第18話 揺れる心 1-2

 映画「愛の残像」の特殊メイクを引き受けると返事をした数日後、佑俐のスマホにKテレビの番組プロデューサー山口から電話がかかってきた。

 Kテレビには海外で活躍する日本人を特集する人気番組があり、一時間に何組かを紹介するのだが、その一時間枠を丸々使って佑俐を取材したいというのだ。

 佑俐の名前がヒット作品のクレジットで流れるようになってから、日本のモード系の専門学校から講習の依頼や、テレビ局の取材の依頼が度々入るようになってはいたが、スケジュール調整が上手くいかずに全て断っている。

 今回はKテレビがラスベガスで撮影する映画の特殊メイクを担当することもあり、日本で名前を売るにはちょうど良い機会だと判断して受けることにした。

 佑俐の返事を喜んだ山口プロデューサーだが、すぐに声に緊張を滲ませ、探りを入れるようにある提案を持ちかけてきた。思いも寄らない内容に、佑俐が言葉をつまらせる。

「つまり、その……俺だけの取材じゃなくて、ロスの市内を二人で紹介する形式をとるということですね?」

「お二人で観光案内をして頂くのはほんの一部です。天野佑俐さんがどんな所でご活躍なのかを視聴者に知ってもらうために、ビジュアルに訴えることができるお二人の映像が欲しいと制作チームから要望がありました。その一部を除けば、殆ど天野さんとお仕事を紹介する番組になりますので、ご了承願えればと思います」

「はぁ……」

「今回の番組は、映画の宣伝も兼ねますので、天野さんが特殊メイクをされる美嶋晧良さんと一緒に、素を出して語り合う場面があると、視聴者もお二人に好印象を抱きますし、天野さんがどんな風に美嶋さんを変身させるのか興味を持ってもらえると思うのです」

「……」

 山口が言うことはもっともだと頭では分かっているが、気持ちがついていかない。映画のロケまでには、晧良と会う覚悟をしておくつもりだったのに、いくらなんでも急すぎる。

 しかも、あの件以来、六年以上も音沙汰無しの晧良と親し気に話しながら、ロス市内を回るなんて、俳優でも何でもない佑俐にはハードルが高すぎて不可能に感じる。

 イーサンには、晧良の行動を擁護するようなことを言ったけれど、あれは佑俐の話を聞いたイーサンが、冗談交じりに晧良に報復することを宣言したからであって、撮影をぶち壊さないようにするための方便にすぎない。

 多分イーサンは、そんなことはお見通しだったろう。晧良が身体だけの繋がりを提案したとことで、両想いだと思っていた佑俐が受けたショックと傷が、まだ完全には癒えていないことも。

 晧良に触れて欲しいと思い、自分でも知らずに思わせぶりな態度を取ったのかもしれないが、だからと言って、晧良の暴挙は許しがたい。

 本当は、何かの間違いなのではないかと思いたい自分がいる。でも、そう思った途端に、また晧良への恋しい気持ちが込み上げるのを感じて、慌ててねじ伏せる。

一人で立ち向かう芸術と技術の重みや、周囲からの期待に息苦しさを感じる時に、ふと日本へ逃避する理由にしてしまいそうな予感に怯え、晧良を憎むことで自分を律してきたのだ。

「あの、天野さん、聞こえてますか?」

「ああ、失礼しました。ちょっとスケジュールがどうだったかと確認していたのです。もう一度おっしゃっていただけますか」

「実は、美嶋さ……晧良君とは今回の映画ではなく、以前彼のことを取材した時に知り合ったのです。それで映画の役のオーディションを受けないかと誘ったのですが、晧良君は不利になるにも関わらず、正直に天野さんと喧嘩別れをしたことを教えてくれました」

 佑俐の顔がぴくりと引きつった。

 ケンカ別れだって? 

 そんなかわいいものか? 

 こちらが何か言った時のために、先に予防せんを張ったのかもしれないが、晧良にとってはあれがただの喧嘩別れで、他人にサラリと言ってしまえることが信じられなかった。

「晧良君は、天野さんと何度か連絡を取ろうとしたそうですが、その……オフィスにかけても天野さんに通じないので、何とか撮影前に話をしたいと頼まれたのです」

「あっ……」

 晧良の電話が通じない理由を思い出し、佑俐は片手で口を覆った。

 アメリカに渡って来た当時、あまりにも晧良に対して失意と怒りを抱えていたので、伯母の店兼オフィスの電話に晧良の番号を着信拒否登録して、そのまま忘れてしまっていたのだ。

 佑俐は仕事関係者と連絡を取るときには、自分のスマホを使うため、ファンや仕事と関係ない人がかけてくる電話は、伯母の店に繋がるようになっている。店には数人のスタッフがいて対応してくれるため、仕事の邪魔をされたくない佑俐には、大変都合がいい。

 伯母からはうちのスタッフを電話番に使わないでくれと文句を言われるので、そろそろ固定電話を自分のオフィスに置いて、秘書を雇わなくてはいけないのかもしれない。

 それにしても、傍から山口の話を聞いていると、ケンカ別れしたのを気にして晧良が佑俐に電話をかけたのに、わざとなのか着信拒否なのか繋がらない状況にあるとしたら、まるで佑俐が心の狭い人間のように取られかねないではないか。

 プロデューサーを使って断れないようにするなんて、小賢しい細工をすると佑俐は腹立たしく思った。

 今回の特別番組は、海外で活躍する佑俐の特集と映画のCMを兼ねていると言いながら、山口の口調から、二人の仲を円滑にするためのものでもあるらしいことが察せられる。

 最初は自分の特集だと聞いてオッケーしたものを、晧良のことで断れば、日本のテレビ業界で佑俐が何と言われるか分かったもんじゃない。

 くっそー! 会って直接文句を言ってやる!

「分かりました。俺のスマホの番号を彼に伝えて頂けますか。それと日本とは時差もありますし、今はかなりタイトなスケジュールをこなしていますので、彼から仕事中に電話をかけられても困ります。こちらに来てからお話は伺いますとお伝えください」

「了解しました。伝えます。天野さんが引き受けてくれたと知ったら、晧良君も喜ぶと思います。良い絵が撮れることを期待していますのでよろしくお願いします」

 山口の電話が切れても、しばらく渋面のまま画面を睨んでいた佑俐は、いっそのことスマホの方も晧良を着信拒否してやろうかと思った時に、ふと気がついた。

「あいつは、番号を変えていなかったんだな。

 まさか、こちらから電話をかけるのを待っていたとかじゃないよな?」

 湧いた疑問をブンブン首を振って振り払い、佑俐はオフィスの隣にある作業室に入っていった。

 甘い期待をしたために踏みにじられて傷つくのは二度とごめんだ。佑俐は騙されないようにしなければと心の中で強く念じた。


 八月の初旬に山口プロデューサーから電話があってから半月が経ったころ、佑俐はイーサンと共に、ロサンジェルス空港へ晧良を迎えに行くことになった。

 てっきり番組のディレクターと一緒に来ると思っていたのに、休みを取って一日早めに来るらしい。山口プロデューサーから事前によろしくと電話をもらったからには、知らん顔もできず、渋々空港のお出迎えゲートに立つ。

 今回の番組では最初のレストランでの食事をするシーンで、間が持つかどうか不安になった佑俐が、知り合いを参加させることを山口に承諾させた。もちろんその知人はイーサンだが、佑俐と晧良の諍いの理由を聞いたイーサンは、当然晧良への心象がよろしくない。空港への出迎えも一緒について来るときかず、佑俐の横に立って到着出口の自動ドアを睨みつけているイーサンの様子に、佑俐はハラハラした。

『おい、イーサン。楽しい撮影をしなくちゃいけないのに、最初から喧嘩腰でどうするんだ』

『ユウリといる時は、楽しいし、佑俐の創り出すものに惚れているから、いつもの僕はご機嫌だけれど、本当はこれが僕の素顔だから放っておいてくれ』 

『よく言うよ! ミッシェルといる時もそうなのか?』

『おぉ……』

 いつもの通り名前を聞いただけで、感情がだだもれになりかけたイーサンが、キリっと表情を引き締める。

 人ごみの中で大笑いするわけにもいかず、佑俐は俯いて肩を揺らしながら何とか笑い声を堪えたが、つぎの瞬間イーサンの声で笑うどころか息が詰まった。

『あれじゃないのか?』

 物扱いかよと突っ込む余裕もなく、勝手に視線がさまよい、扉を出た所で辺りを見回している長身の男に引きつけられた。

 広い肩と日焼けした素肌に映える真っ白なTシャツは、シンプルさゆえに着る者の優劣が顕わになる。男はその点を十分承知なのだろう。上質なシャツに浮かび上がる陰影を見れば、鍛えられた身体だということが分かる。

 長い脚に張りついたジーンズは、彼が動く度に太腿から臀部の筋肉の動きを伝えて、男のセクシーさをアピールしているかのようだ。無造作に跳ねさせた髪がワイルドなその男は、一体何者なのだろうと人々の興味を引いていた。

 ぞわっと痺れるような感覚が佑俐の身体中を走る。ヤバいと思った途端、佑俐は考える間もなくイーサンの後ろに隠れた。

『ユウリ。今からそんなんで、仲良しこよしの撮影ができるのか?』

『う、うるさい。別に本当に仲良くなるわけじゃないんだから、フリをするなら簡単だ。でも最初から笑顔でウエルカムなんかしてやる必要はないだろう? 許されたと勘違いして大きな顔をされても困るからな』

『ふぅ~ん。あっ、こっちに向かって歩いて来る。ユウリ、心の準備はいいか?』

 いいも、悪いも聞くまでもない。佑俐は晧良の姿を確認することなく、背をむけて人ごみの中へと走り出していた。

 イーサンの叫び声が聞えたが、今は振り向きたくはない。

 なんで、あんなにかっこよくなってるんだ。反則じゃないか! 鼻であしらってやるはずだったのに、どうして俺が逃げなくちゃいけないんだ?

 走る佑俐を避けた人々が、怪訝な顔をするのが目に入る。アジア人はマナーを知らないと言われないために、普段の佑俐はかなり気を使っているが、今は知ったこっちゃない。

 後ろから追ってくる足音がする。

 逃げなくちゃ! 

 でも、なんで? 

 知るもんか。ただ逃げたいんだ。

 今あいつに摑まったら、俺が築き上げてきたものが全部崩れてしまう気がする。

 怒りで自分を奮い立たせ、虚勢で不安や弱さを見せないようにして、日本への逃げ場を失った俺が、どれだけ必死で夢にしがみつき、壁を乗り越えてきたことか!

 あいつが、あいつのせいで……

 がしっと腕を掴まれ、佑俐の脚がもつれる。

「佑俐。逃げないでくれ」

 イーサンの声じゃない!

 懐かしい晧良の声に、脚の力が抜けた。

「危ない!」

 急に膝から床へと崩れ落ちそうにになった佑俐を、晧良が背中から覆いかぶさるように支えようとするが、佑俐の体重に引っ張られて前のめりになる。密着した腰と脚、背中に感じる熱、上半身を晧良の長くて筋肉質な腕で抱き込まれて、佑俐はアッと声を上げた。

「放せよ。俺に触るな!」

「分かった。放すから暴れるな。転んで手を痛めたらどうする? 美しい作品を生み出す大切な手だろ」

 そうだった。突き指でもしたら細かい部分の仕上げができない。ハッとした佑俐が握っていた拳を開くと、身体に回っていた腕が解かれ、指の間から晧良が一歩下がるのが見える。

 佑俐の仕事を理解してくれたうえで、手を守ろうとしてくれたことに驚きと戸惑いを覚えた。じわじわと沸きあがる喜びにつられるように、晧良に支えられていた部分が熱を持って疼き、触れられていたことを意識する。どんな顔をすればいいのか分からず、固まったままの佑俐の元に、イーサンが駆け寄ってきた。

『ユウリ、どうした? 手を捻ったのか?』

『ああ、違うよ。ほらこの通り、大丈夫』

 佑俐がイーサンの目の前で、手を握ったり開いたりして見せると、イーサンが手を取って、指や手の平を押して無理をしていないか佑俐の顔を観察する。その一連の動作を晧良が苦々しい表情で見つめていた。

『イーサン、本当に大丈夫だから。えっと、二人とも電話では一度話しているけれど、直接会うのは初めてだから、紹介しないといけないね。彼が水島……じゃなくて美嶋晧良だ』

『水島でいいよ。美嶋は今回だけの芸名だから。プロデューサーから映画の話題作りのために、美嶋晧良で出演するようにと言われたんだ。原作者の息子が出ているのをアピールするためにね』

『今回だけって、晧良は役者じゃないのか?』

 晧良から逃げたことはすっかり頭から消し飛んで、どういうことだと佑俐は身を乗り出して尋ねた。言いながら、イーサンと話した時に英語に切り替わってしまったことに気づいたが、ネイティブと同じ速さの会話に晧良は難なくついてきた。

『違う。俺は役者じゃなくて、イベント会社を経営しながら、パフォーマーをやっている。本当は経営がメインだけれど、指名がかかるから止められないんだ』

『パフォーマー? どんなことをやるんだ?』

 口で説明するよりも、映像を見てもらった方が早いと言いながら晧良が差し出したスマホを、佑俐が受け取る。静止画面に映っていたのは、半円形の大きなステージと、奥に置かれたベッドに横たわる女性。ステージを囲うように設置された高さ三メートルの水槽の中身は空っぽで、水槽側に置かれた大木のオブジェの影を落とすのみだ。

『水族館かな? シャチやイルカのショーをやる場所みたいだ』

『正解だ。良く分かったね。この映像は映画のオーディション前に行ったショーのものだ。母は俺と佑俐が仲違いしていたのを知っていたから、映画に影響するのを懸念して、俺がオーディションを受けることには反対だった。母を説得するためと、後に親の七光りだと言われないようにするために、山口プロデューサーと母に実際に見てもらうことにしたんだ。佑俐の心象が良くないことを山口さんに知ってもらったうえで、俺にオーディションを受ける資格があるかどうかを判断してもらう材料にもなった』

 佑俐は自分の思い違いを恥じた。

 美嶋晧良という芸名は親の力を使って役を得たように感じられたし、山口プロデューサーから二人が喧嘩別れしたことを聞いていると言われた時は、晧良が自分に都合のよいように自己申告をして、後で佑俐から何か言われた時のために、予防線を張ったと思っていたのだ。

 全然違う! 晧良は黙ってオーディションを受けることもできたはずだ。

 それなのに、負の状態から、まずはオーディションを受ける資格があるかどうかの判断を仰ぐために、プロデューサーと親に芸を見せ、正面切って自分の真価を問いただしたのだ。

『この役を得るために、そこまで気を使っていたのか』

『ああ。佑俐にどうしても会いたかったんだ。電話は着信拒否されていたから、ただ会いにいっても避けられると思っていたし、俺もずっと会社のことで手一杯で時間が取れなかった。けれど、仕事で行くなら佑俐は俺と会わざるを得ないだろ? きちんと話ができる唯一のチャンスだと思ったんだ』

 湧き上がりそうになる期待と甘い疼きを、佑俐は必死で抑えた。

 恋愛に関しては、もうとっくに甘い夢を見るのを止めたはずだった。

 佑俐が成功してから周りに群がる人々の要求は、仕事や金、有名人と知り合いになることで利益を得ようとするものばかりで、気が抜けない状態だ。

 モデルが勝手に服を脱いで誘惑してきたこともある。すげなくゲイだからと断ったら、今度は男性から迫られるという事態に陥り、それ以降、打ち合わせでさえも一対一で会うことをやめた。

 彼らが欲しいのは佑俐の心ではなく、成功への伝手と刺激だ。同じく晧良も、心よりも快楽を欲しがった。

 期待するな。騙されるな!

 佑俐はもう一度自分の心の施錠を厳重にした。

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