第27話 取引

 晧良の人気が急上昇したことで、晧良が出るシーンが増やされることになった。

水中ショーの内容も、より高度な技が組み込まれ、晧良は猛練習を余儀なくされた。

 人魚の末裔は海へは戻れないが、淡水での潜水時間は通常の人間をはるかに超越した記録を持つ。

 晧良は実際に水中でのショーを長年続けているため、潜水には自信があるが、今回はラスベガスのショーということで、アーティスティックスイミングの振付師、鈴木亜美が気合の入った振付を考えて、晧良に指導をした。

 潜水時間も長く、演技の難易度もかなり高いものため、酸素をかなり消費する。低酸素症をおこして晧良が溺れないように、鈴木は水中でも分かるセーフティーワードを決めよるように晧良にアドバイスをした。

 晧良は苦しい練習を耐えるため、最愛の人の名前を選んだ。

「では、“佑俐”でお願いします」

「ユウリ? 名前ですか。口を丸めてから横に引くから形としては伝わりやすいですね。分かりました。セーフティーワードはユウリにしましょう。その由来を聞いてもいいですか?」

「俺が世界で一番尊敬している人の名前です。彼がいたから俺も自分の道を開いてこれたんだと思います。この撮影も彼の存在を感じながら演じたいんです」

「ああ、ひょっとして、今回美嶋さんの特殊メイクを担当される天野佑俐さんのことですね? テレビで見ました。さすがカリスマメイクアップアーティストと言われるだけあって、外見も美しくって、お仕事も素晴らしい技術を駆使された完璧な仕上がりばかりで、とても感嘆しました」

「ええ。あいつの編み出す作品は本当に芸術品です。今回使ううろこの試作と、モデルに装着させて水中でテストした映像が送られてきたのですが、息を飲む出来栄えでした。今からそのシーンを演じるのが楽しみです」

 鈴木はさも感心したように頷くと、いいセイフティワードを選んだことを褒め、晧良がその言葉を発すれば、撮影がどんなに上手くいっていても、中断して晧良の体調を優先するように監督に伝えると告げた。

 変更箇所は、水槽のガラス越しのキスシーンにまで及び、凪咲が水槽に入って戯れるシーンが追加されることに。

 凪咲は水中での演技は初めてということで、かなり緊張しているようだ。

男性がリードするダンスのように、力を抜いて全て自分にまかせてくれるように頼むと、凪咲は晧良の手の力の入れ加減で泳ぐ方向を察知するようになり、数度の練習後、浮遊感を活かした夢のようなワンテイクを一度で撮り終えることができた。

 晧良は凪咲の飲み込みの良さに舌を巻いた。

 さすが演技派女優と評価されるわけだ。

 何を求められているのかパッと勘を働かせ、すぐに自分のものにする能力は、傍からみていても天才だと思う。驚異的な集中力で役柄になりきる彼女は素晴らしいと思うが、時に抜け出すことができずに、周囲がとばっちりを食らうのが困ったもので、慣れと理解でやりすごすしかないようだ。

 今回も、凪咲は人魚の末裔に興味を持つ役になりきっているせいで、晧良の私生活にまで首を突っ込もうとするのが厄介でもある。

 凪咲の事務所が決して二人っきりにしないように、目を光らせているので助かるが、どんなに周に人がいようとも、アングルを二人に絞った写真が出れば意味がない。恋人同士なのではないかと世間の注目を浴びるようになってしまった。

 佑俐に誤解されはしないかと心配だったが、何も言ってこないのをみると、週刊誌などのゴシップ記事は読まない主義なのだろう。

 ホッとすると同時に、早く佑俐に会って、疑いの入り込む余地もないほど二人の熱い想いを高め、恋人として抱き合いたい気持ちで一杯になる。

そのためには……丁度、監督から声がかかった。

 さぁ、猛練習の成果の見せどころだ。

 水中ショーの撮影はスムーズに進み、延期になるかもしれないと言われていたロケが、当初の予定通りに行われることを監督から告げられた。

 心の中でガッツポーズを決めた晧良は、ずぶ濡れの身体から滴る水で床を濡らさないように、バスタオルで水気を拭う。監督やスタッフに頭を下げると、着替えの入った荷物を持って急いでシャワー室へ向かった。

 佑俐に会える喜びが足取りを軽くする。

早く知らせたい気持ちを抑えて軽くシャワーを浴び、下着とパンツを穿いた。泳いでも、シャワーを浴びても濡れた外見は変わらないかもしれないが、惚れた相手と話すときぐらい、気分的にもさっぱりしてから話したい。

 予定通り会えると言ったら、佑俐はどんな顔をするだろう? 同じように喜んでくれるだろうか?

 佑俐の表情を想像しながら、スマホを操作する晧良は後ろのドアが開いたことに気が付かなかった。

 寝ぼけ眼の佑俐のかわいさに口元が綻ぶ。L・Aの時間はまだ朝の6時だと佑俐に文句を言われて失態に気が付いたが、中途半端に電話を切り上げられるほど、今の自分には余裕がない。追加分の撮影を撮り終えることができ、予定通りに佑俐に会えることを一気に話すと、眠そうだった佑俐の顔がパッと輝いた。

 良かった。佑俐も楽しみにしていてくれる。

 今度会うときは自分のものにすると告げたため、佑俐が逃げ出したらどうしようかという不安があった。頻繁に会えればフォローはいくらでもできるが、この距離では相手の気持ちを信じて待つより他はない。

 愛してる。と言葉がでかかったとき、背後に人の気配を感じ、小声で名前を呼ばれた。

 まさか⁉ と思って振り向くと、凪咲が備え付けのバスタオルを手にして近づいてくる。

 撮影のときに一緒に水槽に入ったせいで、凪咲の髪も濡れていて、バスローブを羽織っていた。

 佑俐に誤解を与えたくないため、咄嗟にスマホを手で覆って、牽制するように凪咲を睨みつける。凪咲が両手を合わせて謝る仕草を見せ、監督が呼んでいると告げるので、すぐに行くと答え、佑俐に別れを告げるためにスマホを持ち直した。

 人が話しているというのに、凪咲はバスタオルを渡しながら、聞こえるか聞こえないほどの小声で風邪をひくわよと話しかけてくる。腹が立つのを通り越し、神経を疑った。

 あり得ないと思いつつ、凪咲のマネージャーから、今は晧良の面倒を見る役目を彼女にさせてやってくれと頼まれていたため、平静を装い、バスタオルを受け取って礼を言う。

 視界から彼女の顔を消したくて、頭からバスタオルをかぶり、ガシガシと擦って髪を拭く真似をするが、次に何をやらかすか気が気でなく、ついつい凪咲のいる方をチラ見した。

 せっかく佑俐と話せて浮き浮きした気持ちに水を差され、晧良はイライラした気持ちが声に出ないように、夜かけなおすと告げて電話を切った。

「凪咲さん。呼びに来ていただいて恐縮なのですが、シャワー室に一人で入ってこられると、誤解を招きますので、こういうことはADさんに任せてください」

「分かっていたのだけど、ADさんは他の用事で走り回っていたし、撮りなおしかもしれないから、急いで伝えた方がいいと思ったの。ちょうど私もシャワーを浴びるつもりだったし、周囲には私が行きますって断ってきたから大丈夫だと思うわ。それより早く行ってきて」

「そういうことだったんですね。芸能界で活躍していらっしゃる凪咲さんが、気を付けないはずがないですよね。余計なことを言って申し訳ありませんでした」

 勘違いしたことを謝罪すると、凪咲は気にしないでと言い残して、シャワー室を出て行く。

 急いで予備の水着に履き替えて、上にTシャツを着る。どうせまたここに戻ってくるし、この時間なら、スタッフはシャワーよりも浴室の方を利用するだろうと踏み、ロッカーに入れたバッグから貴重品の入ったポーチのみを取り出して廊下に出た。

 廊下を大股で歩く途中、狭い廊下にガチャリとドアが開く音が響くのを聞き、警戒心が働く。背後は男性用と女性用のシャワー室と化粧室だけで控室はない。遠くから聞こえる着信の音。

 しまった! 水着に着替えるときにスマホを棚に置いたままだった。

 監督のことは気になったが、足音を消すために靴を脱ぎ捨て、裸足でシャワー室に駆け戻る。 

ドアの中から佑俐の戸惑った声が聞えた。

『‥‥‥えっと……これ、晧良のスマホですよね?』

 急いでドアを開けると、目に飛び込んできたのは、シャワーブースの横の棚に置き忘れた晧良のスマホを手にした凪咲の姿。

晧良の姿を認めたはずなのに、凪咲はそのまま話し続け続けようとした。

『ああ、天野さん、お久しぶりです。今、晧良君は手が離せなくって……』

 あまりにも驚きすぎると、言葉を失うというが、凪咲に関してはもう何度目のことか。

 怒りが噴出しそうになるのを何とかぎりぎり抑えたのは、監督の伝言を伝えに来た凪咲の行動を、軽率だと批判してしまったからだ。

 だが、晧良が監督に呼ばれたことを佑俐に告げもせず、手が離せないなどとバスローブ姿で親密さを匂わせるような態度を取るのは何のためだ? 佑俐は男で、学生時代からの憧れの人だと紹介してあるのだから、見せつけるようなことをする意味が分からない。

 途中で割って入ってうやむやにするよりも、凪咲の魂胆を見破って、釘を刺した方がよさそうだ。

 凪咲は悪びれもせず、ドアを指していくようにゼスチャーで伝えてくる。晧良は首を振って行かないことを示すと、無表情のまま凪咲を観察した。

「ごめんなさい。天野さん。晧良君に何かお伝えすることはあります?」

『……いや……ああ、今夜は予定があるので、二三時過ぎじゃないと電話に出られないと伝えてください』

 ああ、佑俐、ごめん! あとで説明するから、許してくれと晧良は心の中で謝った。

「分かりました。そのように伝えます」

 凪咲が電話を切ると同時に、晧良は数歩で距離を詰め、凪咲の手からスマホを乱暴に取り返した。

「人のスマホに勝手に出て、一体どういうつもりですか?」

「あなたは余計なことをせずに、私の言うことを聞いて撮影に挑めば、間違いなくブレークするわ。私は晧良君より年下だけれど、子供のころから劇団に入って子役で出ていたからいたから、スター性を持った人がどんな人かは分かるの。晧良君が大物になれば私と釣り合うでしょ? 」

「おっしゃる意味が分かりません。俺は俳優になるつもりはないので、凪咲さんの横に並んで立つことはありません」

「どしてそんな勿体ないことをいうの? 容姿や資質だけではどうにもならない世界で、晧良君はご両親のことといい環境的にも恵まれているのに」

「それは、凪咲さんが演じる側が一番だと思っているからだ。俺は創作したり、プロデュースする方があっているし、芸術面で活躍する人と一緒にいたい」

 凪咲の顔から笑顔が消えた。目を眇めるだけで恐ろしい気迫を感じる。

「やっぱりあの天野って人が悪影響を与えているのね? きれいな顔をしているから晧良君も色仕掛けで迫られたんじゃないの? あの人にとっては日本と繋がりができるし、晧良君の将来性を見ればコネを作っておいて損はないから必死で気をひくのでしょうけれど、ロケが終わったら手を切って演技に集中する方がいいわよ。私がこれまで通りてを引いてあげるから」

「いいかげんにしてくれ!」

「な、何どうしたの急に?」

 堪え切れずに叫んだ晧良を見て、凪咲の威圧的な態度が崩れた。

マネージャーからは撮影が終わるまでは、凪咲に面倒を焼かせてやってくれと頼まれていたが、もう限界だ。

 第一我慢したって、遠慮どころか自分の言いなりにできると勘違いして、要求がエスカレートする一方で堪ったもんじゃない。

「佑俐を悪く言うな! 佑俐の技術や才能に色仕掛けなんか必要ない。俺がずっと思い続けていたんだ。友情じゃなく、恋愛の対象としてね。ようやく誤解も融けて恋人になれたのに、あなたが邪魔をする。これ以上余計なことをしたら許さない」

「よくもそんな生意気なことが言えるわね。私がどれだけあなたの面倒を見てきたと思うの。一度も演技をしたことがないくせに、ちょっと人気が出るとすぐに大きな顔をしたがる人がいるけれど、いくら親が芸能界で顔が利いても、そんな態度ならすぐ潰れるわよ。それに男が好きだなんて言ったら今のファンは全滅ね」

「潰したければ潰せばいい。その前に、俺のような犠牲者を出さないためにも、凪咲さんの今の精神状態をしっかり把握した方がいい」

 晧良は、スッと息を吸ってヒートアップした気持ちを静めようとした。怒りをぶつけ合うだけでは問題は解決しない。何が問題なのか、相手に分からせるためには、相手の激情に飲まれないことが大切だ。

 今まで、新人らしく従順なふりをしていた晧良は、経営者である本来の顔を取り戻して語った。

「凪咲さん、共依存という言葉をご存知ですか?」

「何よそれ。人を加害者呼ばわりしておいて、まだ何か偉そうなことを言うつもり?」

「ええ。凪咲さんがSNSで受けた中傷を気にして、不安定になっていることは、ロスで聞いたのでスタッフやマネージャーも知っています。凪咲さんは、俺の面倒をみることで、先輩としての誇りや、自分は求められている人間だという自信を回復したいんだ」

「そ、それのどこが悪いのよ」

「精神が安定していれば、相手の立場や気持ちも尊重できるはず。だが、今の凪咲さんは、不安を回避するために、相手の面倒をみ倒して、自分に依存させることで安心と自信を得ようとしているんだ。俺が弱い人間なら凪咲さんに頼りきって、自分では何一つ決められない操り人形のような人間になっただろう。凪咲さんは共依存が上手くできないから、俺に腹を立てているだけし、共依存ではいつまでたっても凪咲さんの本当の自信は取り戻せない」

 凪咲はじっと何かを考えるように一点を見つめている。やっきになって反論しないのはいい傾向だ。すぐさま否定に持っていかれたら、進展しないどころか、自己を守ろうとする凪咲からとんでもない反撃を食らうだろう。

 凪咲の目が晧良に向いた。口から出たのはやはり無謀な条件だった。

「分かったわ。晧良君と自分を切り離して、自分のことだけに集中してみる。その代わり、晧良君も天野さんに惑わされているんじゃないと実証してみて」

「惑わされている? 俺が? 何を実証しろというんだ?」

「あなたは創造する人と一緒に居たいと言ったわね。それは天野さんの活躍や美貌に惑わされているだけなんじゃないの? 彼と気持ちが結びついたと思っているのは晧良君だけで、天野さんは日本での足掛かりにしようとしているだけかもしれないわ」

「そんなことはない。佑俐が芸術に生きやすいように、俺は過去に佑俐を手酷くふっている。今回は誤解も融けたし、傷つけた分、俺はこれから佑俐を大切にしていくつもりだ」

甘いわねと言って、凪咲が鼻で笑った。

「それこそ、復讐かもしれないじゃない。その気にさせてから仕返しに捨てるの。それでも晧良君は創造する側でいたいと思えるかしら? 私に現実を見ろというなら、晧良君だって言ってることが正しいかどうか証明してみてよ。そしたら、あなたに口出ししないし、佑俐君と晧良君が熱い関係だということも黙っておいてあげるわ。あなたのファンだけじゃなく、映画の総動員数にも関わるでしょうから」

 俺を脅すつもりかと、晧良は一瞬身構えたが、晧良の言うことが正しいと証明すれば、凪咲も共依存に頼ることなく、自分をコントロールする方法を探せるチャンスになる。

「こうやって話していても、凪咲さんは頭の回転が速くて、男性と渡り合えるほど度胸もあるんだから、本当なら依存する必要なんてないんだ。一人で立って歩けると自覚してもらうためにも、俺と佑俐の間に利害関係はなく、純粋に思い合っているんだと証明してみせます。どうやれば凪咲さんは納得できますか?」

「そうね。ロケまでの間、天野さんとの連絡を一切断つこと。お互いに信頼して愛し合っているなら、少しの間不通になったって関係が壊れたりしないでしょ? リベンジも利用もできないと分かれば、天野さんだって晧良君に好い顔をしないでしょうから、事実を判明させるのにも、ちょうどいい方法だわ」

「自分のプライドを傷つけられて、仕返ししたいのは凪咲さんの方でしょう。俺は約束を守る人間です。立証したら二度と俺たちの関係に口を出さないと約束してください」

 晧良が強く言い放った時、廊下からADが呼


 凪咲の約束を取りつけたのち、シャワー室を出た。

 ADと一緒に廊下を急ぐ晧良の頭に浮かんだのは、佑俐の問いだった。

『なぁ、人魚はどうして自分の気持ちを伝えようとしなかったんだろう? 声が出せなくても、紙や絵に書いて伝えられたはずだ」

 俺はあの時、相手の幸せを願って身を引いたのだろうと答えた。俺にはその気持ちが分かり過ぎるほど分かったからだ。

でも、二度目はない。しがみついても佑俐との関係を手放さない。

 例え、現代の紙と絵の代わりのSNSが使えないとしても、俺は自分の気持ちを佑俐に絶対伝えてやる。

 

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