第十話 共通の特徴
王宮の薬師部屋は先日訪れた時とは様子が異なっていた。きっちりと掃除されて片付いていたのに、壁面を埋め尽くす引き出しの前には、口が縛られた大きな布袋が二十数個積み上げられている。袋はあちこちが汚れていて、薬草の納品用のものとは異なる。
「何だこれは? ……ふむ。薬の失敗作か?」
布袋越しに、微かに漂うのは様々な薬の匂い。塗り薬や飲み薬、通常の薬とは違うのは、少しずつ薬草や薬石の配合を変えた結果なのだろう。
「炉がまだ温かい……ぎりぎりまで職務に励んでいたということか。だが、道具はしっかりと洗浄してあるな。……今現在務めているのは、真面目な薬師ばかりだな」
セイトウは慣れた様子で部屋の中を歩き回り、道具や設備の確認をしている。その姿は全く似ていないのに、何故か祖母を思い出して懐かしさを感じてしまう。
「この薬師部屋から出る不要物はすべて焼却炉で処分する決まりでしてね。今日は焼却炉も早々に閉めたようですから、不要物を出せなかったのでしょう。気になるようでしたら、一時的に部屋の外へ出しましょう」
「ありがとうございます。そのままでも大丈夫です」
ルーアンの提案に、私は首を横に振る。不要物は相当配慮して袋に入れてあるようで、注意を向けなければ無視できる程度に抑えられている。
「これから、何をするのだ?」
作業台の前でルーアンが深衣の隠しから黒い袋を取り出すと、興味津々の猫のような目をしたセイトウが声を掛けてきた。見た目は少年でも、声は大人という違和感の前で、少々の緊張を感じながら口を開く。
「先日、後宮で拾った砂糖菓子の確認を致します。この菓子を潰した際に異臭を感じたのですが、しばらくすると消えてしまいました」
黒い袋の中からは蝋紙の包みが二つ出てきた。包みの中には、紙に包まれた真珠のような砂糖菓子。もう一つの包みには、手巾に包まれた潰れた砂糖菓子。
「一つ、見せてくれないか?」
セイトウの求めに応じて、差し出された薬皿へと粒を載せる。セイトウは木べらで転がしながら観察を始めた。
「ふむ。この状態では異臭は感じないな。……未知の物なら、使い捨ての道具を使う方が良いだろう」
セイトウは道具が並ぶ棚の引き出しから、薬皿と乳鉢、小刀等を持ちだしてきた。
「ありがとうございます。では、切ってみます」
口と鼻を覆う布を着けてから、竹挟みで粒を掴んで慎重に小刀で切る。薄い刃は簡単に砂糖菓子を半分に分けた。真珠のような膜が殻のようになっていて、中には細かな白い粉末が固められていた。
周囲にふわりと最初に漂ったのは、とげとげしく硬い香り。記憶を辿ってみても、何の香りかは直ぐに出てこなかった。次に香るのは甘酸っぱい香り。
「……硬い香りが何かはわかりません。甘酸っぱい香りは柘榴だと思います」
「最初に広がったのは青蝶の遺毒だな。青蝶が好む花の蜜によって匂いが変わるから、個体差が激しくてな。鉛に似た匂いと覚えておけば良い」
セイトウの指摘で青蝶の遺毒の匂いを思い出した。私が嗅いだことのある毒の匂いとは異なっていて、基本は鉛と言われれば納得出来る。
「……カリン、その粉を搔き出して殻だけにしてくれ。手で触れるなよ。匂いが消えても遺毒の効力は残っているからな」
「はい」
竹挟みと小型の匙を使って固められた白い粉を慎重に出していると、徐々に匂いが薄まっていく。殻だけになった時には、粉の匂いは消えてしまっていた。
「何か……書かれています」
殻の内側には、細かな青い紋様が描かれている。覗き込んだセイトウが顔色を変えた。
「これは魔道士の呪毒だ。どこで手に入れた?」
「呪毒?」
静かに見守っていたルーアンも顔色を変え、小さな殻を覗き込んで息を飲む。
「確かに呪毒ですね」
「ルーアン、念の為にカリンへ浄化の術を施せ。作業は俺が替わろう。割るのではなく、表面を削って術式を読む」
セイトウは白い紙で出来た護符を咥え、新しく出した丸い砂糖菓子の表面を小刀で削っていく。真珠のような層が薄くなると唐突に割れて、青い紋様が描かれた白い粒が現れた。
目を細めたセイトウが、咥えていた護符を緑の炎で燃やしながら、獰猛な肉食獣のような表情で笑う。それは子供の姿であっても迫力がある。
「……随分と舐めた真似をする魔道士だな。……面白い」
「義父上、舐めた真似とは?」
私に金色の光で浄化魔法を掛け、ルーアンはセイトウへと顔を向けた。
「術式を見てみろ。笑える程に卑怯だぞ。……カリン、呪の中に
「……はい。第一公主スイラン様の侍女であり、第一皇子リュウゼン様の婚約者です。この砂糖菓子は、後宮の廊下でランレイと第三公主様の侍女ガエイが揉めている際に転がってきた物です。どちらが落としたかはわかりません」
「あの……ランレイがこの呪毒を作らせたのですか?」
先日、ルーアンが毒に倒れたことを思い出して血の気が引いていく。あの時の幻影魔法は、依頼者の名と血を使っていた。
「可能性はあるが、そうとは言い切れないな。逆にランレイとやらが呪われている可能性もある」
「呪われている? どういうことですか?」
「この呪毒を摂取した人間の苦しみを使って、名が書かれた者を呪うという術もあります。……表を見ただけでは、どちらとも取れますね」
ルーアンが木べらで粒を転がしながら私の疑問に答えてくれた。
「我が息子よ、完全解読せよ」
「義父上、相変わらず人遣いが荒いですね」
「ほほう。未来の伴侶の前で良い恰好をさせてやろうという親心がわからぬか」
「わかりませんね」
大きな溜息を吐いたルーアンは、息を整えて姿勢を正す。赤茶色の瞳が赤く染まり、その指が作業台に金色の光の輪を描く。やがて光は分裂して複雑な魔法陣へと変化した。
『――聞け。我は光を持ちて闇を開く者。我は命ずる。すべてを開示せよ』
魔法陣に手をかざすルーアンの言葉の後、中央に置かれた小さな粒の表面から青い紋様が空中に浮き上がって、半円に膨らんだ魔法陣の中をゆっくりと回転し始める。香魔の創薬とは全く異なる硬質な魔法陣の中、拡大された紋様を見つめても、ランレイの名は見当たらない。
ルーアンの指が紋様を辿ると、青い紋様が開いて閉じる。
「……この毒が顔半分に効果を与えるように『効域』制限が宣言されていますね。対象は女性限定。……妙ですね……ランレイの名に術式が何も結びついていません。……術式の中に書かれていて、意味がない? そんなことが通用するのでしょうか……基礎の基礎とも言える呪いの術式です。本来は術者の名が無ければ効果が発現しないはずですが……」
「相当な魔力量を持つ魔道士だな。必要量を遥かに超える魔力を織り込むことで無理矢理に路を通している。ランレイの名は囮か、単に依頼者の名か……」
セイトウが紋様を指で触れると、青い紋様は躍るようにうねっていく。二人の指先で起きる現象は違っていて、興味深い。
「他者を呪うということは、自らの命を賭して行う覚悟が必要だ。何者かに依頼されたのだろうが、自らの情報を一切残さないのは卑怯だな。通常なら、自らの術が失敗して跳ね返って来た際には責任を取るべきだが、この術式ではどこへも戻れない。つまりは、呪いが宛所なく漂い、関係のない者が被害に合う」
漂う呪いを想像して、ぞっとした。呪いを返せば全く関係のない誰かが被害を受ける。そんな理不尽が小さな砂糖菓子に込められていたのか。
『――終焉の炎は因果を焼き尽くす。閉じよ』
魔法陣が炎に包まれて強く輝きながら、縮んでいく。光と炎が消えると、青い紋様が消えた小さな粒だけが残っていた。
「……呪毒の毒は、青蝶の遺毒。先ほどの患者たちは、何らかの理由で、この呪毒を飲まされたということか?」
「その可能性が高い……ですね」
「我が息子よ。勿体ぶらずにお前が知っていることを開示しろ」
軽く溜息を吐いて黙り込んだルーアンへ、セイトウが続きを促す。やがてルーアンが重い口を開いた。
「……患者は……おそらく全員リュウゼン様のお手付きです。ここ数年のリュウゼン様に関わる支払い書の中に、蝶のかんざしの注文代金が複数ありました。銀や真鍮のかんざしにしては高額だと思っていましたが、金剛石を使っているのなら納得できます」
お手付きという言葉を聞いて、背筋が寒くなった。同時に冷たくなっていく指先を包み込むように、ルーアンがそっと両手で握る。
「カリン。大丈夫です。私が必ず護ります」
両手から、優しく微笑むルーアンの体温が伝わってきて、ほっと息を吐く。
「リュウゼンの本命はカリンか。それは護らなければならんな」
セイトウの一言で、どきりとした。何故分かってしまったのだろうか。
「ふむ。説明が必要か? 簡単な話だ。患者に共通する身体的特徴は、全員がまっすぐな長い髪。髪色と前髪は多少異なるが、後ろから見た場合はカリンに似ている。本命に手が届かないから、似た者で心を紛らわせるというのは古今東西良くある話だな」
再現。代用。あの日、書庫で聞いた第一皇子と側近のやりとりを思い出して、ぐらりと目が回る。よろめいた私をルーアンがしっかりと抱き締めてくれた。
「義父上、言葉を選んで下さい」
「カリン、俺が悪かった。だが、我が息子が必ず護ると約束したのなら、それは必ず果たされるだろう。俺も協力すると約束しよう」
ルーアンの腕の中、安堵と不安が入り混じる感情を抱えながら、私はセイトウの謝罪を聞いていた。
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