第7話 Blackout

 朦朧とする佑俐の頭を晧良の大きな手が撫で、まだ息が整わない佑俐の唇に、労わるような口づけが落とされた。


「お前、エロ過ぎる」


 大きなため息を晧良が吐く。

まだぼ~っとしている佑俐は、どう受け止めていいのか分からない。不安だけが増して、こんなことになったのは俺だけのせいか?と反発心が湧いた。

佑俐の上から身を起こした晧良が、ソファーに俯き加減で座り、乱れた髪をかき上げる。


「最初に会ったときから、きれいな顔が焼き付いて、しつこいと思われたらどうしようと思いながら部活に何度も誘ってしまった。でも、佑俐はつれなくて、ツンツンしているかと思うと中身が面白い奴だと分かってきて、何だかちょっかいをかけずにはいられないんだ」


「俺の反応が楽しいから、揶揄いたくなるのか?」


 心の温度が急激に下がったように感じる。

 晧良のSっ気を満たすのに、俺は使われたってわけか?

自分だけ下半身をさらけ出した姿は滑稽でしかない。せめて好意を持ってくれてのことだったら、こんなに心が痛むこともなかったのに……


「な、何で怖い顔をしているんだ。俺だって戸惑ってるんだ。楽しいから揶揄うって、まるでいじめっ子のガキじゃあるまいし……いや、根は同じなのか……」


 目を白黒させて自分の気持ちを探ろうとしている晧良に、猛烈な怒りと悲しみが湧いた。

 ソファーから立ち上がって下衣を直すと、佑俐は黙って入り口へと歩き出した。


「おい、佑俐、どうしたんだ?」


「悪い。帰るわ。帰れるようにしてもらったからな。お母さんと里奈さんによろしく言っておいて」


 ロックを外して部屋を出た。まだ臨戦状態の晧良は追ってこれないだろう。

 階段を上がっている最中に、佑俐の足音を聞きつけた晧良の母がやってきて、もう帰るのかと不思議そうな顔をした。佑俐としては気まずくて、早く帰りたい一心だ。


「すみません。実家から急用のメールが入っていたのに気が付かなかったんです。お邪魔しました」


「そう。何だか元気が無いように見えるけれど、晧良と喧嘩でもした?あの子、そつがないようで、人の気持ちに疎いところがあるから。ひょっとして映画館で見るような新作じゃなくて、古い映画を見せられて気を悪くしたんじゃないかしら?」


「いえ、とんでもありません。すごく幻想的で美しい映画でした。ちょっと俺たちの年代では見世物小屋というのはピントこないけれど、昔の悲恋の設定ならありなのかなと。すみません。生意気なこと言って」


「ううん、貴重な意見をありがとう。さっき映像を見て懐かしくなって、小説にしてみようかと思い立ったの。天野君なら見世物小屋をどこにする?」


 あまり話を長引かせると、晧良が部屋から出てくるかもしれず、佑俐は後ろが気がかりで仕方ない。

これ以上意見を訊いてもあてにならないと思わせるために、佑俐は半ばヤケクソで、とんでもないアイディアを出すことにした。


「伯母がロスで仕事をしているんですが、以前訪ねた時にラスベガスで水中ショーを見せてもらったんです。あれは空中のパフォーマンスと飛び込む美しいフォルムが見ものでしたが、人間になった人魚なら、大きな水槽の中で得意の泳ぎを披露してスターになるのも面白いのかなって思います」


 佑俐の話を聞くうちに、優し気な笑顔を浮かべていた晧良の母は、一転して深く考え込む小説家の顔になった。

 どうだ。悲しい話から大いに逸れてしまって、全然役に立たないだろうと、佑俐は内心ほくそ笑んだ。

 帰る気満々なのを押し隠し、じゃあと言いかけたところで遮られた。


「天野君、そのアイディア頂いてもいいかしら?」


「えっ?ラスベガスのスターイーサンですか?も、もちろんよろしければ使って下さい」


「ありがとう。光景が頭の中に溢れてきたわ。そうだ、天野君は急用があったのよね?ごめんなさい。引き留めて。じゃあ、気をつけて帰ってね」


 急にソワソワし始めた美嶋朝来は、佑俐を機嫌よく玄関に送ると、踵をかえしてドアの中に消えた。

 ちょうど地下から階段を上がってきた晧良が母親と出くわしたのか、佑俐はどこと聞く声が聞える。これはやばいと佑俐は脱兎のごとく駆け出した。


 今顔を見ても冷静に話せる自信はない。

 晧良にとっては、単なる気が向いたお遊びでしかなかったのかもしれないが、佑俐には特別な……特別にしたかった出来事だった。


 映画好きという共通の話題で繋がれば、友達でいられると思っていた。

甘かった。あいつを好きな気持ちが欲望に火をつけて、止まらなくなったんだ。

触れて欲しい。触ってみたい。抱きしめてキスしてほしい。

女みたいな感情に支配されて、本能のままあいつに迫って友情を壊してしまったんだ。


 息が切れて走る速度が落ちる。佑俐は膝に両手をついて、ゼーゼーと荒い息を吐きながら肩を揺らした。

 影になったアスファルトに、水滴が落ちて小さな丸い染みがいくつもできたのを、靴で踏みにじって消そうとする。通り縋りの人が、俯いた佑俐を見て、足を止めようとする気配を察し、ごしごしと目を擦ってから、顔を上げて歩き出した。


 これでは実家に顔を出せない。友人の家に行くことは話してあるから、明音に根ほり葉ほり聞かれそうだ。佑俐は実家に帰れないと断りを入れるために、スマホを取り出した。


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