第九話 青蝶の遺毒
赤と金の美しい格子で飾られた建物の入り口には兵の詰め所と思われる部屋があるものの、人気は全くなかった。ルーアンが預かっていた鍵束を取り出し、固く閉まっていた入り口の鉄扉を開く。扉が軋む気味の悪い音はすぐに消えた。
「消音魔法だ。建物から外部への音を消す」
どうやらセイトウは魔法を使うことができるらしい。その手に現れた白い紙の護符が緑の炎を上げて消えた。
詰め所に置かれていた手提げ型の魔法灯を持ち、私たちは廊下を進んでいく。症状が出た八名は個室で隔離されていた。
「百年ほど前までは、ここは王宮や後宮で罪を犯した女を隔離する場所だった。色が塗られていてわかりにくいが、窓の格子はすべて鉄製だ。床下には鉄の板がはめ込まれていて、脱出や救出が困難な仕様になっている」
美しい彫刻や格子の意味を知ると、見えてくる光景がさらに不気味さを増す。磨かれた廊下の染みが意味ありげに見えてきた。
「まずは最初の患者からにしましょうか」
「おいこら、馬鹿者。女の居室の扉をいきなり開けようとする奴は死罪相当だぞ」
扉に手を掛けたルーアンに対して、セイトウが抗議の声を上げた。
「医術師から投与された睡眠薬で眠っているはずですよ」
「そうか。ならば、まずカリンに見てもらうべきだな。……カリン、俺たちが入ってもいいか確認してくれ」
セイトウに促されて扉の中を覗くと、白い寝台の中で艶めかしい足が最初に目に入って、ぎょっとした。深い眠りについた紫色の長い髪の女性は寝相が良くないようで、掛け布は床に落ち、白い夜着の襟がはだけて、豊かな胸が零れ落ちそう。
「……少しお待ちください。整えます」
セイトウの指示は正しかった。完全に眠っているとはいえ、寝乱れた姿を男性に晒したくはないだろう。正直に言えば、ルーアンに見て欲しくないと思う。
部屋に滑り込んで近づくと女性が完全に眠っている寝息が聞こえて、ほっとする。月明りと窓からの灯りをたよりに女性の夜着の胸元を軽く整え、床に落ちた掛け布を掛けて体と足を隠す。顔に掛かったまっすぐな髪を慎重にすくいあげると、顔の左半分が青黒く変色していることが確認できた。
「どうぞ」
ルーアンとセイトウが部屋の中へと入り、魔法灯の光を強めて三人で女性の顔を見つめる。年齢は私よりも少し上。整った顔の左半分が青黒くなって爛れていた。火傷の痕とは違い、顔が溶けたという表現がぴったりに思える。爛れた症状と傷の匂いから、いくつかの皮膚病と内蔵の病が思い当たるものの、疑問が残る。
「……何故、顔半分なんだ?」
セイトウも私と同じ疑問を持ったらしい。鼻の中央を通って、きっちりと直線を引いたように顔半分に特定の症状が現れるというのは聞いたことが無かった。
「次の患者も見てみましょう」
ルーアンの提案により、私たちは隣の部屋へ移動することにした。持ち上げた魔法灯の光が何かに反射して、きらりと強く煌めく。光った方を見ると、女性の枕元に置かれた手巾から、小振りの銀色の蝶のかんざしが飛び出ている。蝶の目にはとても小さな金剛石がはめ込まれていて、魔法灯の光を受けて七色に強く輝いていた。
「どうかしましたか? ……かんざし?」
「ほう。これは奇妙なことだな」
「奇妙ですか? 大事な物を枕元に置くのは、不思議はないと思います」
私もルーアンからもらった腕輪の護符を枕元に置いて寝ている。きっとこの手巾に包んだかんざしも、この女性にとって大事な物なのだと思う。
「隔離する場合、普通は自刃を防ぐために、かんざしは取り上げるものだがな。首飾りも
そう言われて、自決を防ぐ為に女武官が付き添っていることを思い出した。そこまで警戒しているのに、かんざしがあるのは不自然。
隣の部屋も同様に私が最初に中を確認すると、深緑色の長い髪の女性の寝姿は整っていたものの、掛け布が床に落ちていた。軽く叩いた掛け布を女性の体に掛けてから、扉の外で待つ二人を呼ぶ。
「王宮で使う睡眠薬はいくつかあるが、人を完全に眠らせて副作用が少ない物は一つしかなくてな。その薬を使うと、深く眠る直前に暑さを感じて自ら夜着を乱すことがある」
セイトウの説明を聞いて掛け布が落ちていた理由に納得し、二人で患者の顔を覗き込む。女性は仰向けで眠っていて、やはり先ほどと同じで、顔の左半分だけが異常を示していた。
「この者も顔半分か……おいこら、馬鹿者。窃盗は許さんぞ」
セイトウの視線の先、ルーアンが壁際に置かれた飾り棚を覗き込んでいるのが見えた。
「違いますよ。……これを探していました」
ルーアンが指で指示したのは、絹の刺繍が施された手巾に包まれた細長い何か。ちょうど寝台から見える位置に、恭しく置かれている。
「ほほう。カリン、それを開けてみてくれ。男が女の物に無断で触れる訳にはいかんからな」
同性でも無断で触るのは気が引ける。セイトウの再要請で慎重に手巾をめくると、中からは金色の小さな蝶のかんざしが現れた。目には小さな金剛石が煌めいている。
「今度は真鍮に金剛石か。意匠も材質も異なるが、金剛石は同じだな。……蝶のかんざしは流行しておるのか?」
「はい。帝都で三年ぶりに流行していると聞いています」
「で、我が息子は、これがあると何故分かった?」
「分かったというより、嫌な予感が外れれば良いと考えただけですよ。ここでは話せませんから、後程説明致します」
見つけたくはなかったとばかりに、ルーアンは溜息を吐く。
「次もあると思うか?」
「……おそらく」
ルーアンの予想は当たっていた。長くまっすぐな紺色の髪が美しい三人目の患者は、寝台から手を伸ばせば届く窓枠に、小振りの銀色の蝶のかんざしを飾っていた。その蝶の瞳にも小さな金剛石が輝いている。
「病状は同じで顔半分に発症。蝶のかんざしは様々だが目には金剛石。奇妙な話だな」
八人全員の症状を確認し、同時に全員が金剛石が嵌められた蝶のかんざしを所持していることが判明した。
「カリンの見立てはどうだ?」
「顔半分という条件を除けば、
「そうだな。俺もカリンと同意見だ。症状の見た目は酷いが、八種の薬草入りの軟膏か内服薬で改善する簡単な病のはずだがな。王宮の医術師も薬師も薬は試しているだろう」
青鈍溶岩瘤は、林や森の中で働く者がごく稀に発症する。野山に住む青色蝶が蜘蛛に食べられる際に遺す毒が原因で、滴り落ちた毒が体内に入ると症状が出ると一部では知られていた。
「蝶のかんざしを持つ者が、蝶の毒にやられた。……嫌な偶然だな」
「偶然ではありませんよ。寝言は寝てから言って下さい」
「寝言とは失礼な。勿体ぶらずにお前が持つ情報を開示しろ」
「勿体ぶるのは、義父上の得意技でしょう」
尊大なセイトウと意地悪なルーアンのやり取りを見ていると喜劇か何かのようで、場違いに笑ってしまいそうで困る。
「カリンはどこで薬を創るのだ?」
「あの……まだ薬を創るかどうかは……」
顔半分が気になって、普通に香魔の薬を創っていいのか悩む。
「話をしますので、場所を変えましょう」
返事に詰まった私を見て、ルーアンが移動を提案してくれて、ほっとした。
「カリン、焦って結論を出さないで良いですよ。死に至る病でないのであれば、時間はあります。八人とも自死とは遠いようですし」
ルーアンの言葉を不思議に思いつつ、肩から力が抜けていくのがわかった。
「これからルーアンの執務室へ行くのですか?」
「いいえ。王宮の薬師部屋へ行きましょう。お預かりした物もお持ちしています」
そうだった。私は、真珠のような砂糖菓子の件をすっかり忘れていたことに気が付いた。
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