第十三話 幻影の魔物
「カリン!」
「え? あ、ごめん。ぼーっとしてた」
気が付くとシュンレイとホンファが心配そうな顔をして私を覗き込んでいた。手に持っていたカゴは薬草で溢れそうになっていて、朝から薬草園で収穫していたことを思い出す。
「もー、最近のカリン、ちょっと心配ー」
「そうねぇ。心ここにあらずって感じよねぇ。何か心配事とか?」
「……ん-。噂が嫌だなーって思って」
それは嘘。本当は父母のことで頭がいっぱい。あれから数日経って、ようやく夢ではなかったと頭が理解しようとしている。青月妃を助けて後悔させるだけで良かったのか、見捨てるべきだったのか、今更ながら心に迷いが生まれていた。
ケイゼンと私との婚約の噂は、侍女の間でまことしやかに広がっている。シュンレイとホンファにルーアンと婚約していると告げると、驚きと同時にお祝いをされた。それは偽装だと言えないのがつらい。
「そうよねぇ。すでに婚約者がいるのにねぇ」
「袖で隠れちゃう腕輪じゃなくて、目立つ物おねだりしちゃうとかー」
「目立つ装飾品してると女官長に怒られちゃうでしょ」
侍女に許されているのは服の下につける装飾品か髪飾りのみ。女官になると耳飾りや指輪が許されるようになる。
「ほらほら。早くこれを医局に届けて、婚約者様に会いに行きなさいな。会ったらきっと気分も晴れるわよ」
「あー、それはいいと思うー」
「……そ、そうね」
もしも両親を殺した人間が病気だったらどうするか。二人に嘘を吐き続けている私が、そんな質問が出来る訳も無く。心の葛藤を抱えながら、私は無理矢理笑顔を作った。
◆
医局に薬草を届けた後、いつものように執務室の近くを通るとルーアンが筆で何かを書いているのが見えた。これは邪魔をしてはいけないと静かに通り過ぎようとしたのに、ルーアンが振り返って目が合った。
「おや。声を掛けて下さればいいのに」
「お忙しいのでしょう?」
私の問いにルーアンは得意満面の笑みを浮かべたかと思うと、窓枠に手を着いて飛び越してきた。
「三箇月先の仕事にとりかかっていますからね。婚約者と語らう時間くらいは許されるでしょう」
何故わざわざ婚約者と呼ぶのかと疑問に思った時、横を武官二人が早足で通り過ぎて行った。ちらりと顔を見られたような気がする。
人の好さそうな笑顔を貼りつけたルーアンは、人目の多い場所を選んで歩く。恥ずかしいと思っても、噂を払拭する為と我慢しつつ私も笑顔を貼りつける。
第三書物庫の裏庭は、堀と木々に囲まれたちょっとした広場になっていた。石で造られた花壇の柵がちょうど椅子替わりの高さになっていて、官吏と侍女の短い逢引きの場所でもあった。
「おや。当てが外れましたね。誰もいないなんて珍しい」
どうやらルーアンは侍女に二人でいる所を見せたかったらしい。仕方ないと呟いて、綺麗に清掃された柵に並んで腰かける。
「カリンの好きな物を教えて頂けますか?」
「好きな物……ですか? 何故です?」
「一応婚約者ですからね。好きな花や食べ物くらいは知っていないと不自然ですから」
そう言われればそうかと納得する。私も聞いておいた方がいいかもしれない。
「好きな花は向日葵です。貴方は?」
夏になると太陽に向かって顔を上げるように咲く花。可憐さはなくても、その強さが見ているだけで元気をくれる。どんなに苦しい時も、咲き誇るこの花を思い出すと上を向こうと思える。
「花ですか……そうですねえ……杏でしょうか……花より実が目的ですが」
「杏の実がお好きなのですか?」
「はい。毎年の杏酒が楽しみで」
「毎年? …………おいくつでしたっけ?」
昔からの慣習で強い酒は二十歳になるまで許されない。十八歳で許されるのは、水替わりに飲まれることもある軽い発泡酒のみ。
「十八で間違いないですよ。祝いの席で一口ということにしておいてください」
そう言いながらルーアンの目が泳いでいるから、一口は絶対嘘。
「えーっと、それは置いておきましょう。カリンの好きな食べ物は何ですか?」
「……胡麻餡入りの蒸し饅頭です」
あつあつに蒸された饅頭を想像するだけで、お腹が鳴りそうになって困る。村には甘い饅頭は無くて、帝都で初めて食べた時から大好物。王宮の外に出られる年末の休みの五日間には毎日食べている。
「ああ、だから……」
片方の口の端を上げ、意地悪な笑顔になったルーアンの口を伸ばした手で塞ぐ。
「それは忘れて下さい」
先日の恥ずかしい件は無かったことにして欲しい。
「私は胡麻団子と水餃子ですねえ。
胡麻団子と水餃子は後宮で出される料理でもあるから食べたことがある。刀削麺は、水で練った小麦粉の塊を包丁で細長く削りながら鍋に放り込んでいる光景を帝都で見たことがあるだけ。
互いに好きな物を語る中、家族のことを話しておくべきかどうか迷う。
「カリン? どうしました? 何か質問があれば何でもどうぞ」
ふと柔らかなルーアンの微笑みを見て、ここ数日ずっと繰り返し考えていた言葉がぽろりと零れた。
「もしも……両親を殺した人が病気で死にかけていて……自分がその病気を治せる時、貴方はどうしますか?」
「そうですねえ……状況にもよりますが、とりあえず病気の治療をしますね」
あごに指をあて、思案しながらの言葉にほっとした直後、続いた言葉に驚く。
「その後、いつでも殺せますから。呪いでじわじわと苦しめることもできますし、毒物の実験台になってもらうこともできますし。病気で死んだ方がマシだったという目に合わせますね。私なら」
想像もしていなかった光景が次々と頭に浮かんでも、それは全く正解だとは思えない。戸惑う私に向かって、ルーアンがふわりと優しい笑顔を見せる。
「これは私の身勝手な願いですが、カリンの手は誰かを助ける手であって欲しいと思いますよ」
ルーアンの手が私の手をそっと包むと、胸がどきどきして温かい。
「どうしても殺したくなったら私が手を下しますから、いつでもどうぞ」
「い、いつでも?」
「はい。今すぐでも構いませんし、ゆっくり考えてからでも構いませんよ」
そう言われると、肩から力が抜けていくのがわかった。今ではなくても相手が生きていれば、これから先にも復讐する選択肢はある。結論が出るまで先送りしていいと言われているような気がする。
「とりあえず、呪っておきましょうか?」
「いえ。結構です」
真顔で即答してしまった私を見て、ルーアンが嬉しそうに笑う。そんな顔を見せられたら、つられて頬が緩んでしまう。
「そうそう。新しい護符を作りました」
得意満面の笑みでルーアンが懐から小さな袋を取り出した。中から出てきたのは、繊細な桃色の花が輝く金色の指輪。
「あ、あの……指輪を着けられるのは……」
女官以上の官位が必要。
「ええ、理解しておりますよ。普段はこうして鎖に通して、首から掛けておいて下さい」
ルーアンの手で指輪が通された細い金の鎖が着けられて、胸の鼓動が跳ね上がる。
「あ、あ、あの……この花は?」
「桃の花です。薔薇水晶と金剛石が使われています」
「薔薇水晶がお好きなのですか?」
私の問いにルーアンは指をあごにあて、首を傾げて思案顔。
「…………そうですね。自分には似合わない物に憧れがあるのかもしれません。……自分自身のことですが意外と知らないものですね」
何でもできる人なのに自分のことは知らない。そんなルーアンのことをもっと知りたいような気がしてきた。
二人で顔を見合わせて笑った時、突然景色が色彩を失った。白と黒の世界の中、素早く立ち上がったルーアンが私を背に庇いながら周囲を伺う。
「……これは一体?」
「何者かの結界に取り込まれました。……カリン、指輪の花びらを指で弾いて下さい。それで防護結界が発動します」
促されるまま立ち上がり、胸に掛けた指輪の花びらを指で弾くと私だけが赤い光に包まれて、ルーアンが一歩離れた。
「貴方は?」
「大丈夫ですよ。防護結界の中からは攻撃に対処できませんからね」
誰が私たちを狙うというのだろうか。見回している内に、地面に映る影が動いていることに気が付いた。木々や小石、そういった小さな物の影が集まっていく。
影が膨らみ、あっという間に人よりも巨大な黒い狼の姿へと変化した。その目は赤く輝いていて、魔力を持つ魔物の特徴を示している。
「ま、魔物?」
「幻影ですよ。大丈夫」
そう言いながらルーアンは深衣の下から黒い棒のようなものを取り出す。
「恐怖に囚われた人間の思い込みというものは非常に強いものです。幻影の魔物に噛まれた、爪でえぐられたと思い込むことで、怪我をしたと頭と体が反応してしまう。だから、幻影の魔物に襲われた者は怪我がない状態で死んでしまうのですよ!」
黒い棒は美しい透かし彫りが施された扇だった。ルーアンが扇を勢いよく横薙ぎにすると、赤く光る太い針が魔物の顔や体に何本も刺さる。
魔物は狂ったように咆哮し、鋭い爪を持つ巨大な前脚でルーアンを狙う。ルーアンは風に吹かれた草のような動きでゆらりと攻撃をかわして、開いた扇で薙ぎ払うと魔物の前脚が斬られて落ちた。
斬られた脚から流れ出すのは、赤い血ではなく漆黒の闇。闇はまた魔物の脚を形作り元に戻る。
「おや。面倒ですねえ」
ぱちりと閉じた扇で口元を隠すルーアンの声には緊張感はなく、余裕すら感じられる。それでも何もできない自分が悔しくて、指輪を握りしめながら無事を願う。
「仕方ありません!」
ルーアンが左手で光る粒を魔物の足元に投げつけると、金色に輝く鎖が現れて魔物に幾重にも絡みついた。咆哮し暴れる魔物が徐々に小さくなっていく。
「ほら。幻影でしょう?」
苦笑するルーアンの言葉通り、黒い狼のような魔物の姿は手のひらくらいの白い紙になってしまった。
金色の鎖も煙のように消え去り、白と黒の世界が色彩を取り戻す。地面には、二つに折られた紙が一枚残るだけ。
「直接触るのは避けたいですねえ。明らかに罠が仕込まれていますし……」
「あ、あの、この結界はどうやって解いたらいいのですか?」
「解放と言えば出られますよ」
一言を唱えると、私を包んでいた赤い光が消えた。悩むルーアンへ近づいて、隣で紙を覗き込む。
「カリン!」
叫んだルーアンが、私の腕を掴んで抱き寄せた。何が起こったのかと聞く前にルーアンが地面に崩れ落ち、その左腕には氷の刃が突き刺さっていた。
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