第十三話 幽鬼の殺意
ユーファから薬を受け取り、まだ日の高いうちにルーアンと私は王宮へと戻ることができた。ルーアンは出る際に使った通路とは別の地下通路へと私を案内していて、どこへ向かっているのかわからずにいた。
「薬師部屋へ向かうのですか?」
「いいえ。義父が滞在している客室へと向かっています。カリンの顔を見たらすぐに帰ると言っていたのですが、呪毒の件が解決するまで滞在するそうです」
ルーアンの義父セイトウは、一時期王宮の薬師として勤めていたことがあるらしい。高位の貴族たちが利用する客室の一つに泊まっていた。
「……惚れ薬はありましたか?」
「ええ。五種類ありましたね。どれもこれも胡散臭い説明文でしたが」
ルーアンは、惚れ薬のことを願いを叶える薬と言っていた。……その惚れ薬を使うつもりなのだろうか。
「たとえ効く薬だったとしても、誰にも使いませんよ。相手の意思を捻じ曲げて一緒にいても、むなしいだけですからね」
「あ、いえ。そうではなくて……どうして簡単に売ってくれたのかと」
思っていたことを当てられたようで、胸がどきりとした。ルーアンの答えに内心ほっとしながらも、慌てて話題を逸らしてみる。
「ああ。そのことですか。あの場で何も思いつかなかったので、言葉を濁したら相手が勝手に理由を考えてくれたというだけですよ」
「理由を考えてくれた?」
「はい。……あの時、何を買いたいのか、はっきりと答えない客が目の前にいる。客の男は顔に酷い火傷の痕があり、連れの女性は天女のような美人。これはきっと、女性の心を繋ぎ留める薬が欲しいに違いない……とでも思ったのでしょうね。直前に私たちの年齢を聞いて警戒心が働かなかったという理由も大きいでしょう」
「そ、それは……」
天女と言われて、頬に羞恥が集まっていく。どきどきとする胸をそっと押さえてみても落ち着くのは無理。
「……カリンは何を着ても似合いますが、今日はとても………………可愛らしいです」
小声で告げられた言葉が、さらに追い打ちを掛けた。ずっとそんな風に思ってくれていたのかとわかると、どうしたらいいのかわからないくらいに恥ずかしくなってきた。
「そろそろ出口です。この通路から出ると私を監視する者に見つかるでしょうから、隠蔽魔法を掛けましょう」
秘密の地下通路から出る前に、ルーアンは私にだけ術を掛けて手を繋ぎ、人の良さそうな笑顔で行き交う人々に丁寧に挨拶をしながら廊下を歩く。
「ここです」
ルーアンが指先で軽く扉を叩くと、音もなく扉が勝手に開いた。驚いた私に微笑みかけ、ルーアンは扉の中へと滑り込む。
「戻ったか。ほう、懐かしい服だな。将来の我が娘は何を着ても可愛らしいな」
セイトウは昔の女官長のことも知っていて、一目で私が着ている服の持ち主を当てた。
「義父上、呪毒の元と思われる砂糖菓子を入手しました。薬師部屋は人がいる時間ですので、この部屋をお借りします」
「ふむ。何が必要だ?」
セイトウは興味深々の猫のような瞳で私に必要な品を尋ねると、壁際に置かれた大きな木箱から、次々と道具を取り出して手際よく円卓へと並べていく。
「どれから確認しますか?」
紙袋の中には、小さな紙袋。それぞれに薬の名前が美しい文字で記されていて、高級感が漂っている。
「〝天与の夢〟から始めます。もしも私が知っている薬であれば、毒薬ですから気を付けて下さい」
それは皇帝陛下自らが相手を殺す為に作らせた毒薬。同じ酒瓶や皿で同じ物を口にして、油断させて殺す為、一度目の摂取では死なず、二日空けて十日以内に二度目の摂取をすると死に至る。
「ならば俺が替わろう」
「いえ。これは私に確認させて下さい」
中身の分からない薬と違って、知っている薬ならば対処方法は分かっている。薬皿の上に置かれた真珠のような砂糖菓子は、紅色に着色されていた。口と鼻を覆う布をつけ、緊張しながら小さな刀で菓子を割る。
「こ、これは……」
ふわりと広がった複雑な香りで、中身の正体がわかった。あまりにも贋物過ぎて肩に入っていた力が抜け、呆れと共に深い深い溜息が漏れていく。
「カリン? 大丈夫ですか?」
心配そうな顔で問いかけてきたルーアンの横で、セイトウが噴き出すように笑い出す。
「義父上? 何かおかしな薬ですか?」
「……これは、ただの精力剤です。しかも、こんなに適当な配合なんて……!」
「適当な配合?」
「男性機能の一時的な向上と持続の効果がある薬草と薬石を何も考えずに混ぜて固めただけ。相性の悪い薬草も混ぜていますから、本来の効果を著しく損なっています。私なら、同じ材料を使って一晩中でも効く薬を作れます」
「……一晩中……」
何故か顔を赤くするルーアンと、お腹を抱えて大笑いするセイトウを前に、私は説明した。混ぜただけの配合では、高価な薬草と貴重な薬石が勿体ない。それぞれの特性を引き出せるように調合すれば、香魔の創薬魔法を使わなくても十分以上に効能が出る。
砂糖菓子の中身を匙で搔き出しても、模様も文字もなし。残りの十九種を割って確認してみると、香魔の薬とは全く関係のないものばかり。
「貴重な薬草や薬石を使っているのに、どうしてこんなにも残念な薬が出来てしまうのでしょうか」
粒を割る度に残念な気持ちが沸いて、いつしか腹が立ってきた。惚れ薬と称する薬は、血圧や体温を上げる効果ばかりで、幻覚や媚薬の効果はなし。ルーアンに勧められていた〝白雪の涙〟は、服用すると夢うつつの半覚醒状態になる薬。二人で飲むと良いと勧められた〝輝光の宴〟は、弱い催淫剤。
「ふむ。大層な名前とは全く違う効果しかないな。貴重な材料がくだらない薬に化けたものだ。こうまで酷いと、作っている薬師に文句の一つも言いたくなるな」
セイトウの言葉に完全同意してしまう。材料をただ混ぜる配合と、材料の相乗効果を引き出す調合とは違うと言い聞かせたい。
「先日の呪毒と皮の材料も大きさも同じ。どこで作られているのか見当はついたのか?」
「いいえ。まだですね。十日後に『恋敵が脱落する魔法薬』が出来上がるので、動くのはそこからになります」
「ほほう。それまた面白そうな薬だが、中身は一体何だろうな」
『恋敵が脱落する魔法薬』とは一体どんな効果があるというのだろうか。これだけ効果の薄い薬ばかり見せられると、逆に想像もできなかった。
「十日後は私一人で受け取りに行きます。その後、薬の確認をして頂けますか?」
「はい」
呪毒と呪われた被害者たちが気になりつつ、私は頷いた。
◆
香魔の薬の名を借りた偽物を確認してから、八日が経過した。その間、誰も奇病を発症することなく、後宮内の緊張感も緩みかけていた。
「最近、薬草の注文が減ったねー。なんでだろ?」
「何でも有名な薬師が王宮にいらっしゃったとかいう話よ。その方が薬を準備しているから皆、通常業務に戻ったのですって」
「へー。そうなんだー」
それはセイトウの話だろう。魔術師であり、優秀な薬師でもあるセイトウなら、呪いを退けて青蝶の遺毒に効く薬を作ることも出来ると思う。
三人で食堂へ向かう途中の廊下を曲がった途端、ふらふらと幽鬼のような姿で歩く侍女と鉢合わせした。真っすぐな茶色の髪は艶やかなのに、碧の瞳は虚ろで、目の下には黒い隈。頬はこけて顔色が悪い。はちみつを塗ったような艶やかな唇は、銀で出来た蝶のかんざしを咥えている。桃色の深衣はだらしなく着崩れていて、それがガエイだと気付くまで少しの時間が掛かった。
私たちが怯んで足を止めると、ガエイはゆっくりとかんざしを右手で持って私に近づいてきた。
「……ねえ、貴女。綺麗な髪ね。……蝶のかんざしはお持ちかしら?」
「い、いいえ」
ガエイの表情は本当に奇妙なもので、目は虚ろなのに、何故か勝ち誇った笑顔。目に金剛石が嵌め込まれた蝶のかんざしを私に見せびらかすように右手を揺らす。その対比が恐ろしくて逃げるのが遅れた。
「本当に? どうか嘘はおっしゃらないで。本当のことをお話になって?」
ガエイの左手は私の右手首を強い力で掴んでいて、振りほどこうにも解けない。
「本当よ! カリンは蝶のかんざしなんて持ってないんだから! 手を放しなさいよ!」
シュンレイが叫ぶと、ガエイの表情が変わった。
「……カリン? ……そう、貴女が……!」
目を見開いたガエイは、突然その手に持ったかんざしを持ち替えて、私の胸へと振り下ろした。
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