第19話 揺れる心 2-2
何も言わない佑俐を咎めることもなく、晧良が先を続ける。イーサンも傍らで黙って話を聞いているのが心強かった。
『最後の一葉は知ってるか?』
『ああ。木の枝に残る一枚の木の葉が落ちれば、自分の命も終わると言った病気の女の子の話だろ? 心配した友人が階下に住んでいる売れない画家に相談したら、嵐の中で画家が壁に葉っぱの絵を描いたんだっけ。嵐が過ぎた翌朝に、葉が落ちずに残っているのを見て、女の子は元気になったんだったよな』
『そうだ。葉に願いを込めたのは主人公だけじゃない。俺も夢が叶うことを願いながらこの演目の演出もしたんだ。見てくれ』
何の願い? オーディションに受かることか?
いや、プレオーディションで見せたということは、既にこの演目はでき上っていたってことだ。
俺に会いたいという願いを込めて、作ったのだろうか? 撮影を上手くいかせるために調子のいいでまかせを言ったのではなく、本気で願っていたというのか。
疑問が口から出る寸前で、動画が再生された。
病気の女の子を励まそうとして、手品師が帽子からペンギンを出し、場内の観客を沸かせる。
実際は隠し持っているのだろうが、手品師が口から吐き出したようにみせた魚をペンギンに与えたりするのが水族館らしくて、佑俐の口元に微笑みが浮かぶ。
続いて一輪車に乗ったジャグリングの集団が出てきて、ベッドを取り囲み、あちらこちらできれいな弧を描くトスジャグリングを始めた。何名かがキャッチボールのように色々な物を投げ合うのを潜り抜けるようにして、一人の画家が脚立を持って登場。
ジャグラーたちが投げる筆や絵具をキャッチしながら、水族館の仲間を次々描いていく。勢いよく跳びはねるシャチやイルカなどの生き生きとした絵が、偏光スクリーンを貼った水槽のアクリル壁に投影されて、女の子と観客たちを喜ばせている。
ところが、突然風の唸る音が聞こえ、ジャグラーたちが吹き付ける風にヨロヨロとしながらステージの外へと消えていく。怯えた女の子がベッドに潜ると、脚立の上で飛ばされそうになりながら、画家が赤く色づいた葉っぱの絵を描き始めた。
画家の手元がクローズアップされ、筆から滴った絵具が水たまりに落ちるのが、スクリーン に映し出される。
一瞬で水槽に貼られた偏光スクリーンが透明になり、バシャンという水音と一緒に紅い葉のようなものが落ちた。
顔面を赤や茶色の枯れ葉色で塗りつぶし、赤を基調とするボディースーツの上から古代ギリシャ人が身に着けたキトンのような衣装をまとった男が、水中でクルクルと回転する。
男が水中で前転、後転、横捻りを見せるうちに、紅葉色のキトンの衣装の一部がほどけて、尾ひれや羽のように辺りを舞う。
解けていく衣装から覗く男の身体は、ぴったりと身体に密着するボディースーツに包まれているため、男の発達した胸筋や形のいい臀部や、筋肉質の長い手足を余すところなく浮き上がらせている。身体の大きさが演技をよりダイナミックなものにみせていた。
内側が虹色に彩色された布が広がる様は、まるで絵具が水の中に溶けていくようだ。
手先から足先まで神経を張り巡らせたしなやかな動きを、佑俐は食い入るように見つめた。
水中の泡や光さえも味方につけているのではないかと思わせる動きに魅せられ、佑俐の全身は感動の波に覆われて、寒気を感じるほどだった。
やがて水面に仰向けに浮かんだ男が両手を合わせて祈るような仕草をすると、両手を空へと広げていく。
画家やジャグラーが空を見上げるのにつられて、上を見た観客たちが、雨除けの天井に虹が映っているのを発見し、どよめきが起こった。
いつの間にか目を覚ました女の子も、嵐に負けずに落ちなかった一葉と虹を見て、生きる希望を胸抱いて起き上がり、手品師やジャグラーたちも交えての喜びのダンスのうちにショーが終わった。
観客席から沸き起こる拍手に、水槽から上がった男が深くお辞儀をする映像を見ながら、佑俐が尋ねた。
『このスイマーがお前なのか?』
『そうだ。感想を聞かせてくれ』
『素晴らしいよ。ただ、泳ぐだけじゃなくて、こんな美しい水中演技ができるなんて驚いた。この演出も水族館らしくてすごく気が利いているし、スクリーンの使い方や切り替わりも良かった。演技をするところじゃないのに、見せ方がとても上手いと思う』
『さすが佑俐は映画の世界で活躍しているだけあって、俺が演出で気を配ったところに目がいくんだな。気に入ってもらえたなら嬉しいよ。この仕事をすることになったきっかけは、ゼミの仲間たちと作った共同作品なんだ』
『そういえば、周囲をびっくりさせるような共同作品を作りたいって言ってたよな』
『ああ。パフォーマンスを入れた作品を合同で作ろうという話になって、音楽やカメラマンの腕を持つ者以外は、どんな特技があるかを話すことになった。俺には披露するような特技は無かったから、小、中学生のころ、姉が習っていたアーティスティックスイミングの練習に、しょっちゅう付き合わされたという笑い話をしたら、それだ!ってことになったんだ』
閃きに文字通り飛びつく仲間の様子が目に浮かび、佑俐は思わず笑みを漏らした。
『面白いことができそうなときは、みんな一気に団結するからな』
『そうなんだよ。芸術家のノリはビッグバン並みに周りを飲み込むんだ。自称振付師や衣装係、シナリオライターも飛び入り参加して、どんどん内容が濃くなって、ソフト面もハード面も充実していった。シリーズ化して動画をあげるうちに、俺たちは一躍有名人になっていたんだ』
佑俐は、自分が置き去りにした大学生活と仲間たちが頭を横切り、ふと感傷的な気持ちになった。それと同時に、あれほど警戒していた晧良と学生時代に戻ったかのように親しく話していることに気づき、胸のうちでしまったと後悔したがもう遅い。
これ以上相手のペースに巻き込まれないように場所を移動することに決めて、晧良を促し駐車場へと向かった。
数歩歩いたところで、イーサンの不機嫌な声が佑俐と晧良に浴びせられ、歩みを止めて振り返る。晧良があっと声を上げてイーサンの所に走り寄るのを佑俐は唖然としながら見つめた。
『おい。二人で昔話で盛り上がるのはいいけれど、ここは日本じゃないんだ。スーツケースを置き去りにしたら、誰かに持っていかれるんだぞ!』
『すまない。佑俐に逃げられると思って慌てたんだ。ずっと会って話したかったから、必死のあまり周りが見えなくってしまったみたいだ。普段はこんなに抜けていないんだが、恥ずかしいところを見せてしまった』
ありがとうとスーツケースのグリップを受け取った晧良の頬が赤くなっているのを見て、佑俐は晧良の言動が見せかけではなく真実だと知った。
途端に涙が込み上げる。
なんでだよ。お前は俺の身体だけが目当てだったはずなのに、なんでそんなに真っすぐな目で会いたかったなんて言えるんだ。
あれは、夢だったとでもいうのかよ!
涙をこぼすまいと横を向いた時に、イーサンが晧良に話しかける声が聞えた。
『ユウリと話があるから少し待っていてくれ』
近寄ってきたイーサンに肩を押され、晧良と距離をとる。どうしたんだろうと見上げたら、イーサンが顔をしかめ、指先で目じりを拭われた。
『ユウリ、大丈夫か?』
心を読まれないように瞼を伏せて、苦笑しながら肩を竦めると、イーサンがポケットから取り出したものを佑俐の手に載せた。
何だろうと思って目ををやれば、水色の地にアイボリー色の葉が浮んだペンダントが、空港の窓から射しこむ光に輝いている。
『これ、失くしたかと思ってた。イーサンが持っていたのか』
『悪い。憂鬱そうにペンダントを突っつくユウリを見ていたら、忘れた方がいいんじゃないかと思って取り上げたけれど、そのまま持って帰ってしまったんだ。ユウリも何もいわないし、このまま持っていた方がいいのか迷っていた』
思案気なイーサンの視線がペンダントに注がれている。未練がましいと言われるかもしれないが、いつか晧良を見返してやると思いながら、半ばお守りのようになってしまったペンダントの経緯をイーサンに語った。
『これは、L ・Aから帰った時に立ち寄ったカフェで、晧良が買ってくれたんだ。三色あって俺は赤い色がいいと思って手に取ったんだけれど、晧良が水色を勧めたんだ。独立心。創造性。飛翔の意味があるから、俺にぴったりだって』
『ユウリのことを考えた選択だな。ちなみに赤い色はどういう意味だったんだ』
『恋愛、愛情の意味だよ。さすがに露骨だなって思ったけれど、晧良は気づかなかったみたいで、がっかりしたのを覚えている』
『本当に気づかなかったのかな?』
『えっ?』
『ユウリの話を聞いた時には、アキラはどうしようもなく野蛮な奴だと思った。会って本当にいけ好かない奴なら、目の前でユウリにこのペンダントを首にかけて、特別な仲だとアピールしてやるつもりだった。でも、何だか違う気がする』
そんなことを言われたって、佑俐だって何度も何度も思い違いではないのかと考えた。
でも、勘違いだと分かった時に、自分がどんな行動をとるのか考えると怖くなり、いつも今更考えたってしかたがないと蓋をした。
『ユウリ、そんなしかめっ面するな。僕は今から仕事があるから一人で帰るけれど、二人で話し合って、アキラがどういうつもりで会いに来たのか確かめるといい』
『そんな、いきなり二人きりにするなよ。薄情じゃないか。ミッシェルに言いつけてやるぞ』
歩き出したイーサンが慌てて回れ右をする。
『僕はユウリが心配だからついてきただけで、最初は一人で大丈夫って言い張ってたじゃないか。ミッシェルに変なことを吹き込むのはやめてくれ……って、笑ったな。せっかく気づいたことを教えてやろうと思ったのに』
『何? 何だよ。もったいつけて。イーサンらしくない。さっさと言って、消えちまえ』
今度はイーサンがほくそ笑んだ。
『アキラがどんな役を演じたかを考えて、一人で悶々するといい』
立ち去っていくイーサンを見送る佑俐の頭は、イーサンの残した謎かけを理解するのにフル回転を始めた。
『何? 晧良が演じた役だって? 紅葉した葉っぱじゃないか。それが何だっていうんだ』
文句を呟ききつつ、ポケットにペンダンをしまおうとしていた手がハタと止まり、手のひらを開く。
空中とも水中ともとれる水色の透明なペンダントトップに浮かんだ白い葉が、脳裏で水中に飛び込んだ晧良の赤い葉と重なった。
まさか、そんなことが……
ペンダントを持つ手が震える。
俺が欲しかった葉は赤い色だ。恋愛と愛情の意味を持つ葉。
でも、あれはショートストーリーに倣った衣装であって、まさか赤い葉が出てくる話を、晧良が意図して選んだなんて考えられるだろうか?
期待と否定の気持ちがせめぎ合う。その間をすり抜けて、晧良が動画を見せる時に言った言葉が蘇った。
『葉に願いを込めたのは主人公だけじゃない。俺も夢が叶うことを願いながらこの演目の演出もしたんだ。見てくれ』
咄嗟に振り返った視線の先に、近づいてくる晧良を捉える。
晧良は佑俐が手にしたペンダントを険しい目つきで睨んでいた。
「ずいぶんあいつと仲がいいんだな。ひょっとしてイーサンは佑俐のパートナーなのか?」
イーサンがいなくなったからなのか、日本語で問う晧良に、佑俐は大きく首を振った。
「違う! 晧良の言っている意味が配偶者の意味なら誤解だ。イーサンは仕事仲間だ」
「本当か? なら、どうして俺が佑俐にプレゼントしたペンダントをあいつが持っていたんだ?」
「それは、その……俺がペンダントを見るときに憂鬱そうな顔をしているらしくて、イーサンが心配して取り上げたまま忘れていたんだ」
ピクリと晧良の眉が跳ね上がり、眉間に皺が寄った。
佑俐は自分の失言に気が付き、大慌てで補足しようとしたが、これ以上何を話すんだと迷った。美嶋朝来の小説が映画化され、こちらでロケをする話を聞いて、晧良を思い出して辛くなったとでも? 丁寧に説明すればするほど墓穴を掘ってしまいそうで、口をパクパクするだけで言葉が出ない。
それを制するように片手を上げた晧良の顔が辛そうで、佑俐の胸がツキッと痛む。
映画の仕事で晧良の名前を見て以来、急上昇と急下降を繰り返した佑俐の心が耐えきれなくなり、胸につかえていた思いが迸った。
「俺の行動で傷ついた顔をするのはやめてくれ! 傷ついたのは俺の方だ。お前があんな冷たい仕打ちをしなければ、俺は晧良との幸せな思い出だけを持ってアメリカに渡れたはずなんだ。お前は俺の気持ちを知りながらもてあそぼうとしたんだぞ」
佑俐の怒りの声が辺りに響き、何人もの旅行者が足を止めこちらを見ている。中にはスマホを取り出し、録画しようとするものまで現れたのに気が付き、佑俐は顔を背けた。
佑俐は名前こそ売れているが、まだそんなに顔出しはしていない。だが、動画が流れれば身元はバレるし、醜聞になるのは目に見えている。察した晧良が野次馬から佑俐を隠すように間に入り、佑俐の背中を押して歩き出した。
「佑俐の気持ちはよく分かった。俺にも説明させてくれ。これから二人で静かに話ができるところに連れていってくれないか? 俺の話を聞いたうえで憎むなり、殴るなりしてくれればいい」
「分かった。ひとまず俺の事務所に行こう」
二人は足早に歩き、佑俐の車が止めてある駐車場へと向かった。
空港から街中へと進む車内は押し込めたような静けさが漂い、佑俐は息苦しさを感じていた。
本来なら晧良をホテルで下ろし、一人で事務所に戻るはずだったのに、助手席に晧良を乗せたまま逆ルートを走ることになるとは……
山口プロデューサーからよろしくと頼まれた観光案内は、撮影の間だけフレンドリーに接して役割を果たすが、それ以外はあくまでもビジネスライクに徹するつもりだった。
ところが、抑えていた感情が渦を巻いて、晧良に食ってかかるというとんでもないしくじりをしてしまった。
この地で今までやってこれたのは、伯母や仲間がいてくれたのは言うまでもないが、強い自制心があったからこそ、トラブルの火種を撒いたり、炎上することなく無事に過ごせたのだと思っている。それなのに、あんなにあっけなく爆発してしまうなんて、自分自身が信じられない。
一般旅行者がたむろする通路で晒した醜態は、一歩間違えばYouTuberたちによって拡散されたかもしれず、晧良の冷静な対応で救われたのが、借りを作ったようで口惜しい。自分の車だというのに居心地が悪かった。
リラックスするために、せめて楽しい会話でもできればいいが、今聞きたいのは晧良の本音であって、雑談ではない。右隣の助手席に座る晧良が気になって、知らず知らず指でステアリングをトントンと叩いたり、チェンジする時でもないのにギアに手を置いたりしていたようだ。落ち着かない佑俐を見て、晧良が心配そうに尋ねた。
「急ぎの用でもあったのか? もし佑俐の事務所が俺の宿泊ホテルより遠いなら、ホテルの部屋で話してもいいが……」
「ホテルだって? と、とんでも……いや、大丈夫だ。午後から仕上げるものがあるけれど、午前中は開けてある。朝食は機内で済ませたよな? もし腹が減っているなら、バーガーショップかどこかに寄るから言ってくれ」
咄嗟にとんでもないと言いそうになったのを飲み込んだが、わざとらしい話題転換で、ホテルの部屋に二人っきりというシチュエーションに慄いたことはバレバレだろう。
視界に入る肩が揺れているように見える。
バックミラー越しに、晧良の様子を見ようとしたら、眦の切れ上がった瞳と目がかちあって心臓が跳ねた。
「食事はいい。ずっと座っていたから腹は減ってない。気を使ってくれてありがとう」
「お、おう」
落ち着け! どんなことを聞いても取り乱さないように、心の準備をしろ!
いや、内容次第では殴っていいと本人から許可が出ているんだから、準備するのは拳でいいな。
今更陳腐な言い訳をするよりも、本当は素直に謝ってくれた方が、潔くて男らしいのにと思わないでもないが、一応聞くだけは聞いてやる。晧良に丸め込まれないためにも、佑俐は脳内でマウントを取る想像をして、鼻息を荒くした。
ほどなく伯母が経営するガラス張りのサロンに着き、来客用のオープン駐車場に車を止める。車の窓から物珍しそうに店を覗く晧良に声をかけた。
「ついたぞ。先に降りてくれ。一階は伯母の店で、二階が俺の創作室とオフィスだ。車を止めて伯母に一声かけてくるから、外階段を上がって入り口で待っていてくれないか。一応ビルトインガレージだけど、スーツケースを下ろした方がいいか?」
「いや、いい。中身は私服と衣装係に持たされた撮影用の服だ。貴重品は手荷物にいれてある」
「おい! 衣装を空港に置き去りにしようとしたのか? それだって晧良のカメラ映りを考えて、衣装さんが一生懸命選んだ貴重品なんだぞ」
「ああ、その通りだ。悪かったと思ってる。俺はイベント会社を経営しているから、衣装の大切さをよく分かっている。必死だったんだ。考えるより先に佑俐を追って走り出していた」
狭い車内に、晧良の言葉が膨れ上がり、シートに張り付けられたように動けない。フイッと視線を逸らせて深く息を吸い、何とか平静を保とうとした。
「事務所の中で聞く。他人通りがあるところで殴られたくないだろう?」
晧良が黙って車を降り、ドアを閉める。
強い眼差しがウィンドー越しにも感じられ、佑俐はこのまま走り去りたい気分になった。だが、かろうじて堪え、サロン前のオープン駐車場から建物の裏側へと回るために車を発進させる。
バックミラーで晧良が外階段を上っていくのを確認しながら、佑俐はハンドルを握る手に力を込めた。
いよいよ対決の時が来る! 言い負かされたりするもんか!
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