第二話 薬園の乙女
早朝、侍女用の食事部屋へ向かう途中の廊下で桃色の煌びやかな深衣をまとう侍女の集団と出くわした。〝薬園の乙女〟として後宮内にある薬草園の世話をしている私は髪を一つに結び、地味な茶色の上着と脚衣の作業着。こちらは軽い会釈をしたものの、相手からは返ってはこない。仕方なく並ぶような形で廊下を歩く。
「あら、嫌だわ。土で穢れてしまいそう」
「駄目よ。可哀想な元皇子妃候補様に失礼ですわよ」
くすくすと笑い囁きながら隣を歩く侍女たちの嫌がらせに反応しないようにと正面だけを見る。
妃や皇子、公主に仕える侍女とは違い、皇帝陛下の特別な薬草に仕える侍女は〝薬園の乙女〟と特別な名称で呼ばれている。それでも土や肥料を扱うことで下女と同一視されていて、侍女の中では見下されている。
蝶遊苑国の後宮は、皇帝の正妃である
月妃たちは後宮の三分の二を占める広大な池に浮かぶ五つの島に建てられた月宮と呼ばれる建物に住み、皇子と公主は池を取り囲むようにして建てられた建物に住む。
昔の後宮は皇帝の寵愛を求める多数の女性が存在し、貴妃、貴人、嬪等の称号は百を超え、贅沢三昧で『後宮の女が国を食べてしまう』と言われていたらしい。このままでは国が傾くと危機感を持った三代前の皇帝が妃は五人と定めて今に至っている。
後宮の侍女は大きく分けて二種類。池の上の月宮で働く侍女を内勤、池の外で働く侍女を外勤と呼ぶ。侍女が試験を受けて合格すると女官になって仕事内容や待遇が変わり、後宮を出て王宮内の勤務へと移ることもできる。
第三皇子ケイゼンは、あれからすぐに外国へ留学してしまった。婚約者を決めることもなく、六年間一度も戻ってきてはいない。宰相の娘ランレイは第一皇子
可哀想と言われることには慣れた。一緒に過ごした一年間、淡い恋心を抱き始めていたケイゼンとは縁が無かったと諦めた。今はただひたすら残りの日数を数えて耐えるだけ。
皇帝陛下は私が自由になって良いとおっしゃってはいるけれど、秘伝を受け継ぐ香魔の一族の女は村から出られないことになっている。連れ戻されても家族は残っていないし、思い出の残った家で独り生きていくのはつらい。
私が逃げ切る為には香魔の一族であることは絶対に知られてはいけない。できれば薬草から離れたかったのに、安全な集団部屋に入るには〝薬園の乙女〟か〝糸織の乙女〟という蚕に仕えて儀式用の装束を作る侍女になる選択肢しかなかった。私は糸紡ぎも機織りも出来ないし、裁縫も得意ではない。
侍女用の広い食事部屋にはずらりと黒く艶のある長机と長椅子が並んでいる。一番混む時間帯を避けてはいるものの、外勤の千人近い侍女が入れ代わり立ち代わり食事をするのだから、それなりに席は埋まっていた。
壁際の配膳口の前には、二十名近い侍女たちが並んでいる。並んだ私を押しのけるようにして、先程の侍女八名が割り込んだ。列から押し出された私が最後尾へと並ぼうとした時、誰かに足を引っかけられて転んでしまった。
床に手を着いて座り込む私を侍女たちがくすくすと笑いながら見下している。
「あらあら、どうなさったの?」
「何もない場所で転倒するなんて、迂闊ですわね」
「愚鈍な方には、優雅な立ち居振る舞いは難しいのかしら」
腹立たしいと思っても、その感情は飲み込んで立ち上がる。下手に反応しては、喜ばせてしまうだけ。はっきりとした証拠がない以上、責任を追及することもできない。
さらに列は伸びていて、その最後尾へと並び直す。煌びやかな深衣を着た侍女たちは、誰も助けてくれないのはわかっている。中には憐れみの表情を浮かべている者がいても、下手に手を出せば自分が次の生贄になると知っているから動かない。
ようやく配膳口までたどり着き、長方形のお盆に乗せられた
選んだのは日の当たらない陰になった場所。窓も無くじめじめとしていて、一人で訪れると大抵この場所になる。昨日の夜、あの文官ルーアンに出会ってから結局眠ることができなかった。同室の侍女仲間はまだぐっすりと眠っている。
六角形の器が二段重なった食籠の蓋を開けて黒いお盆の上に並べる。器の中は四つに区切られていて、それぞれ異なる料理が入っている。粥と七種類の料理、果物という村にいた頃には考えられない贅沢な朝食を前にすると、若干気分が上向いた。
『風と水の精霊に感謝します』
目立たないように胸の前で指を組み、心の中で精霊に感謝の言葉を捧げるのは魔力を持つ者だけの習慣。私は火・木・土・水・風・光・闇の七つの魔力属性の内、風と水の属性を持っている。他に食事の挨拶をする者はおらず、魔力を持つ者はいないらしい。
半分近くを食べた時、同室の侍女二人が盆を持ってやってきた。私と同じ茶色の作業着を見るとほっとしてしまう。
「カリンー、もー、起こしてくれたらよかったのにー」
明るく笑うのは
「だって皆、ぐっすり寝てたもの。私が着替えてても誰も起きなかったし」
「それは仕方ないわよねぇ。私、シュンレイに叩き起こされてやっと起きたもの」
おっとりとした仕草で微笑むのは、
何故かシュンレイが声を潜め、三人で顔を寄せ合う。
「カリン……私……いびきとかかいてない?」
「大丈夫。うちの部屋って、珍しいくらい静かよ。夜寝る前に飲んでるハコジ草のお茶のおかげじゃないかな」
昔、同室の数名はいびきが酷かった。最初は我慢していたけれど、皆が睡眠不足になったので私がお茶を飲むことを提案した。ハコジ草は傷薬の材料として知られていても、お茶として飲むといびき防止になることは知られていない。
「あー、よかったー。寝てる時って自分じゃわからないでしょ。心配だったのー。でも、あれ肌に良いってお茶じゃなかったっけ? 飲んでからずっと、吹き出物ないからびっくりなんだけど」
「そうそう。私も冬に肌荒れしなくなったのよねぇ」
ハコジ草には塗布しても飲用しても炎症を抑える効果もある。
「私も肌に良いって聞いたから皆に勧めたの。まさかいびきにも効くとは思ってなかったのよ」
それは皆に飲んでもらうための嘘。私はいびきに効くと知っていて、肌への効果は副次的。
二人が食籠の蓋を開けると、シュンレイが表情を曇らせてホンファが笑顔になった。
「あー、シュンレイって筍嫌いなんだっけ。ホンファは好物の海老でしょ」
絶望と歓喜。その表情の対比がおもしろくて、悪いと思いつつも笑ってしまう。
「筍食べられるんだけど、この甘酸っぱい味付けが苦手なのよねー」
「海老が出てきたのは三十八日ぶりよ? 待ちくたびれたわよ。ああ、出会えて嬉しいっ」
出された料理は残すこともできる。侍女の多くは貴族の娘か裕福な家の出身だからか、嫌いな物は平気で残す。シュンレイとホンファは農村出身で、私と同じく料理は残さず食べるのが基本。
一緒に食事をしながら、私は気になっていたことを聞いてみた。
「ルーアンっていう文官を知ってる?」
「ルーアン? 誰それ? ホンファ、知ってる?」
「そうねぇ。何か聞いたことあるようなないような……」
あれだけの美形だというのに、面食いの二人が知らないというのはおかしい。いつもなら美形の話題で大盛り上がりなのに。
「えーっとね。濃灰色の髪で赤茶色の目で……」
「あ、わかった。灰被りの人だ」
「ああ、わかった。あの人ね。あの人、そんなお名前だったのねぇ」
髪と目の色の説明で、二人はようやくわかったらしい。
「灰被り?」
「顔見てないの? 昔、熱い灰を被っちゃったらしくて、顔に酷い火傷の痕が残ってるの。傷見ると悪いかなーって思って、顔とかあんまり見ないのよねー。でも、どしたの? カリンが男のこと気にするなんて初めてじゃない?」
「あ、ううん。この前、医局に行った時に勉強熱心な文官がいるって話をちょっと聞いたの忘れてたの」
顔に火傷の痕はなかったから、別人なのだろう。他人の名前を騙っているのなら、増々怪しく思えてくる。
「その人、全国を巡回してる官位試験の成績が満点だったんだって。偉い人が慌てて厚遇で文官登用したのが去年の話よ。私と同い年で十八って聞いた」
年齢を聞いて耳を疑った。もう少し年上としか思えないから、やはり別人。
「あらぁ、随分詳しいのねぇ」
「そりゃーだって、将来有望な文官っていったら気になるでしょ。しかも貴族とか商家じゃなくて平民出身って聞いたら、とりあえず候補に入れるよねー」
〝薬園の乙女〟でいられるのは未婚の二十歳まで。シュンレイは王宮に務める男性を結婚相手にしようと狙っている。
あの男性は優秀な文官の名を騙って、何をしようというのだろうか。私は二人の話を聞きながら、墨と竹の香りを思い返していた。
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