第十一話 確執の星影
呪毒を後宮に持ち込んだ犯人とその意図が判明するまでは香魔の創薬は見送りとなり、真夜中過ぎに後宮の部屋へ戻ると、シュンレイとホンファは起きて待っていてくれた。
「カリン、良かったら白湯、一緒に飲まない?」
「ありがとう。頂くね」
動揺は私の顔に緊張という形で出ていたらしい。外廊下へと出て月明りの中、二人に挟まれる形で座り込む。二人の体温と、白湯の温かさが緊張感を溶かしていくようで、ルーアンに抱きしめられる時とは別の安心感で、ほっと息を吐く。
「……前に拾った砂糖菓子、ランレイとガエイのどっちが落としたと思う?」
「え? そっち?」
「あ、あら……てっきり、カリンとルーアンのことかと……」
思わずこぼれた私の言葉に、二人は驚く。二人は私とルーアンとの婚約で何かがあったのかと心配してくれていたらしい。
「あれ、やっぱ、何か悪い物だったの? また麻薬とか?」
「麻薬だったら、カリンはわかるでしょう? 何か別の物?」
「……はっきりとは教えてもらえなかったんだけど……危険な物だって」
呪毒は証拠品としてルーアンが預かり、ランレイとガエイの身辺調査を行うと言っていた。
「どっちだろ? 『身分をわきまえなさい!』だっけ? それでぱしーん! でしょ?」
「あら? 先に引っ叩いていなかったかしら? 音の直後に転がってきたのではなくて?」
「あ、そうだっけ? 二人とも、何も持ってなかったよねー?」
何度思い返しても、ランレイとガエイは何も手に持っていなかったように思う。
「ガエイはわからないけれど、ランレイはいつも絹の団扇をお持ちですのにねえ」
「じゃあ、ランレイかな?」
ランレイが婚約者リュウゼンへの嫉妬で、相手の女性たちに呪毒を飲ませたというのは違うと思う。そうは言っても、侍女のガエイが手に入れられる物かと考えると無理だと思う。
「シュンレイ、ガエイが『星詠みの宴』で相談していたことってわかる?」
「あー、それがねー。流石一番人気の占星術師だからか、防音対策がしっかりしてたんだよねー。部屋に入ったら、最初に『ここで話すことは外に絶対聞こえませんから安心して』って言われたもん」
私は参加したことがないから、どんな状況かはっきりとは不明。侍女と女官が参加できる宴は後宮の大広間と、いくつかの客室で行われているということだけ知っている。月妃は特別に用意された部屋を使用する。
「帰りは別の扉だったから、深刻な顔してたガエイがどんな占断をもらったのかわかんないんだよねー」
「その占い師ってどんな人?」
「
「水色の髪と灰水色の瞳? あら……だったら、一昨年に占って頂いた方かも。その時は人が並んではいなかったのよ。名前は憶えていないのだけれど、楽しい方だったわねえ」
ホンファは長い行列が苦手で、待ち時間のない占い師を多数訪れていた。
「突然人気になったってこと?」
「ううん。そうじゃなくて、帝都では人気で予約取れないって評判なんだけど、後宮までは知られてなかったって話なの。そんな人気のある占い師がひっそり参加してたって、後から噂になってたんだけど……あれ? 二人とも聞いてない?」
「全然」
ホンファと私の言葉が被って笑ってしまう。誰とでもすぐに仲良くなって交流の広いシュンレイとは、情報収集能力に差があり過ぎる。
「……そろそろ寝ようか。二人とも、心配してくれてありがと」
ぬるくなった白湯を飲み干して、私は二人に感謝した。
◆
翌々日、昼食後に女官長に呼び出された私は、ルーアンと合流して王宮の外へと向かう地下通路を歩いていた。
暗い地下通路の中、手持ちの魔法灯を右手に、左手で私の手を握るルーアンは鉄紺色の筒袖の上着と脚衣の
一方の私は、女官長が若い時に着ていたという桃色と臙脂色の
「占い師がガエイの秘密を話してくれるでしょうか」
「直接は聞きませんよ。魔導士とのつながりがあるかどうか確認するだけです」
ルーアンは、呪毒を確認した際に私が話したことを元にして、去年の『星詠みの宴』の一番人気の占星術師センカについて調べる為に私を呼び出した。
「同僚に占いをしたいと相談しましたら、伝手があると紹介を頂きましてね。男は女性同伴でなければ視ないという決まりがあるそうですので、カリンにも手伝って頂こうと呼び出しをお願いしました」
「何を占って頂くのですか?」
「二人の結婚について占って欲しい、と言ってあります」
その言葉にどきりとしてルーアンを見上げると、赤茶色の目と合った。薄暗いので分かりづらいけれど、心なしか頬が赤い気がする。そんな表情を見てしまったからか、私の頬へも羞恥が集まって熱くなっていく。
「け、結婚? 偽装婚約だとばれてしまうのでは?」
「大丈夫ですよ。私は本気ですから」
ルーアンはそう断言して爽やかに微笑む。私は何かどう大丈夫なのか、さっぱりわからなくて困惑するのみ。
「……は、早く行きましょう」
これは占星術師を調べる為だから。心の中で繰り返しながら、私は歩く速度を上げた。
◆
地下通路を出ると、王宮の門の一つが目前にそびえ立っていた。ルーアンが皇帝から授けられた龍の割符を見せると、門番は何の検査も行わずに私たちを通した。
静かな後宮とは違い、人々が活気づく賑やかな帝都を足早に歩き、多数の占い師が店を連ねる通りへと到着した。まだ昼過ぎだというのに、店の軒先に貼られた布のせいで通りは薄暗く、魔法灯が怪しい光で照らしている。
その中でも一際暗い一角で、ルーアンは足を止めた。
「……ここだと聞いていますが……」
壁は濃灰色の石が積み上げられ、店の正面には重そうな鉄の扉がしっかりと閉まっている。ルーアンが扉を叩こうとした時、扉がゆっくりと内側に開いた。
現れたのは金色の鬼の面を付けた焦げ茶色の髪の男性。背はルーアンよりも拳一つ分高く、筋骨隆々とした体を黒い
「何か御用でしょうか」
身構えた私に向かって聞こえてきた声は、のんびりとしていて優しい。
「初めてお伺い致します。星の数は六。風の数は九。花の数は十四」
人の良さそうな笑顔に切り替わったルーアンが答えると、大男は
扉の内側は板張りの広い部屋で、手のひらより大きな丸い水晶球が中央に置かれた円卓と椅子が四つ。壁際に置かれた飾り棚には、木の枝と花が控えめに飾られていた。
大男はさらに扉を開き、次々と部屋を通り過ぎていく。五個目の扉を開いた所で、ようやく足を止めた。
「こちらのお部屋です」
「ようこそいらっしゃいました。占星術師センカと申します」
窓は閉じられ、魔法灯がぼんやりと照らす部屋の中には、水色の長い髪の女性が座っていた。灰水色の目は涼やかで、微笑む唇は艶やかな赤。白と淡い水色の深衣が水の精霊のような印象を醸している。年齢はよくわからないものの、二十五歳くらいの印象を受けた。
円卓には顔よりも大きな半球の水晶が置かれ、魔法灯の光を反射して煌めいていた。大男に椅子を勧められ、私たちは円卓の席へと座る。
「まずはこちらの水晶を左手で触れて頂けるかしら? 危ないことではないのよ。貴方たちのお名前と生年月日を水晶に教えていただくためなの。私は直接お聞きしません」
戸惑いながらも交代で触れると、水晶が一瞬白く輝いた。
その後センカが水晶に手をかざすと、水晶がぼんやりとした光を放つ。
「……おかしいわね……貴方の顔にそれほどの傷が残った事件が視えないのよ……」
センカの言葉で、ルーアンは顔に火傷の痕という幻影魔法を使っていたことを思い出す。
「過去のことよりも、私たち二人の未来を占って頂きたいのですが」
さらに探ろうとしていたセンカをルーアンの言葉が止めた。それは柔らかい口調でも、探って欲しくはないという意思を伴っていた。
「……そうね……視えないものは視えないものね……。時折、こういうことがあるのはあるの。精霊が護っているとか、何らかの術が掛けられているとか、大きな運命を背負っているとかで過去が隠される。…………お二人の星は相性がとても良いわね。陰陽の欠けたものを補い合い、お互いを助け合って輝いていく。友人でも恋人でも夫婦でも、とても素敵な関係を築けるわね」
恋人でも。その言葉で頬が熱くなっていくのがわかる。ちらりと隣に座るルーアンを見ると、とても嬉しそうに笑っているから恥ずかしくなってきた。
「…………あら? 二人の結びつきを強く反対する星があるわね。……陰を欲する三つの星……一つは人。一つは……何かしら……人なのに獣のような嫌な匂いがする……。もう一つは……!」
センカが瞳を凝らして水晶を覗き込んだ時、落雷のような轟音がして水晶が砕けた。私はルーアンに抱きしめられて助かったものの、鋭い破片が壁や天井にまで刺さっていて、ぞっとする。
「センカさん! 大丈夫ですかっ?」
「……ありがと。大丈夫みたい」
手で顔を覆っていたセンカが顔を上げ、その手も顔も傷一つなくて、ほっとした。
「助けてくれたのはどっち?」
微笑むセンカの問いに、思わずルーアンの顔を見つめる。私とセンカが無傷だったのは、きっとルーアンのおかげ。そんな私の仕草でセンカも気が付いたらしい。
「そちらの方ね。ありがとう。私は依頼者のことは絶対に外へ漏らさないから、安心して。……それにしても凄いわね。無詠唱で他者への防護魔法なんて、初めての体験よ」
センカは驚いたと言いながら、微笑む。護符を使用したであろうルーアンは、人の良さそうな笑顔で微笑み返した。
「一体、何が起きたのですか?」
「三つ目の星の力はとても強くて、影を視ようとしただけでも許せなかったみたいね。私が視ることを妨害する為に水晶を割った。……精霊や神ではなくて、人だとは思うけれど、強い守護がいるのか、それとも本人が強い力を持っているのかすらわからないわね」
「気を付けた方が良いと思うわ。三人とも特徴すら視せてはくれなかったから、かなりの力がある人物よ。陰を……貴女を強く欲しているから、きっと男性ね。心あたりはある?」
「……一人だけ……」
もしも私とルーアンが結婚すると言えば、強く反対するのはリュウゼンだろう。人なのに獣のようと聞いて、リュウゼンの卑劣さが真っ先に思い浮かんで不快。他はと考えて、ケイゼンの姿が頭に浮かんでも、強く反対する表情が想像できなかった。
「はっきりと視れなくて、ごめんなさいね。貴方たちに何か助言できることがあれば良かったんだけれど……男性に気を付けてとしか言えないわね」
「それだけでも十分です。ありがとうございました。……ところで、これをご存じありませんか?」
ルーアンが懐から出した袋の中から、一粒の真珠のような呪毒を手巾の上に乗せて示した。
「あら。もしかしたら、最近流行りの惚れ薬かしら」
「惚れ薬?」
「本当の薬ではないと思うわよ。ただの砂糖菓子に大層な名前を付けて高値で売っている占い師がいるのよ。純粋な若い子たちが信じちゃって、この界隈でも困ってるのよね」
苦笑するセンカを前に、ルーアンと私は顔を見合わせた。
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