第26話 芽生えた疑惑
「愛の残像」の撮影が日本で始まった。
L・Aでのロケは物語の終盤なので、晧良と会うのはまだ先になるが、SNSを通じてお互いの日常や映画などの話題をやりとりをするようになり、会わなかった六年間がまるで嘘のように思える。
時々晧良からかかってくるビデオ通話には、画像が映った途端に、喜んでいますオーラ全開の笑顔を送りそうになり、出る前から心の準備が必要だ。
でも、いくら気持ちを引き締めたところで、心を撫でるような甘い声で、佑俐と名前を呼ばれると、足から崩れそうになる。
話ているときはこの上なく幸せな気持ちになっても、電話を切ったあとは簡単に会いにいけない距離を感じてズンと落ち込むことも度々だ。
晧良に会いたくて、声を聞きたくて、電子書籍サイトで、映画の宣伝が載った週刊誌を購入したりした。
大抵は大原凪咲と相手役のアイドルグループのリーダーがメインの記事だが、ある号から凪咲と一緒に特集を組む相手が晧良に替わり、それが佑俐を不安にさせた。
佑俐が予測していたように、晧良の両親の芸能界や文壇における活躍ぶりと、それに頼らず学生時代に事業を立ち上げ独立した晧良のバックボーンは、大衆の関心を大いに引いたようだ。加えて日本人離れした恵まれた容姿とあっては、若い女性が放って置くはずがない。あっという間に熱狂的な女性のファンが膨れ上がった。
やっぱり、こうなるよなと思いつつも、恋人が指示されるのが嬉しくないはずがない。誰にも自慢できないのが癪だが、記事を読んで誇らしく思い、スマホを見ながらにやけたりした。
そこまでは良かったが、佑俐の不安は的中した。晧良の記事が出れば週刊誌が売れると踏んだ各週刊誌は、こぞって晧良の記事を書き立てるうちに、内容がゴシップへと変換されていく。凪咲が晧良にべったりくっついていることもいいネタになり、国民的女優と大型新人の熱愛発覚という大々的な見出しのついた写真が週刊誌の表紙を飾った。。
夜の街に二人で歩く写真は、どう見てもお忍びデートに見える。
でも、こんなのは後ろにマネージャーやスタッフがついていても、カメラの角度次第でどうとでもなることを、ゴシップの多いハリウッドスターと付き合いのある佑俐は知っていた。
俺は、こんな記事は絶対に信じない。
晧良はロケが終わるまで待っていてくれと言ったんだ。
佑俐は週刊誌を見るのを止めた。
そんなある朝早く、ビデオ電話のメロディーが鳴った。くっついた瞼を何とかこじ開け、時計を見ると、まだ朝の六時だ。
布団に潜り込んだが、電話は鳴りやまず、仕方がないので、サイドテーブルの上にあるスマホに手を伸ばした。
晧良の名前が表示されている。ともすると手から力が抜けて顔の上に落下しそうなスマホを握り直し、指で髪を梳いてから通話に切り替える。
「あきらぁ~。お前一体何時だと思ってるんだ。こっちは朝の六時だぞ。昨夜はショーの仕事が終わった後で、遅くまで打ち上げに出ていたから、まだ眠いんだ」
『ああ、しまった! 悪い。時差を勘違いした。佑俐、聞いてくれ、ロケの日にちが確定したんだ』
小説では人魚の末裔の気持ちや行動を掘り下げてあったが、映画は売上を見込んで、人気女優大原凪咲とアイドルグループのリーダー桜木海斗が主に活躍する脚本になっていた。
晧良の人気が出たために出番が増やされ、脚本の修正が入ったらしい。そのため撮影時期がずれるかもしれないと聞いていたが、小説に忠実にすることでスケジュール通りに収まったらしい。
予定通り会えることを喜んで話す晧良は、上半身裸で、髪から水が滴り落ちている。後ろに映る場所も晧良の部屋ではなく、シャワー室のようだ。
後ろから女性の声がして、ハッとしたように晧良が振り向いた。手で覆ったスマホからはくぐもった小声のやり取りが聞こえるが、内容ははっきりしない。ようやく画面から晧良の手が離れ明るくなった視界に、バスタオルを差し出す細くて美しい手が割り込んだ。
晧良がお礼を言ってバスタオルを受け取り、頭にかぶって髪の水分を拭く。横にいる人物が気になるようで、晧良の視線が何度もそちらに流れたかと思うと、夜にかけ直すと言ってスマホが切られた。
何なんだ? 今のやりとりは。
今、日本は夜の十時だから、シャワーを浴びていてもおかしくはないが、女がいるってどういうことだ?
こっちを早朝に叩き起こしておいて、浮気がバレそうになったから、慌てて切ったのか?
でも、あんなに嬉しそうにもうすぐ会えると喜んで話す晧良が、女とシャワーなんてありえない。きっと撮影か何かで……
「あ~もやもやする! そうだ。今夜は予定があったんだ。連絡しておかなきゃ」
メッセージでもいいような気がしたが、まだ切ったばかりだし、疑いたくなる気持ちを払拭できればと電話をかける。
三回、四回、五回、コール数が重なるごとに落ち着きがなくなり、ベッドに起き上がる。
もう切ろうかと思った矢先に電話が通じた。
画面に出たのは、濡れ髪にバスローブ姿の凪咲だった。
「‥‥‥えっと……これ、晧良のスマホですよね?」
我ながらばかな質問をしていると思いつつ、頭の中はパニックで、誰かこの状況を説明してくれと心が叫んでいる。
『ああ、天野さん、お久しぶりです。今、晧良君は手が離せなくって……』
そういいながら、凪咲は画面に映らない方向を見て、困ったような表情で頷く。まるで、そっちの方向に誰かがいて、声をださずに仕草で会話をしているようだ。
『ごめんなさい。天野さん。晧良君に何かお伝えすることはあります?』
「……いや……ああ、今夜は予定があるので、二三時過ぎじゃないと電話に出られないと伝えてください」
『分かりました。そのように伝えます』
切れたスマホを握りしめ、ベッドに腰かけたまま佑俐は放心したように壁を見つめた。
きっと、何か訳があるんだ。
何とか自分を宥めて平常心を保ち、一日中仕事に追われたが、その夜どれだけ待っても晧良からの電話は無かった。
次の日も、翌日も、まるで佑俐の存在は忘れ去られてしまったように、晧良からはメッセージも送られてこない。
最初は意地になって、こっちから連絡なんてしてやるもんかと思っていたが、次第に心細くなり、メッセージアプリをタップする。
画面には、電話が途絶えた前日に晧良から送られてきたメッセージ。
【佑俐に会いたい】
みるみるうちに、佑俐の目に涙が溢れた。
俺も……文字を入れてみるが、日数が開きすぎて浮いてしまった言葉を削除する。
当たり障りのない撮影の進行を訪ねる文章を書き込み、送信した。
晧良の演じる人魚の末裔は、ラスベガスで水中ショーに出演している設定だが、全てを現地で撮影すればとんでもない製作費がかかるので、3Ⅾ背景を組み込んだ撮影を日本で先撮りする。水槽ごしのキスシーンでは、晧良はどんな顔をして映ったのだろうと気になっていたので、追加メッセージを送った。
【キスシーンのリテイクは、何回した?】
相手の顔を想像したくはないが、何度もリテイクを食らい、目を閉じてガラスに口づける晧良を想像したら、口元がにやけた。
だが、どれだけ待っても既読はつかず、佑俐の心は不安と悲しみで埋め尽くされて、どうにかなりそうだ。
「俺の成功を願って、酷いフリ方をしたっていうのは、やっぱり嘘なのかよ? お前に二度も騙されたら、もう俺は立ち直れる気がしない。頼むから連絡してくれよ」
佑俐の願いは届かず、佑俐は動かなくなった晧良のメッセージ欄に、見えない文字で、喜びや悲しみ、苦痛と憎しみなど、全ての感情を書き綴って葬った。
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