第十二話 金貨の威力
渋るセンカから惚れ薬を売っている占い師の店を聞き出して、私たちはその店へと向かった。
「……あの行列の店でしょうか」
「そのようですねえ」
薄暗い通りの一角で、ずらりと二十人程が列を成していた。十代後半から二十代前半の若い男女が中心で服装は様々。全員が酷く思いつめた表情をしているのが印象的。
最後尾に並ぶと、ルーアンは小さくぱちりと指を鳴らして防音結界を発動させた。
「さて。勢いだけで準備なく来てしまいましたが、どうしましょうか」
珍しく困った顔をするルーアンが可愛らしく見えて、思わず頬が緩む。いつも先々迄考えている姿が頼もしく感じていても、時にはこんな表情を見せられると親しみが沸く。
「惚れ薬を買ってみるしかないのではないでしょうか」
「それはそうですが、怪しまれないでしょうか」
ルーアンの言葉で考えてみても、男女二人で惚れ薬を買うという状況を納得させる理由が思い浮かばなかった。
「どちらかが一人で店に入るとか?」
「それはダメです。このような怪しい場所でカリンを一人には出来ません」
話している間に列はどんどん前へと進み、後ろに人が並んでいく。店から出てきた人は皆、小さな紙袋を大事に抱えて足早に去っていった。
「……占い師というより、薬屋なのかもしれませんね」
後ろに並ぶ人々に押され、ルーアンと私の距離がほぼ無くなった。囁きが耳をくすぐって、頬が熱くなってしまいそう。
どきどきとする胸をさりげなく押さえつつ、ついには店の扉の前へと着いた。木で出来た扉は意外と重そうで、黒い鬼の面を付け、黒い袍を着た男性二人が内と外にいて開け閉めをしている。
「お次の方、どうぞ」
不愛想というより、あきらかに不機嫌な声で男は私たちを招き入れた。店の内部は暗く、天井から布が垂れ下がり、絹貼りの提灯型の魔法灯が幾つも下げられて、ぼんやりとした黄色い光を投げかけている。まだ昼間なのに、ここは夜。幻想的な光景の中、漂う甘い花々の香りに弛緩の効能があるエギラの葉を感じた。
エギラの葉は、体の力を抜きたい休息時に使うと良い効果が得られるも、そうでない場合は思考能力を鈍らせる。私が口と鼻を手で押さえると、ルーアンが何か術を使ったのか、香りが消えた。
「奥の部屋へお進み下さい」
扉の内側にいた男は、まだ愛想のある声で私たちを促した。扉のない入り口を抜けると、暗がりの中で青白い光をまとう女性が円卓に置かれた椅子に座っていた。白く長い髪に、水色の瞳の三十歳前後の美女。白い深衣は銀糸で刺繍が施され、まるで天女のよう。そう考えて、何か違和感があることに気が付いた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞお座りになって」
芝居がかった手の仕草と、ゆったりと奇妙な抑揚をつけた声を聞いて、私は思い出した。天女のような美女だと感じるのに、存在感が薄く、明日には忘れてしまいそうな特徴のない顔。顔の造作は違っても、印象だけでみれば、後宮の化粧水に麻薬を仕込んだ
「わたくしは占い師、
「……
人の良さそうな笑顔で、ルーアンは偽名と嘘の生年月日を答えた。
「十八歳? ……意外とお若いのねえ」
筆で紙に書きつけていたユーファが、驚いたようにつぶやいた。私も年齢を聞いていなければ、二十歳より上と思っていた。
「貴方は?」
「あ、あの……
咄嗟に偽名を思いつかなかった私は、双子の姉の文字違いを答え、生年月日は月を変えた。
「今日は、星に何を聞きましょうか?」
円卓の中央に置かれたのは、手のひらほどの丸い水晶玉。その中央には白い炎のような光が揺らめいている。
「……薬を買いたいのですが」
「今日、初めていらっしゃったと思いますが……紹介状はお持ちかしら?」
「いえ。噂を聞いただけです」
「どんな噂かしら?」
「願いを叶える薬が売っていると」
ルーアンは惚れ薬について、そんな風に思っているのか。ルーアンとユーファの間に流れる沈黙の意味がわからずにいると、ユーファが何故か私を見て微笑んだ。
「わかりました。本当は何度か占いをしてから、お客様に合った魔法薬をお渡ししているのですけれど、緊急のようですから今日は特別にお譲り致します」
立ち上がったユーファは、背後の飾り棚から美しい押し花が漉かれた色紙を手にして戻ってきた。
「こちらが今、用意できる魔法薬です」
「え?」
〝清麗の雫〟〝天与の夢〟〝岩華の瀧〟〝輝光の宴〟〝闇夜の雅〟〝白雪の涙〟〝雷光の香〟等々の文字に目を見張る。示された色紙に書かれていたのは、皇帝専用の香魔の薬の名前の数々。皇帝と香魔のみが知る名前がずらりと並ぶ。
「どうされました?」
「い、いえ。沢山あり過ぎて……どんな効能があるのかと」
嫌な汗が背筋を流れていく。皇帝専用の薬は、香魔の中でも選ばれた者にしか創ることのできないもの。その昔、香魔の薬の製法を盗んで村の外に出た男がいるとは聞いている。たとえ香魔の血を引いていても男では創薬魔法は発動しないから、外で作られることはないだろうと追跡を諦めたと聞いていたのに、まさか、こんな所で香魔の薬に出会うとは思わなかった。
私が四枚の色紙を見ていると『字が読めるのね』という小さなつぶやきが耳に入った。帝都といえども女性の識字率はかなり低く、読み書きができる女性は引く手あまたで優遇されていると聞いている。
もう一度立ち上がったユーファは、棚から竹簡を出して戻ってきた。巻物状になった竹簡から、一片だけを引き抜くことができる変わった造りで、ユーファは一片をルーアンに手渡した。
「こちらはそれぞれの効能が書かれたもの。……おすすめはこちらの魔法薬です。〝白雪の涙〟は、女性の美しさを引き出す薬です」
〝白雪の涙〟は、手足の神経を一時的に麻痺させて行動を制限する薬。そんなものを勧めて、どうしようというのか。ぎょっとした私が竹簡を覗き込もうとすると、ユーファはさっとルーアンから竹簡の一片を取り上げた。
「こちらは女性にはお見せできない決まりです。……〝輝光の宴〟は、お二人で夜に飲むと良い魔法薬です」
ユーファは戻した竹簡の一片とは別の一片をルーアンへと差し出した。〝輝光の宴〟は、穏やかな睡眠を促す薬。益々ルーアンに勧める意味が分からなくなってきた。
「……一通り、見せて頂けますか?」
「ええ。ただし、女性には見せないで下さいましね」
そう言ってユーファはルーアンへ竹簡の巻物を渡し、手持ち無沙汰な私へと話しかけてきた。
「メイリンさんは、何か気になる薬はありますか?」
「……この〝清麗の雫〟というのは、どういった効能がありますか?」
それは香魔一族の秘伝中の秘伝、皇帝陛下と正妃のみが口にすることができる薬。三百二十二種類の材料で作られ、良い効果も悪い効果も消し去る完全完璧な解毒薬。赤子のルーアンが捨てられた際に持たされていた薬も、外で作られた物だったのか。
「こちらは熱冷ましの効能があります。……恋に破れた際に、お相手への想いを鎮めたり、あるいは、懸想してくる迷惑な相手を諦めさせる。そんな魔法薬です」
ユーファの思わせぶりな芝居がかった説明を聞いてあっけにとられた。香魔の薬かと身構えていたのに、もしかしたら名前だけを借りた偽物なだけかも。
「一通り、頂けますか?」
ルーアンは竹簡をユーファに返して、全部を買い求めた。
「二十種類ありますよ? お試しで最小単位の三粒としましても……大銀貨三枚と銅貨二十五枚になります」
「こちらで支払います。お釣りは不要です」
ユーファが紙に書いて金額を数えている間に、ルーアンは懐から小さな革袋を出して金貨を一枚円卓の上に置いた。金貨を見たユーファは目を瞬かせた後、さっと金貨を手に取った。金貨は大銀貨十枚の価値がある。
「も、もしもご希望でしたら、恋敵が脱落する魔法薬もご用意できます」
「……お願いできますか?」
「ええ。金貨十……二十枚先払いでよろしければ、十日でご用意致します」
金貨二十枚と聞いて驚く私の横でルーアンは顔色もかえずに革袋から金貨を取り出し、数えながら円卓に乗せていく。その金額は、平民よりも高給と言われる侍女の年俸よりも高い。ユーファの顔は表面上は楚々としていても、その目が奇妙なぎらつきで金貨の輝きを追っていた。
金貨二十枚の小山の横、ルーアンがさらに一枚の金貨を置く。
「これは手間賃です。どうかこの薬を頼んだことは秘密にして下さい」
「はい! もちろん、秘密に致します」
金貨の威力は凄いと思う。今やユーファが演じていた神秘的な雰囲気は薄れ、幻想的な空間はむずがゆくなるような安っぽい場所へと変化した。良く見れば置かれた水晶の下に小さな丸い穴が開いていて、円卓の下から魔法灯か何かの光が照らされている。偽りの幻想世界は、金貨の光で打ち破られてしまった。
「それでは、まずは〝清麗の雫〟からご用意致します」
芝居がかった手つきで用意されたのは、美しい瓶に入った真珠のような砂糖菓子。長い匙で一粒ずつ掬い取られて白い紙袋へと詰められていく。
あきらかに浮足立ちながら砂糖菓子を詰めるユーファを前に、ルーアンと私は苦笑するしかなかった。
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