第八話 義父の少年

 ルーアンに白い砂糖菓子を預けた翌日、就寝前で皆がくつろいでいる時間に赤い深衣をきっちりと着こなした女官が訪れた。


「女官長からの呼び出しです。カリン、支度をしなさい」

 表情を消した女官の口から官長という単語が出た瞬間、部屋にいた全員の背筋が伸びて緊張感が走る。心の準備は出来ていたので、桃色の深衣への着替えに時間は掛からなかった。


「お待たせして申し訳ありません」

「……案内します。ついてきなさい」

 女官の冷たい態度も言葉も気にならなかった。陛下からの連絡か、それともルーアンか。女官長に呼ばれる他の理由は思いつかない。


 夜の後宮内は人気もなく静かな空気に包まれている。魔法灯ランプの光が、廊下の隅に暗い闇を作り出し、その陰影が不気味な雰囲気を醸し出す。女官は無言のまま早足で進み、案内されたのは女官長の後宮での執務室。女官の頂点に立つ女官長は、王宮と後宮にそれぞれ執務室を持っている。


 女官長の執務室は白の土壁に落ち着いた赤茶色の柱。歴史を感じる彫刻が施された机や書架は濃茶色で統一されている。掃除が完璧に行き届き、すべての書類や本がきっちりと揃えられていて、清潔感が漂う中、後宮の裏庭に咲く素朴な花が美しい器に活けられて、優しい芳香を漂わせていた。


「ありがとう。カリンと二人きりで話をします。長く掛かりますから、部屋に下がりなさい」

 執務室の机に向かっていた女官長が微笑み、女官は深く頭を下げて退室していった。


「カリン、陛下からの伝言です。『龍省尚書ルーアンと共に問題解決を頼む』とのことよ。今から王宮へと向かいます」

 立ち上がった女官長は手下げ型の魔法灯を持ち、執務室の奥にある扉を開いた。扉の中の小さな部屋には、さらに三つの扉があり、右の扉が開かれて、二人で並んで王宮に向かって歩き出す。 


 階段を降り、暗く狭い板張りの廊下は良く磨かれていた。白い土壁に赤い柱が続く。床は魔法灯の光を反射し、周囲をぼんやりと照らし出す。おそらくは地下を通って王宮へと繋がっているのだろう。長い道の途中で女官長が口を開いた。


「カリン。一つだけ、確認をしておきたいの。ルーアンとの婚約は、貴女の意思かしら?」

「はい」


「ルーアンのどんなところが好きなの?」

「……とても優しくて、頭が良くて……でも、実は努力家で……あの……その……一緒にいると、安心できます」

 ルーアンに抱きしめられた時のことを思い出して、頬が熱くなっていく。ルーアンの匂いに包まれると安心できると、正直に言う勇気は無かった。


「そう。それなら良かった。……誰かに強要されていないかと心配していたのだけれど、その必要はなかったわね」

 安堵の息を吐き、女官長は優しく微笑む。女官長は、一体誰に強要されたと思ったのだろうか。そんな疑問が口から零れた。

「誰か?」

「例えば陛下とか、宰相ね。権力を持つ殿方は、平民女性の意思を軽視しがちなの。身分や家の血に縛られた皇族や貴族と違って、私たち平民は結婚する相手を自由に選んでいいのよ」

 女官長は平民から成り上がった人だったと思い出した。何度も試験を受けて官位を上げ、女性としては最高位、大臣と並ぶ官位を獲得している。


「貴女とルーアンが立ち向かう『問題』が何なのかは、私に知らされてはいないけれど、もしも私が手伝えることがあれば何でも言ってね」

「ありがとうございます」

 陛下が『問題』を女官長に話していないのは、きっと私が香魔であることを隠すため。陛下と女官長の思いやりに心から感謝の気持ちが沸いてくる。


 やがて現れた扉を開くと、王宮の女官長の執務室へと繋がっていた。

「もう待っているでしょう」

 促されて執務室の外に出ると、鉄紺色の深衣を着たルーアンが待っていた。いつもと違い、緊張した真剣な眼差しが凛々しく見えて、場違いと思いながらも胸が高鳴る。昨日会った時の疲れた表情は消え去っていてほっとした。


「お待たせしました」

「お気になさらず。……行きましょうか」

 煌々と輝く魔法灯の下、二人で王宮の廊下を歩いていると人がいないことに気が付いた。王宮では昼夜問わず、人が行き交っているのが普通の光景なのに、静まり返っている。


 新月の夜には窓や格子を閉ざしていても、建物内では普通に生活しているはず。ましてや今日は新月ではない。


「どうしましたか?」

「人が……」

「今夜はみ日という御触おふれが出ておりましてね。皆が部屋に籠っております。……王宮内に精霊が現れるそうですよ」

「精霊……ですか?」


「精霊の姿を見た者は死ぬそうで。もしも見てしまっても口外しなければ命は助かる……とか。百年前には、精霊出現による忌み日は頻繁にあったそうですよ。昔から使われている方法なのでしょうねえ」

 苦笑するルーアンの顔を見て理解した。きっと精霊というのは私たちのこと。私たちの行動を隠すために陛下が手を回したということか。

 

 病にかかった者が隔離された場所へと向かう途中、壁に寄りかかって誰かを待つ少年の姿が見えた。歳の頃は十二、三歳。藤色の短髪に赤い瞳。大人びた灰水色の深衣が不思議と似合っている。

「お待たせしました」

「ああ。随分と待たされた。……ほう。これはこれは可愛らしいお嬢さんだな」

 ルーアンが挨拶した少年から発せられた、あどけない顔に似合わない大人の声に驚いた。


「カリン、紹介します。こちらが私の義父、星灯セイトウです」

「あ、あの。カリンと申します」

 義父と聞いて、さらに驚く。見た目は完全に少年で、慌て過ぎて頭を下げるのが精一杯。


「驚くのも無理はないが、呪詛を受けて外皮の成長が止まっているだけだ。今年四十七になるから、子供扱いはしてくれるなよ」

 陛下より一つ上。そう考えても、尊大な態度の子供にしか見えなくて戸惑う。口の端を上げる意地悪な笑顔がルーアンにそっくりで、何故か肩の力が抜けていく。血は繋がっていなくても、親子。そんな気がした。


「お前と婚約するなんて、どこの物好きだと思ったが、可愛らしいお嬢さんだな」

「可愛いだけではありませんよ」

 口を引き結んだルーアンが発した不機嫌な声が、どことなく羞恥を含んでいるようで、隣に立つ私まで何故か恥ずかしくなってくる。


「昨日、あの男からルーアンの婚約祝いの酒が俺の家に届いてな。あの男が娘扱いする相手なら、面白そうだから見に来た」

「あの男?」

「皇帝のことだ。俺はあいつが苦手でな」

 帝都では、婚約が成立した際に女性の家から祝いの酒が男性の家に贈られ、結婚が成立した際に、男性の家から女性の家へ祝いの金品を贈ることになっていることを思い出した。両親のいない私に替わり、陛下が祝いの酒を届けてくれたのか。偽装婚約なのに、陛下まで巻き込んでしまっていることが心にずしりと重くのしかかる。


「カリンの顔を見たのですから、気がすんだでしょう。どうぞお帰り下さい」

 セイトウが王宮へと来たのは、奇病のこととは全く関係がないらしい。軽く頭を下げたルーアンは、私の手をそっと握って、先へ進もうと視線で促す。


「まあ、待て。あの男が百年ぶりに忌み日を持ちだしたのは、お前たちの逢引の為ではないだろう? 何の為だ?」

「義父上には何も関係のないことですよ。時間が限られておりますので、これにて失礼致します」


「お嬢さんは〝薬園の乙女〟か?」

「は、はい」

「ならば俺も同行しよう」

「……顔を見るだけだと言ったでしょうが。だから嫌だったのです」

 ルーアンは片手で顔を覆い、大きな溜息を吐いて歩き出し、私たちの背後をセイトウが着いてくる。私は会話のつながりが全く理解できずに困惑するのみ。


「あ、あの? どういうことでしょうか? お義父とう様もご一緒に?」

「ああ、説明が必要だな。……俺が久しぶりに王宮に来てみれば、今夜は忌み日。さらにどんな薬も効かない奇妙な病が流行っていると聞いた。皆が部屋に引きこもるというのに、我が息子は外に出て、未来の娘に会うというじゃないか」

 セイトウの声は弾むように楽しそう。私の手をひくルーアンはどこか遠い目をしながら、また溜息を吐く。


「現れた娘は薬草の匂いと花の香りをまとっていた。〝薬園の乙女〟で薬草を育てているのだから、薬草の匂いをさせていても不思議はないが、俺は今までの経験から、お嬢さんは薬師だろうと予想した。あの男があらゆる手段を使って隠したいのだから、相当優秀な薬師だ。そんなお嬢さんが奇病の薬を創るというなら、薬師の端くれである俺も、多少は力を貸せるかもしれない、と思った訳だ」

 ほんのわずかな時間の中で、そこまで考えているとは思わなかった。説明がなくてもルーアンは理解していたらしい。


「ここからは黙って下さい。義父上の声は無駄に響きますからね」

「無駄とは失礼な。……ここは確か隔離区域……そうか。まずは病状の確認からか?」

「そうです。私たちも初めて確認します」


 渡り廊下の先、赤と金の美しい装飾で飾られた建物は、魔法灯の光もなく闇の中に沈み込んでいた。

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