第28話 声にならない心の形

 L・Aでのロケが始まった。

 今日は現地入りした日本のスタッフとL・Aのクルーの打ち合わせがホテルの会議室で開かれる。役者たちも泊まっているであろうホテルに出向きたくはなかっが、これも仕事だと割り切って、佑俐はエレベーターに乗り込んだ。

 ドアが開き、会議室へ向かう通路に足を踏み出したところ、パントリーの入り口から、まるで待ち伏せしていたかのように晧良が現れる。

 心臓がドクンと跳ね、郷愁にも似た切なさと恋しさが込み上げたが、電話どころか何のメッセージも寄こさぬ男の冷たい仕打ちを思い出し、心の痛みを押し隠して、通り過ぎようとした。ぬっと横から伸びてきた手に腕を掴まれ、パントリーへと引っ張られる。くるりと位置を入れ替わった晧良に、出口を塞がれた。

「佑俐、痩せたな」

 晧良が眉を寄せて、佑俐の顔を見つめる。

 誰のせいだと思ってるんだという言葉を飲み込んで、何の表情も見せないまま、忙しくてねと答えた。

「お前の方は元気そうでよかったよ。てっきり魔女に声を持っていかれたんだと思ってた」

「……連絡もできずすまなかった。ロケが終わったら話がある」

「言い訳なら聞き飽きた。どうせ魔性の女の虜になりましたってとこだろ。良かったなハッピーエンドで。俺は話をする気がないから、ロケが済んだら、あの女と一緒に、とっとと日本へ帰ってくれ」

「その魔女と俺は、王子を巡って賭けをしたんだ」

「何だって?……いや、もう聞きたくない! 頼むから、俺を振り回すのはやめてくれ。もう、俺はお前のことなんて何とも思っていないんだ。再会して学生時代のいい時を思い出して血迷っただけだよ。離れて連絡がなくなったおかげで頭が冷えた」

「本当に、俺を忘れる気か?」

「ああ、そうだよ。どうせ日本とアメリカの遠距離恋愛で上手くいくわけないんだよ。今からスタッフ会議に出なくちゃいけないんだ。そこをどいてくれ」

 言いながら晧良の横を通り抜けようとすると晧良が片手で進路をふさいだ。

「聞いてくれ。凪咲さんが俺に付きまとって、佑俐との仲を邪魔しないようにするには、俺たちが本気で恋愛をしていることを証明しなければ……」

『おい、そこで何してる? ユウリを放せ!』

 普段の愛想の良さを消し去ったイーサンが、パントリーの入り口に仁王立ちして晧良を睨みつけている。晧良の連絡が途絶えてから、落ち込んで口数が減った佑俐を、イーサンはかなり心配した。理由を言わなくても、イーサンが晧良の話題を出した時に、佑俐が見せた反応で、原因を突き止めたのだろう。

『ユウリ、もう会議が始まる。行こう』

『ああ』

 晧良の言ったことが引っかかったが、イーサンに大丈夫かと訊ねられて、余計なことを考えるのをやめた。

 だが、後ろから晧良の声が追ってきた。

「佑俐。信じてくれなくても、お前を思う気持ちは本当だ。分かってくれるまで俺は言い続ける」

 耳を貸すなと頭では思っても、まだ晧良を慕う心が引っ張られてしまう。そのうち引きちぎられて、痛みと辛さで狂ってしまうのかもしれない。もう、最後にしなければ。

 立ち止まって振り返った佑俐は、晧良に言い放った。

「無駄だよ。人魚の声は届かずに終わるんだ」

 踵を返して、待っていたイーサンと一緒に歩き始める。

 カツカツと鳴る二人分の靴音が、一瞬耳から消えるほど、強く響く晧良の声が聞えた。

「絶対に届かせてみせる」

会議の後、佑俐は慌ただしい撮影スケジュールに追われていった。

 L・Aのホテル内でのやり取りや、ラスベガスの水中ショーの大部分は、日本でセットを組んで撮影済みのため、L・Aでの撮影は、ヒロインが本物の街中を散策するシーンや、ヒーローに見つかって逃げるシーンなどから撮っていく。

 いよいよラスベガスでの撮影に移り、佑俐も特殊メイクをするために同行することになった。見納めのつもりで晧良の登場するシーンを目に焼き付ける。

 恋愛に苦悩するヒロインの凪咲に惹かれる晧良と、一時を忘れるために晧良のショーに夢中になる凪咲。追って来た婚約者が本気で自分を思っていることを知り、晧良との間で気持ちが揺れ動く。

 晧良を探った婚約者は、耳に入れた人魚伝説と、泳ぎと潜水時間が人間離れしている晧良を結び付ける。伝説を調べるうちに海を追われた人魚は海に入れば泡となって消えると知り、晧良を凪咲から遠ざける方法を考えた。

 凪咲に自分か晧良かを選んでほしいともちかけ、そのために晧良のいる場所から離れて考えるように説得し、海辺のリゾートへと誘う。

 ヨットで海へ繰り出そうとした時、晧良が凪咲を追ってやってきた。凪咲を取り返す計画を実行するために、婚約者がわざと晧良に知らせたせいだ。

 ヨットを操縦できる凪咲に、二人で泳いでいくからと告げ、離岸させる。晧良には凪咲の乗った船まで、先に泳ぎ着いたものが凪咲を手にするという条件で決闘を申し込んだ。

 諦めると高を括っていた婚約者の前で、晧良はTシャツを脱ぎ捨て、海に飛び込んだ。

 最初は得意の泳ぎでスイスイと泳いでいた晧良が、突然暴れ出し、水面にごぼっと大きな波と泡を残して沈んでいく。

 その泡を目指して、無数の人魚の影と尾ひれが見え隠れしながら遠くから押し寄せるところで撮影が終わった。

 一行が海から、近くのスタジオへと移動する。出番が終わった凪咲もついてきたようだ。この撮影のために借りたという本場の水中ショー用の巨大な水槽が設置してあった。

 そこからが、佑俐の出番だ。

 佑俐は美大で培った絵の腕を活かして、ウォータープルーフタイプの特殊顔料を使い、晧良の顔と上半身、腕とハーフパンツから覗く脚の所々に、皮が剥がれて剥き出しになったようなペールピンクの生の肉を描いていった。

 その上から光の当て具合によって、玉虫のように色合いが変わる鱗を、丁寧に重ねながら貼っていく。

 久しぶりに触れる晧良の肌を意識して、手が震えそうになるのを堪えて、最後まで貼り終えると、完成度の高さに周囲からどよめきが起こった。

ブルーシートで囲まれたCG用のコーナーで撮影が開始される。泡になって消えるのを防ごうとして、人魚たちが自分の鱗を晧良に与えて形を留めようとするシーンだ。人魚全員が水槽に入ることはできないので、ここは背景をCGに頼るらしい。

 スタジオの中、宙吊りにされた晧良は、薄く光る鱗の膜に覆われて輝き、壮絶に美しかった。それゆえ、水中でもがくシーンに悲愴さが増す。鱗を手に、晧良に群がる人魚たちの顔にも、撮影中のスタッフの表情にも悲しみが現れている。佑俐も晧良の演技に引き込まれ、まるで自分が水中にいるように苦しくなった。

 そのシーンの撮影が終わり、一旦床に下ろされた晧良の傍により、佑俐が貼り付けた鱗のチェックをしていると、晧良が名前を呼ぶ。

 顔に当てていた指に息がかかって、ぴくりと反応してしまい、佑俐は頬に血が上るのを感じた。

「素晴らしい特殊メイクをありがとう。さすが佑俐だ」

「素材がいいから、特殊メイクが映えるんだ」

 顔を見ないまま答えると、晧良がフッと笑いながら言った。

「じゃあ、佑俐に会うために俳優を続けて、特撮ものばかりを選んだら、専属メイクアップアーチストになってくれるか?」

「ばか。普通のテレビの特撮ものに、事務所がアメリカのメイクアップアーティストを頼むかよ。仮に自己負担すると晧良が言ったって、新米アクターの稼ぎで、俺を専属にできると思うな。俺のギャラは高いんだ」

「ハハ……ようやく佑俐らしくなった」

「だ、誰のせいで……」

 佑俐の言葉は撮影開始の声に遮られた。晧良が立ちあがる。見上げる佑俐に、上から降ってきたのは、見ていてくれという言葉だった。

 大きな水槽に腰かけた晧良の脚をスタッフが支え、晧良が水中に背中から身体を倒していく。苦しそうにもがく晧良。その顔や腕から一枚一枚鱗が剥がれて水中を舞う。残酷で幻想的なシーンに誰もが釘付けになった。

時間が経つにつれ、息は大丈夫なんだろうかと佑俐は心配で堪らなくなった。

 佑俐を落ち着かせようとして、隣に立っていたアーティスティックスイミングの振付師だという鈴木が、限界のときのセーフティーワードがあると教えてくれる。

「晧良君が世界で一番尊敬している人の名前なんですって。その人がいたから自分の道を開いてこれたんだって……この撮影もその人の存在を感じながら演じるって言っていました。もうだめだ。限界だというときに唇がユウリって動くんです」

 胸にせりあがる思いに涙が溢れそうになる。佑俐は鈴木から顔を逸らし、水槽へと目を向けた。

 鱗を殆ど失った晧良は、もう動いてはいない。斜めになった顔はこちらに向けられていて、ゆっくりと口が丸まり、吐き出された泡がぼこっと音を立てながら上っていく。瞼がだんだん閉じられて、身体が傾ぐ中、唇が横に開いていった。

 ゆ…り? 佑俐と言ったのか?慌ててマネージャーを見ると、顔色が変わっている。

「いつもより、潜水時間が長いですね」

それなのに撮影は止まらず。水槽の淵にひっかけていた下半身がずるずると水槽の中に滑り出す。水底へと深く深く落ちていく身体には、全く力が入っていなかった。

 やめてくれ!晧良が死んでしまう!

 思わず駆けだした佑俐を、イーサンが抱えて止めた。心の中で、後悔が渦を巻いて、言えなかった言葉が頭の中を暴走した。

 好きなんだ! 好きなんだ! 晧良がこんなにも好きなんだ!

暴れる佑俐を静めたのは監督の「カット!」という言葉だった。

 ぼやけた視界に映った水槽の中、人影が浮上するのが見えた。沢山の手が伸びて水槽から晧良を引き上げる。撮影につきそった医者が晧良に酸素吸入器を渡し、二、三質問してから様子をみると、問題ないと言って立ち去った。

 まだ背中で大きく息をしている晧良に近づき、名前を呼んでみる。声が震えてしまったが、もう自分の気持ちを偽るのはやめた。

拒否されることよりも、届かなくなってしまうことの方がどれほど怖いかを思い知った。

晧良が生きているうちに、自分の想いを素直に伝えよう。

 まだ息の荒い晧良の背中に抱きついた。晧良が驚いて振り向き、佑俐に濡れるぞと切れ切れに言う。

「濡れることなんて何でもないよ。心配し過ぎて俺も死ぬかと思ったんだぞ。晧良のドアホ! 心配させやがって」

 語尾が掠れて視界が滲む。泣き顔を見られたくなくて、晧良の首筋に顔をぐいぐい押し付けた。

 晧良の手が佑俐の髪に差し込まれ、宥めるように優しく地肌を撫でる。

「佑俐、ちゃんと見ていてくれたか? 俺の言葉、伝わった?」

「ああ、演技は最高だった。でも頼むから無茶をしないでくれ。俺の名前を呼ばれた時には、こっちもどうにかなりそうだった」

「お前のな…まえ?」

「ユウリって呼んだだろ? マネージャーがセーフティーワードだと教えてくれた」

 眉をひそめ、一瞬首を傾げた晧良が、思い当たったように、唇を丸めて横に引く動きを、ゆっくりと二度繰り返したかと思うと、がくりと頭を垂れた。

「ああ、佑俐にはダイレクトに言わないと通じないんだった。“ゆ”じゃなくて“す”だよ」

「えっ何?ユウリじゃなくて、ス……ええええ~っ」

「佑俐が人魚の言葉は通じないで終わると宣言したから、俺は届けてみせると言っただろ? 声にならなくても、お前を思う気持ちを伝えたかったんだ。好きだと言ったんだ。なのに、告白にそのリアクションはないだろう」

「だって、口の形は二回しか変化しなかったじゃないか。“すきだ”なら三回動くはずだ。す・き・だ。あれっ? “だ”は舌が上あごを叩くだけだから形が変わらない? そんな。泡で見えなかったんだよ~」

 真っ赤になって必死で言い訳をする佑俐に、いつの間にか周囲に集まってきたスタッフたちが「返事は?」と訊ねる。

 外国人スタッフはスマホの翻訳アプリを作動して、人魚の告白を聞いていたようだ。

凪咲も真剣な眼差しで佑俐の返事を待っている。男同士の恋愛をオープンにして大丈夫かと一瞬思ったが、土地柄LGBTは市民権を得ている。映画に関わる者たちは秘密保持契約書を交わしているから、日本でのことは監督やプロデューサーに任せようと腹をくくった。

「俺は王子じゃないけれど、人魚の末裔とハッピーエンドになれるよう努力する」

 口笛と歓声と拍手が沸き起こる。イーサンが晧良に近づき、貼りつけたような笑みを浮かべながら言った。

『一応、おめでとうと言っておく。でも、今度ユウリを泣かせたら、刺身にしてやるからな』

 いつも人を笑わせるイーサンの会心のジョークに、大爆笑が起こったが、イーサンの本音を感じ取った佑俐は笑えずに、晧良の顔をチラ見する。晧良も真面目な顔で応えた。

「その時は、自分からまな板の上に乗るよ」

 ナイスジョークだと騒ぐスタッフたちをしり目に、監督たちはフィルムチェックに余念がない。佑俐は自分のために無茶をした晧良への叱咤を予想して、身の竦む思いをする。

監督が晧良の方に向き直り、アドリブの判定を言い渡した。

「晧良君、なかなかいいアドリブだ。このまま使うことにするよ。泡となって消えていく人魚の声にならない心の叫びは、観客に訴える名場面になるだろう。天野君も素晴らしい特殊メイクをありがとう。二人共お疲れ様」

 晧良はオールアップになった。晧良が監督やプロデューサー、出演者とスタッフたちに挨拶をする傍らで、佑俐も一緒に頭を下げた。

凪咲の前に並んだ時、凪咲はまるで憑き物が落ちたような穏やかな微笑みを浮かべ、あなたたちの勝ちねと言った。

「約束をお忘れなく」

晧良の念押しに、凪咲が頷づくのを見て、晧良が歩き始める。凪咲がなぜか悪戯っぽく笑ったのを、晧良の後に続いた佑俐は目撃したが、晧良は気づいていないようだ。

大丈夫だろうかと佑俐は内心不安を覚えつつ、みんなから送られる祝福の拍手にお礼を言って、晧良と共に退場することになった。

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嘘と真実と愛に鳴く マスカレード @Masquerade

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