第十五話 約束の期限

 幻影魔法で使われた紙を使用して、ルーアンはその依頼者の所在を突きとめた。帝都警備兵が捕まえたのは、麻薬入りの化粧水を売ろうとしていた女性。

 あの計画の失敗で犯罪集団から責められ、唯一名前を聞いた私へ復讐する為に魔道士に依頼したと、厳しい取り調べで判明した。

 その情報を元にして犯罪集団と魔道士の潜伏先へ帝都警備兵が向かった時には、すでにもぬけの殻だった。


 初夏が近づき、青々とした木々が茂る第三書物庫の裏庭には、官吏と侍女があちこちで短い逢瀬の時間を思い思いに過ごしている。ルーアンと私もその中にいた。


「魔道士は初代皇帝が禁止したのではないですか?」

「ええ。跋扈していた魔道士を討伐し、趕屍かんし術を禁術としていますが口伝で伝わっている一族もあるようですね」

 魔術師と魔道士はその術式も全く異なっていて、精霊を魔力で使役するのが魔術、死体を魔力で使役するのは趕屍術。魔道士は魔物と同様に忌み嫌われていたとお伽話で読んだことがある。


「……犯罪集団の名称は『群狼』だそうです。狼の紋章を作り、狼の印を使うとか。カリンの名前を知られてしまった以上、今後は狼に関係する物は避けるようにした方が良さそうですね」

 王宮から逃げ、皇帝陛下の間諜から逃げ、群狼から逃げる。面倒が増えたと溜息しかでない。


「そういえば、後宮の噂は払拭されましたか?」

「それが、全然。逆に悪化しています」

 何度も侍女に目撃されているというのに、私とケイゼンとの婚約話の噂は絶えることなく結婚話にまで飛躍してしまって困っている。嫌がらせは増々増えた。


「いっそのこと偽装ではなく、結婚を前提に付き合うというのはどうでしょうか」

「お断りします」

 即答した私の顔を見て、ルーアンが口を引き結ぶ。一体何を血迷っているのだろうか。拗ねた顔が可愛くても、それとこれとは話は別。


「私の初めてを奪った責任を取って頂けないと?」

「はっ? ……私も初めてだったのですから、相殺にしてください。というよりも忘れて下さい。私も忘れることにします」

 突然何を言い出すのか。改めて言葉にされると、私も初めてだったと今更思い出して頬が熱くなるのはどうしようもない。ちらちらと落ち着かない視線がぶつかる。


「まぁ、答えは保留にしておきましょう。先日のお礼に、カリンの好きな物を贈りたいのですが、街まで一緒に行きませんか?」

「私ははっきりと断っているのですから、保留とする意味がわかりません。後宮の侍女が王宮の外に出られるのは年末の五日間だけですし、お礼は不要です」

 時間が経っても私の気持ちは変わらないと思う。この胸のどきどきも初めてだったと言われて動揺しているだけ。これは深く追求せずに流してしまいたい。


 唇の端を上げて意地悪な笑顔になったルーアンが懐から木札を取り出した。親指くらいの小さな物であるにも関わらず、龍の彫刻が施されている。

「陛下の許可を頂きました。この割符があれば、二人でいつでも外に出られます。買い物も買い食いも好きなだけ楽しめます」

「二人で?」

「ええ。二人で」

 ぐらりと心が揺れた。賑やかで人が多い帝都には、辺境の村では見る事の無かった店や物が沢山存在している。本を読むか部屋で寝るだけの休日を過ごすよりも、有意義な時間を持てるかもしれないという思いがよぎる。


「実は私が使っている香油と石けんは、秘密の魔道具屋で買った物でしてね。竹の香りを当てた貴女に店主が是非会いたいと」

「そ……それは……」

 ぐらんぐらんと盛大に心が揺れて、動揺は隠せない。香油と石けんを扱う秘密の魔道具屋。そう聞いてしまうと興味を抱かない訳がない。


「カリンの好きな物なら何でも贈りますよ」

「…………物で釣ろうとしてます?」

「はい」

 いっそ清々しいと言えそうな笑顔を向けられて、肩の力が抜けた。


「とっても高い物を要求するかもしれません」

「構いませんよ。帝都に屋敷を一つ二つは買える程度の財はありますから安心して下さい。新居の下見はいかがです?」

 さらりと付け加えられた言葉に耳を疑った。新居? 意味がわからない。


「待って下さい。それは飛躍し過ぎです。そもそも付き合うかどうかも決まっていません」

「まぁそれは冗談ですけれどね。……馬で遠出はいかがです?」

「馬に乗れるのですか?」

「ええ。私が育った家は一応帝都の範囲ですが辺鄙な場所でしたから。馬が無ければ買い物すらできなかったのですよ」

 文官が乗馬するのは珍しい。早馬で文を届けるのは武官や兵士の担当だし、文官が馬を走らせる機会はない。本当に何でもできる人なのだと感心する。


 ふと、育った家という言葉でひらめいた。

「……まさか貴方の御実家に結婚の挨拶に連れて行こうというのでは?」

 どうやら図星だったらしく、赤茶色の瞳が泳ぐ。気まずいという顔をしながらルーアンが口を開く。

「――胡麻餡入りの蒸し饅頭。とても美味しいと評判の店を知っていますよ」

「行きます! ……あ」

 大好物の名を出されて反射的に即答してしまった。慌てて口を手で塞いだ私を、ルーアンが半眼で眺めている。


「色気より食い気ですか。私はとんでもない天女に引っ掛かったようですね。まぁいいでしょう。好きなだけご馳走しますよ」

「誰が天女ですか。いくら褒めても私の返事は変わりません」

 本当は初めて天女と言われて心が浮ついている。この国で男性が女性を天女と呼ぶのは美女を超える最上の表現。頬が熱くなっていくのは止められない。

「カリン、次の休日はいつですか?」

「……五日後です。蒸し饅頭の店に行くだけですからね!」

 私は大好物の饅頭に釣られただけ。誤解はしないで欲しい。

 

 ふわりと優しい風が通り抜けてルーアンがまとう墨と竹の香りが私の心をくすぐっていく。ルーアンとの別れまで、あと九箇月。それまではそばにいてもいいだろうかと考えた自分に驚いた。これまで誰かと一緒にいたいなんて思ったことはない。


「約束ですよ。カリン」

 戸惑う私の気持ちも知らずに、ルーアンは意地悪で優しい微笑みを見せた。

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