第8話 悶々悶
佑俐が晧良の家から逃げ帰った後、晧良から何度も電話とSNSのメッセージが届いた。
受信音がなる度にびくついていた佑俐も、だんだん苛ついてきて、スマホをミュートにしてベッドのうえに放置した。
こういう時は、一心不乱に絵を描くに限る。思い切り煽情的な裸婦でも描いて、少しでもそそられたら、晧良のことは血迷っただけだと笑えるだろうか。
高2の夏に彼女にフラれてから、約二年間佑俐には彼女はいない。きっと欲求不満なんだ。うん、そうだ。違いないとブツブツ言いながら鉛筆を走らせる。ベッドに腰かけた女の誘うような顔、豊満なバストから突き出た乳首。脚は片方がくの字に曲がって少し開き気味で、淡い翳りが脚の間の陰と同化し、見えそうで見えない。
いい女だと佑俐は思った。
でもちっともそそられない。
佑俐は自分の気持ちを見極めるために、本棚に立ち並ぶ大小様々なファイルの中から、B4サイズのクリアホルダーを引っ張り出した。
開いた途端に、目の前に海が広がり、海辺に佇む男の絵を見てドキリとする。
プールで見た晧良の裸を思い出しながら、一生懸命描いた表紙絵は、髪型は違うけれど晧良をよく写し取っていた。
伸びやかな肢体に陽の光を一杯受けて、輝く晧良は本当にかっこよくて、見ているだけで幸せな気分になる。
佑俐の目がふと、人物の表情を描くときに使用する鏡に吸い寄せられた。鏡に映った自分に、晧良の声が重なるように感じる。
『相手を思う気持ちが表情に出ていて良い絵じゃないか』
鏡から目を逸らし、机に戻った佑俐は、自棄になって新しいスケッチを始めた。
「くそっ。もっと大胆なポーズの女を描いて、あいつなんて忘れてやる」
集中するせいか時間はあっという間に経ち、辺りがどんどん暗くなってきた。
とうとう鉛筆の線が見えないほど部屋の中も暗くなり、着信を告げるスマホのライトが、気づけとばかりに点滅するのが気になって仕方がない。
「何で俺が怯えなくっちゃいけない?」
明かりをつけて、着信ライトを光に埋もれさせる。逃げてばかりでは、いけないことは分かっていた。
あいつが俺の気持ちを知っていて、ことに及んだなら問題なんだろうけれど、晧良は人の気持ちに疎いところがあると母親も言っていたから、気付いていないと断言できる。俺だって自覚していなかったんだから。
別に強姦されたわけじゃないし、撮影されたわけでもない。悪ノリして悪戯が過ぎたと思えば、どうってこと……ない……と割り切ろうとする先から、思い出したくないのに、晧良の手で達かされた恍惚の瞬間が脳内に蘇る。同時に使用後のティッシュを床に落としたままだったことまで思い出し、羞恥のあまり悶えそうになった。
それに、引っかかって頭から離れないのが、晧良のSスイッチを見つけた女の存在だ。
何組のどの女なんだろう。実家で卒業アルバムを見られなかったことが悔やまれる。
「チッ。何がSっ気があるって言われたことがあるだ。自慢しやがって。俺なんかキスどまりだぞ」
自分にしたみたいなことを、女にしたのかと落ち込みそうになって、突起の大きさが違うから扱くことはできないななんて、下ネタで無理に笑おうとして失敗した。
むしゃくしゃした気持ちを振り払おうとして、晧良あてに[変態!]と送り、ほんの少し留飲をさげた途端に、手の中のスマホが振動した。
メッセージを送ったばかりで居留守は使えない。スマホを両手で持ったまま、どうするどうすると部屋をうろついたが、鳴りやまないので、仕方なく通話マークを押した。
「なに? 今、忙しいんだけど」
『何が忙しいだ。変態なんてメッセージを送れるくせに、ずっと電話もメールも無視しやがって』
「切る」
『待てって! 今日のことは行き過ぎた。謝る。だから機嫌を直してくれ』
うんと頷きそうになった佑俐は、ぎりぎりのところで踏み止まった。
「晧良は、俺とあんなことになって、普通に友人として話せるのか?」
『……してみせる』
「俺は、少し距離を取った方が、お互いに冷静になれると思うんだけど」
『佑俐、俺はお前を失いたくない』
ドクンと心臓が跳ねた。まさか、これは晧良も自分を思ってくれるのだろうかとスマホを持つ手に力が入る。耳が痛くなるほど押し付けたスマホから晧良の声が聞えた。
『お前とはずっと友達でいたいんだ』
「……」
『佑俐?』
「ああ、分かった。俺もお前とはずっといい友達でいることにする。怒ってないから安心しな。課題をやっていて忙しかっただけだから」
『そっか。良かった。じゃあ、また大学で会おう』
通話が終わり、スマホを持った手が力なくだらりと下がる。
「ともだち……か」
佑俐の喉から乾いた笑いが漏れた。
ゴールデンウィークが終わり、大学のゼミで晧良と顔を会わせた佑俐は、一瞬気まずい思いをしたものの、気力でねじ伏せ、いい友達を演じることに成功した。
晧良も普通に見えるように気を張っているのか、相槌や質問の返事を速攻でするので、佑俐も間が開かないように口数が多くなる。二人の会話がいつも以上にスピーディーに応酬されるのを聞いたゼミの仲間たちは、卓球の試合を見ているようだと揶揄った。
映画監督の父と小説家の母の下で育った晧良は、家を訪れる芸術家たちに囲まれて育ったせいか、考え方が柔軟で、性格や能力の違いを気にすることなく誰とでも付き合うため、仲間たちから慕われている。
初対面できれいだけれど取っつきにくそうと思われる佑俐とは正反対だ。
当然晧良を遊びに誘う仲間は多く、その度に晧良は佑俐に声をかけてくるのだが、佑俐は付き合う度合いを減らしていった。
晧良にとっての特別ではない、その他大勢の友人の一人には、なれそうもないと気づいたからだ。
佑俐と晧良は専攻が違うため、ゼミ以外でかぶる受業は殆どない。口実を設けて誘いを断れば、こんなにも会えないものなのだと思い知った。
自分で会わないと決めたくせに、佑俐は晧良に会えない寂しさを克服できる日が来るのだろうかと不安にもなった。
目の前に迫った前期試験を乗り越えれば、夏休みに入り、伯母のいるL・Aへと飛び立てる。
環境が変わり、伯母についてハリウッドの仕事場を見せてもらえば、気が紛れるだろう。
晧良に囚われるあまり、L・Aさえも逃避行の場にしようと考えている佑俐には、その先に何が待ち受けているのか、考える余裕はなかった。
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