第21話 Turn over

 上半身裸で立っている晧良から聞かされた言葉は、佑俐の足元を揺さぶった。

 猜疑心という殻にピシピシとひびが入っていく。

 全ては俺の成功を願って、送り出すためだったなんて!

 信じていいのだろうか?

 晧良を忘れたくても、忘れられずに苦しかった。心のどこかで、あれは何か理由があったのではないかと思いたくなる自分を幾度となく諫め、無理に憎もうとした。

 それが間違っていたなんて……

 じわじわと押し寄せる喜びを感じながら、それでも根深く張った不安は、簡単に払拭できず、黒い疑問が頭をもたげた。

 晧良は自分をすっかり騙せるほどの演技力を持っているのだから、今も演じていないは言い切れないのではないか?

 今度同じ苦しみを味わったら、晧良だけでなく、自分に言い寄る人間を誰も信用できなくなりそうだ。

 怖気づいた心が、逃げ道を探す。

 だったら、今まで通り晧良を避ければいいじゃないか。忘れられなかったからと言って、あいつに持っていた感情は自分を支えるための憎しみだ。あの頃のように晧良を純粋に求めているわけではない。仕事も充実していて、仲間たちとも上手くやっているのに、日本にいる晧良とどう付き合えと?

「あのさ、俺を思ってくれていたというけれど、それは過去の俺を見ているだけだよ。離れて六年、いや七年近くか。生き残るために性格だってきつくなったし、損得勘定で仕事を測りにかけたりすることもある。夢だけを追っていた少年時代は過ぎたんだ。失望するだけだから、やめとけよ」

 佑俐は自分自身にも言い聞かせながら、こちらをじっと見つめる晧良と視線を合わせた。

 緊張で口を引き結んだ晧良の顔は、険しく精悍さが増している。どうして、こんなに心を惑わす顔をしているのかと、息苦しく感じた時、晧良の唇が動いた。

「そんなものは、お前を諦める理由にならない。佑俐が信じてくれるなら、俺はどんなことだってする」

「だったら、ロスに会いに行っても俺が逃げるからとか、仕事が忙しかったから何て言わないで、すぐに真実を打ち明けてくれればよかったんだ。今更だよ!」

「俺は、まだあの時親のすねをかじった学生だった。自分の手で成功を掴んで、佑俐に認めてもらうために必死だった。まだ、日本でしか知名度はないが、佑俐が望むなら、ラスベガスでショーを開けるほどのエンターテインメントを作ってやる。佑俐が疲れて休みたい時は、気分転換にどこへでも連れて行ってやるし、お前の面倒を全てみるつもりだ。だから、俺を選んでくれ」

 晧良が一歩前に出る。佑俐は一歩退いた。

「怯えないでくれ。お前を二度と傷つけないと誓う」

 低く身体に染みるような声が、佑俐の反抗を奪っていく。じっと様子を窺いながら間合いをつめる晧良は、しなやかで獰猛な肉食獣のようだ。

 惰性のように染み付いた警戒心が、捕獲される前に何とか逃げないと暴れるが、心のどこかで、その腕に捉えられて、張り詰めた気持ちに止めを刺して欲しいとも思う。

 まるで危険で甘美な罠が、目の前にぶら下がっているようだ。

「じっくり考えて、答えを出せって言ったじゃないか」

「気が変わった。考えるほどマイナスにしかならないのなら、俺たちが手にしていたはずの甘い時間を、少しだけ感じたい」

「なっ、何をす……」

 あっという間に手を取られて引っ張られ、晧良の腕の中に抱きこまれた。

 逃がすまいとするように、きつく抱かれる。

「佑俐。会いたかった。こうして、お前に触れたかった」

 佑俐の存在を確かめるように、後頭部や背中を、晧良の大きな手が撫でまわす。その声も腕も切実に飢えを訴えていて、佑俐は晧良を突き飛ばすことができなかった。

 温かい。

 俺を求めて、這いまわる手が愛おしい。

 溢れてくる思いが切なくて、ああ、俺は晧良を好きだったんだと、まざまざと蘇る熱情に、胸が苦しくなった。

 晧良がどんな表情でいるのか気になって、おずおずと顔をあげると、射抜かれそうな熱い眼差しにあう。背中にしびれが走って、喉がごくりと鳴った。

 視界に納まりきらなくなった晧良の顔をぼ~っと見ていたら、柔らかな感覚を唇に感じ、キスをされたのだと知る。抗う気持ちはもう消えていた。

 晧良の首に手を回し、お互いに貪るように口づけをかわす。愛なのか欲望なのか、そんなことはどうでもいい。目の前にいる男が欲しい。今はそれだけだ。

 寂しかった。辛かった。お前に分かって欲しかった。迎えに来てくれるのを、心のどこかで待っていたんだ。

 安堵。熱いため息。動き回る舌をどちらが捉えるかと競争するように、無我夢中になって追いかける。片手で机の上の色見本を遠ざけ、空いたスペースに腰かけた佑俐は、晧良と抱き合ったまま倒れ込んだ。

 硬い机に肩甲骨と股が押し付けられて多少の痛みを感じる。晧良の背後にあるソファーの方がいいとは分かっているが、脚から力が抜けて、一歩も歩けそうにない。口内でくちゃりと響く水音が、耳から入って羞恥を煽る。顔が熱い。見下ろす晧良の目が欲望に煙っているのは自分のせいだと思うと、ぬるりと舐めまわされた口蓋の感覚が鋭敏になり、快感が喉から下腹部まで伝わっていく。

「あき……ら。俺、どうにかなりそう」

「俺もだ。佑俐を抱きたい。お前の部屋はどこだ? 二階には事務室とこの広い工房だけか?」

「……んっ。近くに部屋を借りてる。でも、俺、歩けないや」

 机に横たわる佑俐に、覆いかぶさる晧良の昂りが触れている。佑俐はその形を確かめたくて、反り返って自分の部分でこすってみた。

 痺れる。気持ち良くて止まらず、腰を揺らすと、晧良が堪えかねるように呻く。

「煽るな。佑俐。乱暴に抱いてお前に怪我をさせたくない」

「だって、俺……どうやって止めるんだ? こんな気持ちよくなったの……あ……初めてで……ううっ。何とかして……頭が沸騰しそう」

 晧良の目が眇められ、がぶりと唇を食まれた。乱暴に舌で歯列を舐られて、佑俐はぞくぞくとした快感を味わう。手がシャツを掻い潜り、佑俐の胸に伸びる。

「ちょ、ちょっと、そこは……男だから……あっ、やだ。摘まむな」

「感じているじゃないか。男でもここは性感帯らしい」

「嘘だ。前に一度デートした奴に、触られたけれど、感じなかった」

「へぇ~。申告をどうも。胸は感じなかったけれど、ひょっとしてこっちで感じたとかは言わないよな?」

 晧良の吊り気味の眦が、凄みを増して佑俐を睨み、佑俐の尻たぶを片手で掴んだ。

 揉みしだかれて、ジーンズの生地が擦れる感覚に身悶えする。しかも、晧良の腰に回した佑俐の脚が外れないように、晧良が片手と肘でがっちりと固定してしまったために、尻の奥まった部分に指の侵入を容易に許し、傍若無人に動き回るのを避けられない。

「やめ……あぁっ! 違う。してない。その気になれなかったから、胸だけだよ」

 晧良の指の探求から逃れようとして、絡めた脚に力を入れて腰を浮かせた佑俐は、余計に密着するはめに陥り悶絶した。

「あ……っ。こすれ……る」

 晧良の昂りに、股間をすりつける形になってしまい、佑俐は顔を上気させ、いやいやをしながら、してないと繰り返す。経験のない佑俐は、身体の中に膨れ上がった欲望を、どう逃せばいいのか分からない。

 学生の頃の欲望に流されての悪戯とは違い、心の通い合った行為は、後ろ暗い気持ちもなく受け止めることができ、快感が上回るようだ。

 今、前に手を伸ばされたら、射ってしまうかもしれない。佑俐が自分自身を覆い隠そうとして、手を伸ばした時、廊下側にある事務所の扉がノックされた。

「あっ、しまった! 伯母さんに三十分経ったら様子を見に来てと頼んでおいたんだった」

「何だって? 俺はそんなに信用がなかったのか?」

「いいから、ドアに背を向けて、机の横に立って。早く! 早く!」

 佑俐が机に放りだした色見本を手繰り寄せ、抜き取った一本を晧良の背中に当てたのと、工房のドアが開いたのは同時だった。

「佑俐、大丈夫? 返事が無いし、中で言い合っている声がしたから開けてしまったけれど、仕事中なのね」

「あ、うん。ごめん。ちょっと熱中してて聞こえなかったんだ」

 晧良が顔だけを振り向かせ、ドアのところにいる友季江に会釈をした。

「初めまして。水島晧良です。佑俐君にはお世話になります」

「こら、動くなって。友季江おばさん、ごめん。こいつ日焼けしていて、地の色を探さないといけないんだ」

 退出を促す佑俐をうさん臭そうに眺めながら、友季江がぼそっと呟いた。

「焼けているというより、赤くなっているんじゃないの? カラー見本にはない色ね。佑俐の頬と首筋と耳も同じ色だし、この部屋で直射日光でも浴びたのかしら?」

「おばさ~ん。勘弁して!」

「はい、はい。仲直りしたようだから安心したわ。でも、邪魔をしなくて済むように、事前に連絡しておいてね。それと、事務所の玄関の鍵もかけること。映画の撮影前に誰かにリークされると、大変だから」

 佑俐と晧良の謝罪を受けた友季江は、二人が振り向けない理由を察しているようで、態度がなっていないと咎めることもなく去っていった。

 残された二人は顔を見合わせた途端に、噴き出した。羞恥が笑いに溶けて甘さとくすぐったさが溢れる。伯母の前で誤魔化した行為を笑うほどに、秘密を持つ者同士の親密さを増していくようだ。

 できるなら、晧良のものになりたいと佑俐は思った。だが、今回のテレビ番組を撮影するために仕事を調整したところ、今日の午後から夜中まで作業に集中しなければならない。それから会ってと考えると、明日の撮影に支障が出ないか心配になる。

 明日の撮影では、晧良に街を案内するだけでなく、特殊メイクの手順を説明し、作業を見せなければならないから責任重大だ。

 晧良も分かっているようで、名残り惜しそうに佑俐の頬を両手で包み、お預けだなと言ってため息をついた。

「まさか、晧良に会うまで、こんな風になるなんて思いもしなかった」

「俺は、ずっと願っていたよ。明日の夜か、明後日の夜は一緒に過ごす時間はあるか?」

「今回の撮影を入れたから、仕事が押していて、夜中までかかりそうだ。それでもよければ俺のアパートに来てくれ。ここから徒歩で十分ほどだから、帰りに教える」

「ああ、顔を見るだけでもいいから、寄らせてもらう。佑俐を愛している。時間が許せばお前を抱きたい。今度は逃がさないから覚悟してくれ」

晧良の瞳を見つめながら、佑俐は頷いた。

「逃げたらまた捕まえてくれ。俺はお前のものだと確信させて欲しい。多分俺は、ずっと晧良が来るのを期待して待っていたんだと思う。愛せるのはお前だけだ」

 晧良が感極まったように目を細め、しっかりと佑俐を抱きしめる。お互いの体温を感じ、鼓動を聞きながら、出会えた喜びを二人は分かち合っていた。


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