第20話 reveal the truth
二階の事務所に通され、出されたコーヒーに口をつけながら、晧良は壁に貼られた映画のポスターや写真を眺めていた。佑俐は少し待っていてくれと言い残し、奥の部屋へと消えてしまった。
ポスターや写真の何枚かは、日本の雑誌にも紹介されていたので、晧良も買って持っている。細かい皺や動脈までを再現して、話題になった「歴史を騒がせた猛者たち」のメイクは素晴らしかった。
「修正をかけない生写真で、このド迫力か。本当の顔みたいだ。佑俐は本当にすごいな」
アメリカンドリームなんて使い古された言葉だけれど、同じ夢を持つ才能あふれた大勢の人々の中、激流に飲まれながらも希望を見失わず、遡上するのは並大抵の才能や努力ではできはしない。その中で頂点を極めるのは、ほんの一握りなのだ。
伯母のサポートはあったとしても、才能は間違いなく佑俐のものだ。日本から離れてこんなにも大きな国で、佑俐は成功を収めたのだ。
絵を描くことに限界を感じていた佑俐が、新しく見つけた才能は晧良には眩し過ぎた。
今更佑俐を突き放した時の身を切るような思いを話したところで、信じてもらえるかどうかという不安も湧く。下手をすれば、佑俐の才能の開花は、俺の手柄だと恩着せがましく取られるかもしれない。
そんなことになったら、和解することは愚か、軽蔑されて、二度と話すことは叶わなくなる。
罪を被ったまま謝れば、上辺だけなら昔の知人として、付き合いを続けられるかもしれない。当初と違う思惑が湧き上がったところで、ガチャリとドアが開いた。
少し緊張感を覗かせた佑俐が、隣の部屋へと誘う。くるりと背を向ける際になびいた長めの髪が、会えなかった時の移り変わりを思い起こさせて切なくなる。
芸術の世界を生きている人間らしく、あの頃とは別人のように洗練された外見をしていても、佑俐の内面には晧良がつけた傷跡がくっきりと残っていることを、空港で人目もはばからずに叫んだ佑俐に見た。
蔑まれてもいい。佑俐の身体だけが目当てだったわけじゃないと言おう。
佑俐の気持ちが少しでも楽になるのなら、真実を告げるべきだ。そう決心して、仕事部屋と思わしき隣の部屋へと足を踏み入れると、佑俐が机の上に置かれたファイルを指して言った。
「話を聞く前に、仕事上必要なことを済ませておきたい。聞いた後では、正常な判断ができなくなるかもしれないからな」
ファイルの中に閉じられた台紙には、5段に仕切られたビニールポケットがついていて、中には肌の色見本と思わしきアクリル板が納められていた。縦五センチ、横二十ぐらいの長方形の板の色は、左から右へいくほど濃い色へと変化し、上方にアルファベットと数値が書いてある。
佑俐がアクリル板の一枚を抜き取り、晧良の顔にかざそうとして、顔をしかめた。
どうしたのかと目で問うと、いきなりTシャツの袖を捲られ、晧良は息を飲んだ。
「何をするんだ」
「肌色のチェックだ。さっきの動画で見た限りでは、外での公演が多いみたいだけれど、今回の役は日焼けをどこまで許されているんだ? 上半身に特殊メイクをしなきゃならない俺としては、焼くなら均一にして欲しいんだが」
「ああ、分かっている。夏場はどうしても屋外のショーが多くなるんだ。俺の代わりになるスイマーが育っているから、これから俺は経営と映画の撮影に専念するつもりだ。シナリオも頼まれているから、肌を焼く機会はないよ。一か月半もあれば日焼けの濃淡ほぼ無くなっていると思う」
「なら安心だと言いたいところだが、こっちはそれまでに用意しなくちゃいけないものがある。一番焼けていないところの肌を見せてくれ」
表情を消してビジネスライクに語る佑俐の目が泳ぎ、頬がほんのりと赤くなっている。まさか、仕事で会う人間にこんな危うい表情を見せているのかと思うと、晧良は心配になってきた。
Tシャツを脱いで、机の上に載せる。佑俐はまだ顔を背けたままだ。
憎い男の裸を見るのはそんなに嫌かと悲しくもあったが、佑俐を振り向かせたい感情が込み上げ、揺さぶりたくなった。
「一番焼けていないところは、衣装の下に穿くインナー部分だ。上半身でさえ直視できない佑俐には、腰骨より下を見るのは無理だよな?」
「なっ……」
揶揄われていると思ったのか、無表情から一転し、キッと睨む佑俐の顔は生気に満ちていて、同じ性なのに、息を飲むほど美しいと思った。
「俺は感情で左右されるような仕事はしていない。そんなわがままが通るほど、この世界は甘くない。よっぽど自分の身体に自信があるのかもしれないが、こっちの世界じゃその程度の体格を保つのは、俳優として当たり前だ。じっくりと見てやるから、ストリップでも何でもすればいい」
揺さぶったつもりが煽り返され、晧良の奥底にある性癖が刺激された。
どこまでその強気を保っていられるのか見てみたいという要求にかられ、ジーンズのボタンを外し、ファスナーに手をかける。
わざとゆっくりめにファスナーを下ろしながら、佑俐の顔をつぶさに観察している晧良の口角が、徐々に上がっていく。負けじと睨み返す佑俐の頬が、僅かに痙攣しているのが見えた。
寛げたウェスト部分から、黒いビキニショーツが覗く。解放感を覚える部分が、感情を抑え込もうとしている佑俐の姿に反応しなければいいがと願うばかりだ。
まだ意地を張るつもりかと、晧良もさすがに焦りを覚え始めた時、佑俐が制止した。
「ま、待て。脱ぐのはいいが、乱暴はしないと約束してくれ」
「何だって?」
「だ、だから、前みたいに無理やり襲ったりしないと誓ってくれ」
ガツンと頭を殴られた気分だった。一気に高揚感が冷めていく。叫ばずにはいられなかった。
「俺は暴行魔じゃない! お前を傷つけるようなことはしない」
「だ、だけど、前は無理やりしようとしたじゃないか。アメリカに行くまで楽しもうって……」
「違う! 佑俐が一月から始まる授業を蹴って、アメリカへ渡る時期を遅らせようとしたから、突き放すためにわざとやったんだ。俺が、どれだけ辛かったかお前に分かるか? やっと思いが通じたと思ったのに、憎まれるために、身体だけが目当てだと言わなければならなかったんだぞ!」
「う、うそだ。今更そんなこと言ったって信じられない」
「空港で、俺が佑俐の気持ちを知りながらもてあそんだと言ったよな? 違うだろ? 実家で映画を見た後、俺は確かに調子に乗り過ぎた。あの後、俺はお前に惹かれているから触れたいと分かったんだ。何度も話し合おうとしたが、無視されて、やっと繋がった電話でお前が言ったのは、友人でいたいということだった、俺はお前に嫌われないように、自分の気持ちを必死で抑えていたんだ。忘れたとは言わせない」
佑俐は瞳を揺らしながら、自信なさげに俯いた。微動だにせず、じっと考え込んでいるようだ。
「佑俐は俺に裏切られたと思っているかもしれない。でも本当に身体だけが目当てなら、佑俐が俺との時間を作るために、留学を一年後にしてもいいと言った時に、喜んでそうしろと勧めたはずだ。お前が俺に圧し掛かられて泣いた時に、俺も泣いていた。お前が俺のことで足止めを食って、チャンスを逃がすことが嫌だったから、嫌われるように仕向けたんだ」
眉根を寄せた佑俐が、ゆっくりと顔を上げた。目が潤んで見えるのは気のせいか?
「確かに、出発を遅らせていたら、今の自分があったかどうかは分からない。ライバルとの競争や、自分の思い通りに作品ができなくて挫けそうなとき、いつか晧良を見返してやるんだという気持ちが俺を支えてきた。学生だった俺は、社会の厳しさなんて知るよしもなかったし、こっちに来てから才能のあるクリエイターが、流行の移り変わりで簡単に消えてしまうことを知った。晧良は分かっていて、俺を行かせたというのか?」
「ああ。市場の大きさは違うけれど、俺の両親は、今の佑俐が身を置いている環境で生き抜いてきた人たちだ。俺は佑俐がこっちで見たものを、小さな頃から肌で感じてきたんだよ。普通の人よりは、芸術を見る目はあると思う。佑俐の才能は本物だと感じたから、俺のせいで潰したくなかったんだ」
佑俐は小さく首をふりながら再び俯いてしまった。長い睫毛の下で瞳が左右に動く様子は、そのまま佑俐の動揺を表しているようだ。
「信じたい。でも、ずっと、ずっと俺を苦しめていたことが狂言だったなんて、俺はどうすればいい? お前を憎み、戻る場所を失ったと思って必死で戦ってきたのに、戦意を失ったら簡単にレースから弾き出されそうで恐ろしいよ」
小さく尻すぼみになった本音が、痛ましくて、晧良は佑俐を抱きしめてやりたくなった。
こんな細い身体にどれだけのパワーを秘めて、見知らぬ土地で奮闘したのかと思うと畏敬の念まで湧いてくる。例えそれが自分への憎しみに駆られてであったとしても、佑俐が常に意識していたのだと思えば、耐えてきた年月が無駄ではなかったと救われる。
「俺を見返してやりたいという気持ちが薄れたところで、佑俐は潰れたりしない。自分に甘い人間なら、俺が与えたショックを理由にして、とっくの昔に孤独の世界で生きることを止めたはずだ。伯母さんがいるとは言っても、目指しているものも違えば、浴びる期待や才能も違う。佑俐の作品は、誰に頼ることもなく佑俐の才能が編み出したものだ」
佑俐の肩がブルっと震えた。何度も瞼を瞬いてから、おもむろに顔を上げる。赤く充血した目に答えを見出そうと、晧良がじっと見つめると、みるみるうちに涙が溢れ、佑俐の頬をツーッと流れ落ちた。
「晧良はどうして俺に会いたかったんだ? ただ誤解を解くためか?」
「誤解を解きたかったのもある。それは俺の願いを叶えるために必要だからだ」
「晧良の願いは何だ?」
「何だと思う? 一度目は、お前の成功を願って白い葉を渡した。あのとき本当は渡したかった赤い葉を、今度は佑俐の心に置いていくから、じっくりと考えて答えを出してくれ」
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