第十五話 真実の標的
ガエイが起こした事件から、八日が経過した。その間、奇病はセイトウが創った薬で全快し、患者全員が希望して元の職務へと戻っていた。
ルーアンからの連絡はなく、落ち着かない日々が過ぎ、ようやく私の休日に呼び出された。待ち合わせは王宮の第二書物庫の周囲を囲む庭園で、周囲には久しぶりの逢瀬を楽しむ官僚と侍女の姿が多く見られた。
いつも使っている第三書庫と違い、手紙の代筆に役立つ物語や伝記が多い第二書物庫は訪れたこともなかった。人を避けつつ竹林を探して歩いていると、走ってくる人影が視界に入る。
「カリン!」
いつもの深衣で走ってきたルーアンに突然抱きしめられて、頬に羞恥が集まっていく。
「無事で良かった……」
安堵の声がくすぐったくて、頬が緩んでいくのは止められず。抱きしめ返すとルーアンが嬉しそうに笑うから、私も嬉しくなってきた。
ルーアンと手を繋ぎ、庭園の奥へと歩いていくと、まるで絵画のように整えられた竹林が美しく茂っていた。
「こんな場所に竹林があったのですね。とても懐かしいです」
爽やかな竹の香りが、故郷とルーアンの香りを連想させる。
「ここで育てた竹を使って、宮中儀式の道具や楽器を作っているそうです。竹林の中に、作業をする為の東屋があるそうですよ」
ルーアンが示した場所へ目を凝らすと、小さな東屋が垣間見え、誰かが作業しているのか、竹を割る音が微かに聞こえる。
「ここで話をしましょうか」
ルーアンは竹林を背にした欄干へと腰を掛け、私を招いた。青空の下、二人で並んで座っているだけなのに、何故かほっとする。
赤い光が煌めいて、防音結界が張られた。これなら何を話しても平気。
「ルーアンから頂いた指輪のおかげで助かりました。ありがとうございます」
あの事件の後に確認すると、桃の花を模った薔薇水晶の花びらが無くなっていて、金の枠だけになっていた。幻影の魔物の時と今回の事件で、五枚あった花びらは残り三枚。
「もっと強力な護符を作りましょう。何か希望があれば言って下さい」
「ま、待って下さい。今のままでも十分です!」
このままルーアンに任せたら、沢山護符ができてしまいそうな気がする。じゃらじゃらと全身に飾りをつける自分が脳裏をよぎった。
「それよりも、ごめんなさい。私が嘘をついたせいで、呪いの腕輪の噂が王宮に広まっていると聞きました」
「ああ、そのことならご心配なく。宰相と六省大臣が集う御前会議で、陛下が広めて下さいましたので」
「陛下が?」
「ええ。龍省大臣補佐の一人としてその場に控えていたのですが、会議の後、陛下が私に『婚約者を想うあまりに呪いの腕輪を贈ったという噂は本当か?』と問われましたので、遠慮なく答えましたら、その日のうちに全ての省へ伝わったようですよ」
ルーアンの得意満面の笑みを見ていると、心配が消えていく。その会議の日を聞いて、陛下の私室で話した日よりも後だと気が付いた。
「陛下は『呪いの腕輪』が私の嘘だとご存じのはずですが……」
「やはりそうでしたか。ですが、そう広まっていれば、誰もカリンに手を出せなくなりますからね。カリンの身を護る為と、陛下もお考えなのでしょう」
私を護る為だとしても、あまりにもルーアンに不利な噂ではないだろうか。これではルーアンが変人と思われてしまいそうで心配になってくる。
「自慢ではありませんが、仕事をきっちりと仕上げておけば、私生活で多少の問題行動があっても許して頂けるものでしてね。特に結婚が絡むとなると、歓迎されておりますよ」
「か、歓迎ですか?」
「王宮や後宮に務める優秀な者は故郷に戻っても引く手あまた。貴族の婚姻相手や高級役人の道もあります。使える人材を帝都に留める為に、王宮や後宮勤めの男女の結婚を推奨しているのですよ。王宮のあちこちにこうして逢瀬に使える場所があるのも、それが理由です」
話している間にも、仲良く並んで歩く男女の姿が過ぎ去っていく。月宮で働く内勤の侍女と違って、外勤の侍女の恋愛が自由なのは、そんな事情があったのか。
「それにやっかみが無くなって仕事がやりやすくなりました」
「やっかみ?」
「陛下や大臣から贔屓にされていると私を毛嫌いする方も多かったのですよ。仕事は出来ても、私生活は残念な男とでも思われたのか、気安く声を掛けて下さる方が増えました。日々の挨拶よりも、抜群に効果がありましたね」
ルーアンは残念な男ではないと思う。頼りになる素敵な人。正直に思ったことを言っていいものなのか迷っていると、ルーアンがふと真顔になった。
「今回、後宮に毒薬を持ち込んだのはガエイでした。順を追って説明すると、第一皇子リュウゼン様は、複数の侍女や女官に手を出しては、蝶のかんざしを贈って『皇帝になったら必ず月妃にする』と約束をしておられたようです。『年齢を重ねて容色が衰えても必ず』とも言っていたそうで、幸か不幸か今回の被害者たちが自害しなかったのは、その約束を信じていた結果です」
それはとても無責任な約束だと感じた。皇帝が長寿の場合、皇子は帝都に屋敷を建てて妻子を持ち、代替わりまでを過ごす。過去には子が成人してから月妃となった女性もおり、もしも責任を取るというのなら、早々に女性を屋敷へ移すことが普通だと思う。
「ある時ガエイは、閨でリュウゼン様が自分のことをカリンと呼んだのを耳にしたそうです。寵愛されているのは自分だけと信じていたのに、調べると金剛石を使った蝶のかんざしを持った侍女や女官が大勢いる。昨年の『星詠みの宴』で占星術師センカに相手を伏せて相談すると『その男は他に本命がいて、身替わりにされているだけ。早く忘れなさい』と言われて絶望したそうです」
センカなら、きっとガエイを心配して、はっきりと言ったのだろう。
「諦めきれずに他の占い師に占ってもらう中、占い師ユーファと出会って惚れ薬を渡されたそうです。ところがリュウゼン様はガエイを呼び出さなくなったので飲ませることができなかった。年末年始の休みを使って帝都に出て、再びユーファに相談すると今度は『恋敵が脱落する魔法薬』を紹介されたそうです」
「高価な薬を買うお金はどうしたのでしょう?」
ガエイは侍女の年俸よりも高い金額を怪しい薬に使ってしまったのか。人の弱みに付け込むような商売に薬は使って欲しくないと思う。
「ガエイが可哀想だから無料にすると言ったそうですよ。さらには、一番憎い恋敵の名前を教えるようにと言われて、カリンの正確な文字がわからず、ランレイにしたそうです」
「呪毒にランレイの名が書かれていたのは、そのせいだったのですね」
「ええ。ですが、私が依頼した『恋敵が脱落する魔法薬』では、私の偽名がしっかりと術式と絡めてありまして、術返しされた時には私に返るようになっておりましたよ」
ランレイの名は書かれていただけだった。恋敵と依頼者の違いなのだろうか。その扱いの差が気になる。
「魔法薬の確認をカリンにお願いしようと思っていたのですが、その前にガエイがすべて証言しましてね。薬の受け取りと同時に、ユーファと門番の男たちを捕らえることになったので、義父が代わりに行いました。中身は先日の呪毒と同じですが、今度は女性でも男性でも効くようになっていました」
予定の日を過ぎても呼び出しがなく、ずっと気になっていたので、ほっとした。
「ガエイは故郷からの荷物に偽装された薬を後宮内で受け取り、流行りの水飴に薬を仕込んで、リュウゼン様からの贈り物と称して被害者に配ったそうです。まだ食べていない者もいまして、そちらは回収しました」
先日食べた甘い水飴を思い出して、ぞっとする。似た砂糖菓子が入った水飴なら、仕込まれていてもきっと気が付かずに食べていた。
「カリンが目撃したランレイとガエイの諍いですが、ガエイがランレイに水飴を贈っても一向に食べた気配がないので、しびれを切らして『恋人と両想いになれる薬』と偽って、ランレイに勧めたそうです。ランレイが興味を示さないので、無理矢理にでも口に入れようとしたら強く抵抗されて驚いて逃げたと」
黙っていれば華奢で天女のように美しいランレイに、抵抗されて叩かれるとは思っていなかったのか。
「その際に持っていた薬をすべて無くしてしまい、思い悩んだ挙句にカリンを襲う事件を起こしたそうです」
「……ガエイはどうなりますか?」
「それはリュウゼン様がお戻りになられてから決めるそうです。今は幽閉されています」
ガエイは患者が隔離されていた部屋の一つにいるらしい。刺されそうになった恐怖はあっても、憐憫の情もある。顔半分が爛れるような毒を飲まされて苦しんだ患者のことも思えば、厳しい処罰が当然なのだろう。それでも、すべてはリュウゼンが原因なのにと悔しさを感じてしまう。
「呪毒を作った魔道士は捕まったのですか?」
「いいえ。ユーファの証言で潜伏先へ向かいましたが、すでにもぬけの殻でした」
もぬけの殻。そう聞いた途端に、ある単語が頭をよぎった。
「……もしかして……今回も『群狼』の魔道士ですか?」
「そのようです。ユーファは組織の末端の者で、魔道士についての詳細情報は持っていませんでした。帝都で占い師を名乗り、若い女性を騙して偽薬を売る。特に後宮の侍女は依存させるように仕向けて常連客とするようにと首領から指示を受けていたそうです」
「犯罪集団といえば、もっと荒々しい犯罪を行うものとばかり思っていました。意外と小規模というか……低劣というか……」
化粧水に麻薬を混ぜたり、奇病の呪毒。弱い女性への加害は許せない犯罪ではあっても、犯罪集団という呼び名から思いつくのは、強盗や殺人、麻薬の密売。そういった荒々しい犯罪ばかり。
「私も当初はそう思っていました。元々、『群狼』が地方に根城を持っていた時には、集団強盗や殺人といった荒事が多かったそうです。…………これは私の完全な憶測ですが、『群狼』の真の狙いは国家転覆ではないかと。まずは後宮の侍女に毒薬を使用させ、その後に帝都で毒薬をばら撒く。こうすれば『薬の効かない奇病が後宮から発生して、帝都へ広まった』ということになりますからね」
国家転覆という想像もしていなかった話がルーアンの口から出てきて驚いた。
「それだけで、国家転覆ができるでしょうか?」
「もちろん、これだけではないでしょう。もっと様々な手を仕込んでいると思いますよ。目的は国内を混乱に陥れて、陛下の治世が天から否定されていると民衆に誤解させることでしょう。後宮は陛下個人の所有物と民衆に思われていますから、最初の標的にされても不思議ではありません」
民衆を扇動して、暴動から革命へ。数多くの武官や兵士がいても、狂乱する人の数が多ければ制圧に失敗する可能性もある。
「私の憶測が当たっているのなら、後宮の化粧品に麻薬を混ぜられた事件も話が変わってきます。麻薬で侍女に言う事を聞かせて、後宮や王宮内で諜報や工作活動をさせる狙いがあったかもしれません」
「……あの企みを阻止できて本当に良かったです」
失敗した時のことを想像して震える私の肩をルーアンの腕が包む。くっきりとした墨と爽やかな竹の香りがルーアンの体臭と混じると、いつまでも包まれていたいような心地よさでほっとする。
「……ここから離れた場所では、天と契約した王を象徴として掲げ、その臣下が政治を行うことで、国全体を護る仕組みを作り上げた国があります。失政して天変地異や戦乱が起きたとしても、その臣下がすべての責を負って退陣することで、王も国の枠組みも護られる。国が消えることなく、国民が安心して暮らせることを最優先にしているそうですよ」
ルーアンの口調から、その国への憧れのようなものを感じて、どきりとする。皇帝と政治を完全に切り離して、国と国民を護る。もしかしたら、それがルーアンが目指す国の在り方なのだろうか。
「さて。私の執務室で胡麻饅頭が待っていますよ。いかがです?」
「え?」
一転して明るい口調になったルーアンが欄干から立ち上がり、微笑みながら私に手を差し出した。
「待ち合わせをここにしたのは、私たちの仲を見せつける為でしてね。もう十分でしょう」
誰にと問う前に、背後の竹林から五種の薔薇の香りがふわりと流れてきた。意を決した私は、ルーアンの左腕へと絡みついて密着する。
「そうですね。執務室へ行きましょう」
「カ、カ、カリンっ?」
「……見せつける為です。……胡麻饅頭で釣られた訳ではありませんから」
頬を赤くして慌てるルーアンが可愛くて、私は頬を緩めた。
蝶遊苑国香魔伝 -後宮に隠れ住む魔女- ヴィルヘルミナ @Wilhelmina
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