建物の陰に人影が見えた。通りすがりではなく、監視されているように感じて、熱くなった頭が冷えていくのがわかる。


『私に付けられた間諜ですか?』

『違います。カリンではなく、私に付けられたのだと思いますが……官職の間諜とは流儀が違うのですよ。普通は対象者に対して姿を見せることはしません。ところが、常に監視していることを知らせるように隙を作っています。……夜の後宮の道も使えないので……疲れますね』

 

 疲れた溜息が耳元で聞こえて心配になってきた。そっと背中に手を回して抱き返すと、ルーアンの鼓動が跳ね上がったのがわかって、つられるように私の鼓動も早鐘を打つ。


『私に何か用ですか?』

『はい。王宮の薬師部屋を使わせて頂けないかとお願いに』

 抱き合ったまま、私たちは囁くような会話を交わす。離れて話をするのが普通と思いながらも、ルーアンの腕の中は暖かくて心地いい。二人の胸のどきどきは止まらなくて、冷えた頭が再び熱を上げていく。


『薬師部屋? 何かありましたか?』

『後宮で拾った物の正体を確かめたくて』

 〝薬園の乙女〟の部屋では広げて確認できないし、もしも危険な物であれば困るので他者が介入できない場所が良い。薬師部屋なら試薬も置いてあるだろうから、内容物を調べることもできる。


『……座って話をしましょうか』

 そう口にしながら、ルーアンの腕の力が強まった。ぎゅっと抱きしめられて、胸の鼓動は限界まで上がっていく。どきどきとする気持ちと、ほっと安心する気持ち。二つの気持ちが混ざり合って、私の手の力も強まってしまう。離れなければと思うのに、このままルーアンの香りに包まれていたいと思う自分がいる。


 唐突に執務室の扉が勢いよく開いた。

「ルーアン! ……うわっ! ご、ご、ごめん!」

 顔を真っ赤にして叫んだのは、茶色の短髪に翡翠色の瞳。深緑色の兵服姿は宰相付の護衛兵・ハオだった。ルーアンと私も慌てながら離れて距離を取る。


「な、何か御用ですか?」

 人の良さそうな笑顔を作ったルーアンの頬が若干赤い。どきどきと高鳴る胸を抑えつつ、私は静かな深呼吸を繰り返す。偽装とはいえ、婚約者なのだから見られても問題はないはず。


「え、えーっと……何だっけ?」

「宰相様の御用事ではありませんか?」

「あ! そうだった! 隣国の王の手紙の返事を考えて欲しいって!」

 ハオが手に持っていた黒い書簡箱を開けると、美しい花々の彫刻が施された木の箱。その中に数枚の手紙が入っていた。手紙は外国語で書かれていて、私にはさっぱり読めなかった。


 ぱらぱらと枚数を確認したルーアンが口を開く。

「これは……少々お時間を頂かなければ。夕刻まで掛かります」

「ええっ? それでいいの? 宰相は最低でも二、三日は掛かるだろうって言ってた!」

 宰相が数日と見積もった返事を夕刻までで済ませてしまうのかと、ルーアンの優秀さに驚く。


「隣国の王の頭が冷えないうちに、返事をする方が良さそうですからね。今回も清書するのはハオですか?」

「そうだよ。俺は字なんて書きたくないけど、宰相から親父に文句言われたら困るもんね」

 いろいろと複雑な話になってきたと思った所で、ハオは退室して行った。


「……お忙しいのですね……」

「自慢ではありませんが、夕刻まで掛からず、すぐに終わりますよ。隣国の王は非常に短気な方でしてね。カッと頭に血が上ると外交問題になりそうな剣幕で本人が手紙を書き散らしてくるんです。中身は大したことのないものですが、以前はその意図がわからず、返事に一月を要していたとか」


 ルーアンの得意満面の笑みに笑いつつ、一月掛かっていた返事を半日以内で終わらせる頭の良さに素直に感心してしまう。国王による外国への手紙なら、普通は宰相や大臣、外交官が文章を練り代筆して国王の承認を受けて出されるもの。我が国の皇帝陛下の手紙も、龍省の文官や宰相が素案を作って代筆し、陛下の承認の流れを経て外国へと送られる。


「おや、これは……」

 最後の一枚を目にした途端、ルーアンの笑顔が消え、口を引き結ぶ。

「何が書かれているのですか?」


「……我が国の天候や旬の食べ物の文句がいろいろと書かれていますが、……灰色狼にはつがいが必要だから、三番目の宝珠を授けるというのが本題でしょうねえ」

 灰色狼。その言葉にどきりとした。

「それは一体?」

「要約すると、第三王女の婿として私を寄越せと書かれています。隣国の王への返事を書き始めて一年近くになりますが、何故か私を気に入ってくださっているようでしてね。前回は留学のお誘いでしたが、こうきましたか……」

 隣国の第三王女にルーアンが婿入り。予想も想像もしていなかった光景が、一瞬で頭を駆け巡る。


「もちろん断りますよ。灰色狼にはすでに美しい番がいると書きましょうか。それとも至高の宝玉にしますか?」

「そ、それはほめ過ぎです! 第一、私たちは……」

 偽装婚約。そう言い掛けて口ごもる。


「私はカリンが好きですよ」

 ルーアンは、そんな言葉をさらりと口にして優しく笑う。どきりと胸が高鳴って、頬に羞恥が集まっていくのがわかる。


「さて。こちらは置いておいて、カリンが拾った物を見せて頂けますか?」

 返事が出来ずにいる私を見て、ルーアンは話題を変えた。窓の外へ私が背を向けるように執務机の椅子に座らせて、ルーアンは窓へ向かって折り畳みの黒い箱のような椅子に座る。


 服の隠しポケットから二枚の手巾を出して、机の上に広げる。五粒の真珠のような白い玉と、潰れた粒をルーアンに示す。

「砂糖菓子のようですが、いままで嗅いだことのない香りを感じて……あれ?」

 潰れた粒からは、香料か薬草の香りが消えていた。手で香りを扇いでみても、全く匂わない。最終手段で、粒が乗った手巾を鼻に近づけてみても結果は同じ。


「どうしました?」

「……香りが消えています。ただの砂糖菓子になってしまいました……」

「そうですか。空気に触れると揮発してしまう物かもしれませんね。この真珠のような堅い被膜がその香りを閉じ込めていたのでしょう」

 ルーアンの言う通りだろう。潰れていない玉は、砂糖菓子の香りしか感じなかった。


「すぐに薬師部屋へ行きたい所ですが、今は薬師が夜まで詰めています。人がいない時間を確かめてからになりますね。どうしても急ぐということなら、今から設備が揃っている私の実家まで馬でお連れしますよ」

 ルーアンの養父は腕の良い薬師。家は王都の端にあると以前聞いている。すぐに確認したいとは思っても、徹夜続きで仕事を抱えて疲弊したルーアンを連れまわすことは気が引ける。


「それほど急ぐ物ではありませんので、人がいない時間を教えて下さい。それと……この粒を預かっていただけますか? 常に持っていることも難しいので」

「わかりました。お預かりしましょう」

 包んだ手巾は、ルーアンの執務机の鍵が付いた引き出しへと入れられた。


 これ以上ルーアンの仕事を邪魔できないと、後宮へ戻る為に立ち上がる。ルーアンも扉の前まで来てくれた。


「……今夜はちゃんと眠って下さい。……心配です」

「大丈夫ですよ。こう見えても体力には自信があります」

 意地悪で優しい笑顔のルーアンを見て、安堵しつつも気になってしまう。


「絶対眠ると約束してください」

「わかりました。眠ると約束致しますよ」

 苦笑するルーアンへの名残惜しさを隠して、私は執務室を後にした。

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