第十四話 腕輪の効果
私の胸元にかんざしの切っ先が振れた途端、赤い光がガエイを弾き飛ばして廊下の壁に叩きつけた。その衝撃で気を失ったガエイは、壁をずるずると滑って崩れ落ちた。
「カリン! 大丈夫っ?」
「……だ、大丈夫みたい……」
足の力が抜けて座り込んだ私をシュンレイが支え、ホンファは女武官を呼びに走ってくれた。ガエイの手から折れ曲がったかんざしが滑り落ちた音が廊下に響き、恐怖に震えた私とシュンレイは、座ったまま抱き合う。
「い、今の赤い光、何?」
「わ、わからない。何があったの?」
「見えてなかった? 赤い光がガエイを吹き飛ばしたの」
「そ、そうなんだ……」
本当はわかっている。赤い光はルーアンの魔力光で、服の下に鎖で首から下げていた護符の指輪が私を護ってくれた。きっと薔薇水晶で出来た桃の花びらが一枚減っている。
かなり大きな音がしたからか、あちこちから侍女や女官たちが数人集まってきた。
「どうしたの? 何があったの?」
「ガエイがカリンを殺そうとしたの!」
問いかけてきた侍女へ、シュンレイが半泣きで叫ぶ。倒れたガエイを助け起こそうとしていた侍女が手を止めて後ずさった。
混乱した状況の中、ホンファが一名の女武官と二名の女兵士を連れて帰ってきた。二十代前半の女武官は鉄紺色に金色の刺繍が施された兵服、女兵士は青色の兵服を着用している。
「関係する者だけ残れ! それ以外は、自分の業務に戻れ!」
険しい表情の女武官が増える野次馬に一喝すると、侍女も女官たちも散り散りになって消えた。気を失ったままのガエイの手を布縄で縛った女兵士は、折れ曲がった蝶のかんざしを手巾で拾い上げて女武官へと手渡した。
「何が起きたか説明してもらおう」
「あ、あの……」
何をどこまで話すべきなのか。ためらう私を見て、シュンレイが口を開く。
「ガエイが、そのかんざしでカリンを殺そうとしました!」
「その前に、ガエイがカリンへ『蝶のかんざしを持っているか』と尋ねていました。持っていないと答えたのに……突然かんざしを振り上げて……刺される直前、赤い光が……ガエイを壁に叩きつけて……」
続けて答えながら状況を思い出したのか、ホンファの声が震えている。
「……そうか。わかった。……貴女は一緒に来てもらおう。怪我がないか医官に診てもらう。二人は業務に戻っていい」
女武官は私とシュンレイの手を取って立ち上がらせ、シュンレイとホンファに告げた。視線で指図された女兵士の一人が気を失ったままのガエイを肩に担ぎ上げて歩き出し、一人が監視役として背後を歩く。
「こちらへ」
これは逃げられそうにもないと諦めた私は、女武官と一緒に歩き出した。
◆
ガエイを担いだ女兵士とは途中で別れ、私は女官長の執務室へと女武官と入った。
「
最近見ていた柔らかな表情ではなく、厳格な表情で椅子に座った女官長から問われると、自然と背筋が伸びていく。それは女武官ライファも同じようで、横顔に緊張が滲む。
「後宮の侍女ガエイが、彼女を害しようと襲い掛かったそうです。ガエイは確保しています」
「害? 証拠はありますか?」
「目撃者が二名おります。凶器はこちらのかんざしです」
女武官は机の上に折れ曲がったかんざしを包んだ手巾を置いた。女官長はちらりとかんざしを一瞥して、私へと視線を向けた。
「カリン、怪我はありませんか?」
「はい。ご心配下さりありがとうございます」
「それは良かった。…………ライファがここに連れてきたということは、何か事情があるようね」
私の無事を確認した女官長が安堵の息を吐き、ふわりと優しく微笑んだ。女官長の口調が柔らかくなると、部屋に漂っていた緊張感が一瞬で霧消していく。
「はい。ガエイが彼女をかんざしで刺そうとした時、赤い光がガエイを壁に叩きつけたという証言がありました」
「赤い光? カリン、それが何かわかるかしら?」
「あ、あの……」
正直にルーアンの護符の効果だというべきだろうか。女官長だけならともかく、ライファに聞かせていいのか迷う。もしもルーアンの秘密が漏れたら、大変なことになってしまう。
「私には若干ですが魔力があります。ですから、貴女が何かに強く護られているのは感じています」
ライファの指摘で、ますます言葉に詰まった。護符を見せることで、その製作者が判明してしまったら、ルーアンに迷惑をかけることになる。
「……もしかして……婚約者の文官ルーアンが、カリンに贈ったという呪いの腕輪の効果かしら?」
「あの噂の彼女ですかっ?」
声を小さくした女官長の言葉を聞いて、私の隣に立っていたライファが仰け反りつつ半歩引いた。呪いの腕輪の噂は、一体どんな風に伝わってしまっているのだろうか。
「あ、あの? 噂になっていますか?」
「はい。将来の大臣候補と嘱望されている優秀な文官が、婚約者を想うあまりに強烈な呪いが掛かった腕輪を贈ったと。少なくとも王宮では官位持ち全員に広まっています」
自分の迂闊さに頭が痛くなってきた。後宮での面倒から逃げる為の嘘が、そこまで広がっていると想像はしていなかった。よく考えれば皇帝にも知られていたのだから、この噂をどうやって解消すればいいのか悩む。
「私は呪いが掛かっているとは思わないのですが……そうですね。もしかしたら、護られているのかもしれません。刺されると思った時、何故かガエイが赤い光に弾き飛ばされたように見えました」
「あ、ああ。そ、そうですか。いや、ご本人が呪いと思っていなければ、呪いではないと思いますよ。きっと。無事で良かったです」
心の中でルーアンに謝罪しつつ、腕輪の効果かもしれないと言葉を濁す。その返答と表情から、ライファが完全に引いているのがわかる。
強烈な呪いとは何かと聞こうとした時に扉が叩かれ、ガエイが目を覚ましたという報告が女兵士からもたらされ、ライファは取り調べの為に部屋から退出していった。
「呪いの腕輪ではないのですが……」
「それはわかっているから安心して。きっと護符か何かなのでしょう? とても高価な物ではあるけれど、龍省に務めているのなら簡単に買えるもの。でも、呪いの腕輪を持っていると言っていた方が、王宮で身を護る為には良いかもしれないわね」
女官長が呪いの腕輪と言ったのは、わざとだったらしい。
「……カリン。もしも話せるのなら、後宮で何が起こっているのか話してもらえないかしら。女官長として、少しだけでも知っておきたいの」
「……後宮と王宮で発生している奇病の被害者は……おそらく全員が第一皇子リュウゼン様と関係を持っています。奇病は特殊な薬でもたらされたもので……持ち込んだ人間はまだ特定されていません」
女官長と二人きりの部屋で、どこまで話していいのか考えつつ言葉を選ぶ。私が香魔であることと、ルーアンが魔力保持者ということは絶対に隠さなければ。
「そう……噂はあったのよ。成人前のリュウゼン様が後宮の女官や侍女と関係しているというのは。問いただしても誰も答えないから、両者合意の上だったと解釈するしかなかったの」
皇子は十七歳まで、後宮内で暮らすことができる。十歳前後で王宮へと移る皇子もいる中、リュウゼンは十八歳の成人の儀直前まで後宮に住んでいた。
「ガエイもおそらく関係を持っていて……それで……」
そこで言葉に詰まった。私の名前を聞いてガエイが激昂したのは、リュウゼンが私に狙いを付けていることを知っていたと想像できる。身勝手な嫉妬だとは思っても、彼女は騙された被害者とも言える。
「……待って……なんてこと……」
私の言葉を待っていた女官長は、少しして片手をこめかみにあてて呻くように呟いた。
「間違っていたら申し訳ないけれど、もしかして、リュウゼン様はカリンを想っていらっしゃるの? 告白されたことはある?」
「告白されたことはありませんが、視察旅行前日に攫われそうになり……ルーアンに助けられました」
書庫に閉じ込められた時の絶望を思い出して血の気が引いていく。あの時、ルーアンの護符の腕輪が無ければ、私は今頃どうなっていただろうか。
「ルーアンに? そう。それは本当に良かった……。ガエイはカリンに嫉妬したのかしらね。……奇病の薬を持ち込んだのもガエイかしら?」
「それはまだわかりません。持ち込んだ者と目的が判明次第、セイトウ様が治療薬を作って下さると思います」
「あら。セイトウも知っているのね。先日、治療薬を作ってくれるのかと聞いたら、『気が向いたら』とのらりくらりとした返答しかなくて気を揉んでいたの。早く作ってとお願いしたら、窓から逃げてしまうし……。セイトウは昔から、何か面倒があるとすぐに窓から逃げてしまうのよ」
ルーアンが窓から出入りするのは、セイトウの影響なのか。そう気が付くと緊張していた心が緩んでいく。
「カリン。何か困ったことがあったら、陛下やルーアンだけでなく私にも言ってね。私は必ず貴女の味方になるから」
「ありがとうございます」
優しい女官長の言葉が嬉しくて、私は心からの感謝を告げた。
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