第十二話 香魔の創薬
新月の夜、王宮は窓や格子を閉じて静まり返っている。煌々と輝く魔法灯の下、歩いているのは夜間警備の兵士のみ。
白い月が見えなくなる夜は、赤と緑の月が白い月の替わりにする為に人の命を奪うという言い伝えがある。平民の間では忘れ去られていても、皇族や貴族たちには強く信じられていた。
ケイゼンに連れられて向かったのは、先日訪れた医術師の部屋の近く。狭い廊下を通り抜け曲がった先に、秘密の薬師部屋があった。濃い飴色の木で出来た丈夫な扉に鍵が掛かっていて開かない。
「……鍵が必要か……。鍵を借りに行こう」
ケイゼンと共に振り返った時、曲がり角からルーアンの姿が現れた。
「カリン?」
私の名を呼んだ後、ケイゼンの姿を見て
「
ケイゼンに対するルーアンの挨拶に驚いた。龍省は皇帝直下の省で、尚書は事務官といっても権限は高い。十八歳でその職務についているのは異例中の異例と私でもわかる。
「カリン、知り合いなのか?」
ケイゼンの問いに頷いて答える。まさかルーアンに会うとは思わなかった。
「その鍵は?」
「そちらの薬師部屋の鍵でございます。新しい薬師を迎える為、備品の確認に参りました」
昼間に言っていた薬師の話かと思い出した。
「ルーアン、その鍵を内密に借りたい」
「……私の随行をお許し頂けるのであれば」
ルーアンの物言いは鋭く、まるでケイゼンと敵対するようで驚く。皇子に対する態度ではないと思っても、無言でにらみ合う二人の間を割って入ることはできない。
「……わかった。同行を許そう」
ケイゼンが小さく溜息を吐き、拱手したルーアンが鍵を使って扉を開けた。
初めて見る薬師の部屋は、医局にある薬部屋とは全く異なっていた。内部に入ると空間の重みのような圧がある。棚は長い歴史を感じる道具で埋め尽くされ、壁面の引き出しは倍以上。部屋の中央には、黒い平らな石が床に敷かれている。
見た瞬間に香魔の創薬用に作られた部屋だと理解した。祖母や母の部屋に共通する雰囲気があって、懐かしさすら感じる。
「カリン……何を使用してもいい。明日、私が宰相に許可を取る」
「ありがとうございます。私が薬を調合できることは、どうか秘密にして下さい」
私の願いにルーアンとケイゼンが頷いた。
私が最後に薬を作ったのは皇帝の迎えの馬車が来る直前。父母と姉の為に作った万能軟膏を大事に使うと泣きながら笑ってくれた母と姉の顔を思い出して胸が痛い。
父母を殺した人間を助ける為に薬を調合することは、間違いなのかもしれない。それでも、心安らかに冥府に降りるなんて許せる訳がない。
道具は良く洗浄されていて、洗う必要はなかった。念の為、用意されている布で拭きながら浄化魔法をかけていく。神力での浄化と違い、魔力での浄化は血を消すことはできない。
道具の準備を終え、目を閉じて深く深く息を吸うと薬草の匂いが私の記憶を呼び覚ます。私は一度作った薬の製法を忘れることは無かった。そして今でも鮮明に覚えている。
精神を集中させて薬草や薬石の匂いを辿り、壁の引き出しを開けては取り出していく。よく似た香りが多くても間違うことはない。
「ご機嫌いかが?」
一つ一つ材料たちに声を掛ければ、微かな答えが返ってくる。それは言葉で聞こえるものもあれば、微かな動き、色や香りで示されることもある。今回は運良く、機嫌の悪い材料は無かった。二十年以上放置されていた物もあり、やっと使われると喜ぶ物もいる。
作業台に置いた盆に五十三種類の材料を並べ、細かく切り刻みながらすり鉢の中へ入れていく。途中で完全にすりつぶし、また材料を加える。香魔の薬は材料の投入の順番を間違えることは許されない。
あの肺の病に効く薬は、温度調整や加熱の必要もない。すべての材料がすり鉢で粉になった所に浄化した水を加えると、どろりとした茶色の液体へ変化する。かき混ぜるとさらに粘度が増し、茶色が黒色になって溶けた飴のようになる。
漏斗に似た器具に薬液を入れて、油が入った瓶の上に固定。漏斗の先を塞いでいた金具を取り去ると油の中へ薬液が一滴ずつ落ちて丸く固まる。
油の瓶の底、溜まった丸薬を網ですくって紙の上に広げると、油は紙に吸収されてすぐに丸薬が乾いていく。
五十三種類の薬草と薬石を使って出来上がったのは六十粒の丸薬。強い効果を持つ薬草たちは油を通しても自己主張が強く、それぞれが刺すような匂いを放ち調和はない。高坏に新しい紙を敷いて丸薬を載せて休ませながら、次の工程へと移る。
部屋の中央の黒い石へ、
高杯を手に持ち、魔法陣の中央に立つ。悲しみに引きずられそうな心を抑え込み、静かで深い呼吸を繰り返す。悲しみや憎しみに囚われる心では、創薬魔法が発動しない。
極度の集中状態に入ると、周囲の景色は視界から消える。どこまでも広がる星空の世界には私と高坏に載せた薬だけが存在している。薬たちは騒がしく声を上げ、震え、強烈な匂いを放つ。
「どうか皆、落ち着いて」
私の目の前に淡い桃色の光球が現れ、光は大きくなって薬を柔らかく温かく包み込む。足元に光る魔法陣から風が回転しながら吹き上がる。風の魔法は薬たちの声を受け取り、空へと散っていく。声は美しい結晶になって七色に煌めきながら踊る。
「これは……!」
姿が見えないケイゼンの驚きの声とルーアンが息を飲むのが聞えても、創薬魔法を止めることはできない。とげとげしく主張しあっていた匂いが少しずつ和らぎ、穏やかな香りへと〝丸められて〟いく。
これが香魔の一族の創薬の特徴。最後に香りを整え、香りを丸めて完成する。目を閉じて静かに息を吐き、創薬魔法の終焉が訪れた。
目を開くと薬師部屋。いつの間にか、ケイゼンとルーアンが石の近くに立っていて、二人の表情は緊張と驚愕を含んでいた。
「まさか……カリンは…………香魔なのか?」
ケイゼンが驚くのも無理はなかった。香魔の存在はこの国の皇帝と第一皇子しか把握していない。その問いを肯定することもできずに、ただ高坏の薬を差し出す。
「……ケイゼン様、この薬を最初は三粒。その後、朝昼夜の食前に一粒ずつユーチェン様に差し上げて下さい。すべて飲み終わる頃には病が消えているはずです」
「わかった。必ず飲ませる。ありがとう、カリン。だが……それでいいのか? 母は……」
「ケイゼン様。先程申し上げましたように病気を治して頂くのは、これから一生後悔して頂く為です。それが私の復讐です」
罪の告白で私の心に消えない闇を植え付けておきながら、自分だけ心安らかに冥府に降りるなんて絶対に許さない。
「私は後始末がありますので、一刻も早くこの薬をお届け下さい」
薬を託したケイゼンが部屋から出ていくのを見送った瞬間に緊張の糸が切れ、精神集中と魔法行使の疲労で限界に達していた私の意識が闇へと沈んだ。
◆
目を開くと見覚えのない天井が広がっていた。窓から差し込む光は午後の強い日差し。体に掛けられている布団は軽く柔らかなのに、背中が感じる敷布団は薄くて硬い。息を吸い込むと爽やかな竹の香りが心地いい。
「カリン、体調はどうですか?」
ルーアンの声に驚いて、飛び上がるようにして半身を起こすと赤茶色の瞳と視線がぶつかった。何故、私は眠っていたのか、状況が全く思い出せない。
周囲を見回すと、寝台と机と箪笥が二つ置かれただけの部屋。床には敷物すらなくて、広く感じて寒々しい。
「ここは……?」
「私の寝所です。隠蔽魔法を使って運びましたから、他の者には知られていません」
「……ありがとうございます。……あ! 道具を片付けないと!」
使ったままの道具を薬師に見られたら薬の配合を調べられてしまう。慌てて寝台から降りようとして体勢を崩した私を、ルーアンが抱き止めた。
「道具は私が洗っておきました。部屋に浄化魔法も掛けておきましたから、痕跡は残っていないでしょう。使った材料も医局にあった物は補充しておきました。足りない材料は手配していますが、どうやら正確な記録は残していないようなのでそもそも気が付かないかもしれませんね」
「あ……ありがとうございます」
ルーアンの腕の中、墨と竹の香り、そしてルーアン自身の匂いが混じると心地いいと気が付いた。どきどきとする胸の鼓動が鎮まらない。
「薬園の方へは、体調不良で数日休むと連絡を入れました。医官の知り合いに話を通していますから、医室で休んでいたことになっています。ただ……ケイゼン様の突然の帰国と女官の呼び出しで、若干面倒な誤解が生まれているようです」
「面倒な誤解? それはどういった?」
「……カリンとケイゼン様との婚約があるのではないかという誤解です」
皇子は父親がいない者とは結婚できないと決められている。それは王宮にいる者なら誰でも知っている常識。
「王宮の決まりごとを知ってはいても、面白おかしく噂を広める者の口は塞げませんからねえ」
「……私は絶対にケイゼン様と結婚することはありません」
隠されていた真実を知った今、もう夢見る少女の頃には戻れない。ケイゼンとの優しくて温かな思い出は多くても、その存在は遥か彼方で遠すぎる。
「昼を過ぎていますが、何か食べますか? 粥と蒸し魚でも頼みましょうか?」
「ありがとうございます。……食欲はありません」
親切を断った私に嫌な顔一つ見せずにルーアンは立ち上がり、箪笥の上に置かれていた
「白湯です。ここには茶葉を置いていないので」
手渡された白湯は、飲むのに丁度いい温度。一口ずつゆっくりと飲んでいると、気持ちが落ち着いてきた。
「あ、あの……私のことを聞かないのですか?」
「……あらゆる香りを操り、奇跡を起こす薬を作る魔女の一族。ということで理解しました」
「自慢ではありませんが、私は一年で第六書庫の書物をすべて読んでいましてね。今は第五書庫の書物を読んでいます。その中で〝香魔〟について書かれていたのは、子供用のお伽話の一文のみ。各地の風土記にも税記録にもその一族は記されていません」
それは自慢してもいい話だと思う。王宮の書庫一つには数千から数万の書物が収められている。日中に仕事をしながら一日で数十冊以上の書物を読み、なおかつ内容を記憶している頭脳に驚きと素直な称賛が沸き上がった。その気持ちが私の顔に出てしまったのか、ルーアンが少々得意げな表情を浮かべる。
「カリン、誰にでも秘密はあるものです。もしも秘密にしておくのがつらくなったら、私にだけ話して下さい」
その微笑みはひたすら優しい。こんな表情もできるのかと、どきりと胸が高鳴った。……もっといろんな表情が見てみたい。
「私が……であると知られたら、王宮から一生出られないか、一族の村に連れ戻されることになります。私は王宮から出ていきたいし、村には戻りたくない。どこか離れた土地で静かに暮らしたいと願っています」
ずっと心に秘めていたことを話しながら、ほろりと涙が零れた。悲しくはないのに、何故涙が溢れるのかわからない。唐突に知らされた父母の事故の真相は、まるで夢を見ていたようで口には出せなかった。
「え、えーっとですね……と、と、とりあえずこれで」
差し出された白い手巾を受け取ってルーアンを見上げると、明らかにうろたえていた。おろおろと落ち着かない目と引き結んだ口。そわそわとした手の動きが滑稽で、泣きながら笑ってしまう。
笑いながら泣き続け、涙がようやく涙が止まった時にルーアンが口を開いた。
「カリン……先日から考えていたのですが、私と偽装婚約でもしますか?」
「偽装婚約? 何故ですか?」
「青月妃様の病を癒したことで陛下が特例をお認めになられれば厄介です。……例えば第三皇子を臣下へと降格させることで、カリンとの結婚が認められてしまいます」
その可能性を全く考えてはいなかった。さっと血の気が引いていく。
「すでに婚約しているとなれば、陛下も恋人たちを引き裂くことはないでしょう。二箇月後に戻ってくる第一皇子も牽制できますしね。私は男ですから婚約解消になっても問題ありません。カリンも王宮から離れれば何も言われることはない」
「でも……」
例え男性であっても婚約解消は不名誉ではないだろうか。
ルーアンがあごに指をあてて軽く首を傾げる。
「問題は、私の幻影魔法のせいでカリンの男の趣味が悪いと言われそうなことですねえ。少しずつ薄れさせましょうか……」
「それはダメです。貴方は王宮に残るのですから、私が悪いと思われた方が良いと思います」
王宮を去る私は、ルーアンを捨てた酷い女と言われてもいい。私の望みを叶えようとしてくれるルーアンに迷惑を掛けたくなかった。
「あの……本当に申し訳ないのですが、偽装をお願いしてもいいですか?」
「ええ。それでは、この瞬間から婚約者ということで」
そう言って嬉しそうに笑ったルーアンは、とても優しい瞳をしていた。
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