第22話 トラブル 1-2

 次の日の十一時に、佑俐は晧良の泊まるホテルへと車を走らせた。

 テレビ局から送られてきたスケジュール表によると、ロビーでディレクターや撮影班と待ち合わせ、それから予約をしている店でランチをとることになっている。

 店は佑俐がチョイスして、予約や移動などの手配は全てKテレビにお任せだ。案内役とは言ってもガイドのように街の魅力を語るのではなく、組まれたルートを、晧良と共に話をしながら歩けばいいので気は楽だ。

 山口プロデューサーから依頼を受けた時は、晧良と二人で散策するなんてとんでも無いと思ったけれど、今は一刻も早く顔を見たい。車を駐車場に止めてから、速足でエントランスに向かう。

 一階のロビーが全てガラス張りになった建物に沿って進むうち、ガラスに写った影に目を走らせる。白いシャツの前ボタンを全て外し、中には薄いブルーグレーのカットソー、細身のグレーのパンツに黒いワーキングブーツを履いた中性的な男性と目があった。

ついつい上から下までチェックする。襟元から覗く黒い革ひものチョーカーには、晧良からもらったペンダントトップが揺れいて、陽の光を浴びた白いリーフが、佑俐の心を表すように輝いている。

デートじゃあるまいし、少し凝り過ぎただろうかと思いながら、革紐で片側に結んだ髪に手をやった時、後ろを通り過ぎた男が、ガラス越しにウィンクを投げた。

 晧良を意識するあまり、浮き立つ気持ちを他人にも見透かされたように感じて、佑俐の頬に血が上る。

昨日工房のドアを開けた伯母が、佑俐の赤面をからかったことを思い出すのと同時に、晧良と机の上で折り重なった生々しい光景が浮かんで羞恥に身を焼かれるように感じた。

「ああ、ダメだ。こんな気持ちのまま晧良に会ったら、平静でいられない」

 両手で頬をパシッと叩いて気持ちを入れ替えた佑俐は、ドアマンが開けた入り口から中へと入っていく。

 ロビーに置かれたソファーに晧良の姿を認めて心が弾んだが、急ぎ足になろうとした足がピタリと止まった。

なんとそこには、映画『愛の残像』のヒロイン役の大原凪咲が、晧良と並んでソファーに腰かけていたのだ。

日本のテレビでは、CMやドラマに引く手あまたで、テレビの画面で見ない日はないぐらい大ブレークしている美しい女優は、周囲に立つ数人の日本人スタッフを気遣うこともなく、晧良の方に身体を傾け、困った表情の晧良を熱心に見つめている。

 きらきらと光る大きな目、笑顔の口元からは真珠のような歯が覗き、晧良の話に相槌を打つたびに、艶のあるロングの髪がサラサラと揺れる。まさに国民的女優と呼ぶにふさわしい魅力を持っていた。

 年齢は佑俐たちよりも、五つ下の二十一歳だったように記憶している。顔も女優の資質の一つだが、彼女の場合は年齢に見合わないほどの演技力が評価され、端役から一気にスターダムに伸し上がったことをネットで検索した際に知った。

 でも、その忙しいはずの彼女が、どうしてここにいるのだろうか? 

それに、彼女の作った世界のように、晧良と彼女が腰かけている空間だけが他から浮いていて、周囲で気を揉むスタッフたちを弾いているようだ。

ものすごい違和感に進んで声をかけるのも躊躇われ、佑俐は胸の中で独り言ちた。

『たまにいるんだよな。現実と空想の世界が一緒になってしまう役者って。本人たちは天才と騒がれて怖いもの無しのようだけれど、関係者からは取り扱い要注意のレッテルが貼られているのを知りもしない。多分、彼女もその類かな』

テレビ電話で番組の趣旨などをやり取りしたディレクターの姿が見えないことから、緊急の打ち合わせか、彼女の事務所にでも連絡しているのだろう。

さて、どうするか。もうすぐこちらの撮影スタッフと、佑俐の友人役で出演するイーサンとミッシェルが来る。

彼らが演じるのは、レストランに向かう途中で佑俐たちと偶然に出会い、一緒に食事を摂りながら、映画の内容を聞きだすという役割で、晧良と二人での撮影がどうなるか心配だった佑俐が、二人にクッションになって欲しいと頼んだのがきっかけだ。

 二人に迷惑をかけないよう、凪咲がどんなつもりでここにいるのか状況を把握しておいた方がいいのかもしれない。

佑俐は気持ちを奮い立たせ、二人の座るソファーに近づいていった。

 まっ先に気が付いたのは晧良だった。

硬かった表情がパッと輝き、片手をあげてソファーから立ち上がろうとする。美人女優よりも優先されたように感じて、佑俐はくすぐったくなった。

 だがその次の瞬間、佑俐の優越感は凪咲の思わぬ行動で打ち砕かれた。凪咲の手がすっと伸びて、腰を上げかけた晧良の腕を引っ張ったため、バランスを崩した晧良が尻餅をつくようにソファーに沈んだのだ。

 スタッフも晧良も信じられないというように凪咲をみるが、彼女は顔色も変えずに、話の続きをしようとする。

 これは、厄介なことになりそうだ。

佑俐はこちらに気が付いたスタッフの表情に同じ気持ちを読み取って、労いと励ましを会釈することで伝えた。

 仕方ない。ちょっと強引にいって、相手の出方を見るか。

佑俐は決心すると、二人の向いのソファーにどかっと座り、話の途中に割り込でいく。

「初めまして、大原凪咲さんですか? 【愛の残像】で特殊メイクを担当させて頂く天野佑俐です」

 話の腰を折られた凪咲が、嫌そうな顔で佑俐を一瞥すると、僅かに顎を引いて、すぐに晧良に視線を戻す。

 何だこの女? 今のは挨拶のつもりか? 一体事務所はどんな礼儀を教えてるんだ? 

 驚きすぎて怒りが湧かない。有名人の二世かなにかで、周囲が親の顔色を窺うあまりに何も言えず、やりたい放題させているのだろうか?

 晧良もさすがに見かねたのか、凪咲の話を遮った。

「大原さん。テレビトークのレクチャーをありがとうございました。そろそろこちらのスタッフと合流する時間ですので、大原さんも俺のことは心配せず、ロスの滞在を楽しんでください。それと、彼は俺の大切なパートナーを務める人で、この業界では一目置かれている方ですので、改めて紹介させていただき……」

「晧良君、何度も言ったけれど、私のことは凪咲と呼んでちょうだい。映画を成功させるために何でも言い合える親しい仲になっておかないとね。そうだわ。私が彼の代わりに、今日の撮影に付き合ったらダメかしら? 日本での知名度なら私も負けていないと思うし、映画の宣伝を兼ねてなら、私たちが出る方が番組が盛り上がるんじゃない?」

 埒が明かないとと佑俐は思った。確かに映画の宣伝もあるが、この番組は、外国で活躍する日本人を紹介するものだ。日本で活躍する二人が出てどうするんだと開いた口が塞がらない。

 それに、こんなに軽くあしらわれて黙っていられるほど、佑俐は寛容になれなかった。

「あんたね。今は売れっ子でチヤホヤされているかもしれないけれど、ほんの少し陰りが見えたら、総スカンされるよ。役者だけが偉いんじゃない。俺を含めてスタッフたちといい仕事をしようと思わなければ、あんたのために手間暇をかけて最高のものにしたいなんて気持ちは湧かない。いつか自分が見下していたものに、しっぺ返しを食らうぞ」

 ああ、これで今回の映画の仕事はなくなっただろうなと思いつつ、そんなことよりも気になるのは晧良の反応だった。

嫌われたかなとちらりと窺うと、晧良は笑いを堪えているようで、鼻がひくひく動いている。以前妹から、佑俐が口を開くとクールビューティーのイメージが壊れるから、黙るかツンツンしておいたらと訳の分からないことを言われたが、晧良は佑俐の地を知っている。嫌われないで済んだことに安堵した佑俐に、凪咲の怒りの声が直撃した。

「な、何よあなた。アメリカでメイクアップアーティストなんかしているあなたに、日本の業界のことなんて分かるものですか。私が言えばあなたなんてスタッフから外れるかもしれないわよ」

「じゃあ、マナーも知らないお嬢さんに教えてあげよう。俺はこっちで働いているからはっきりと言いたいことはいう。まずは、番組の趣旨を誤解するな。あんたの出番はない。それと、あんたのマネージャーはどこだ? いきなり番組に出演すると言ってギャラはどうする?  俺は別に番組に出なくても構わないが、スタッフをバカにするあんたを撮影したいクルーはこっちにはいないぞ」

「その通り。僕もこんな世間しらずな女の子と一緒にランチはしたくないな~」

 佑俐の肩に背後から手が置かれ、少し訛りのある日本語が聞こえた。この滑らかで耳障りの良い甘い声の主は、ミッシェルだ。振り向きたいのを我慢して、凪咲をひたと見据える。

仕事がキャンセルになるとしても、言いなりになるつもりはない。山口プロデューサーにはどちらに非があるか説明して、大原からの中傷被害を受けないように、相手より上であることを態度で示しておく。

最悪拗れれば弁護士という手もある。日本とは違う国で生き残ってきた佑俐は、こちらでのやり方で対応するつもりだった。

背後に仲間がいることも有難い。状況を訊ねたイーサンが、ミッシェルの説明を受けて鼻を鳴らした後、おもむろに話し始めたのを、ミッシェルが通訳する。

「こちらのスタッフを雇わなければ、撮影許可が下りないのは知ってるかい? あなたは確かに日本では有名かもしれないけれど、こちらであなたをプリンセス気どりにさせてくれるクルーは一人もいないと思うよ」

 ミッシェルがイーサンの英語を少し辛辣な日本語に変えて話すのを、佑俐はハラハラしながらも、黙って耳を傾けた。

フランス系アメリカ人のミッシェルは、祖先のフランス人以外にも、アフリカやアングロサクソンなどの血が混じった混血で、それぞれのいいとこ取りをしたような素晴らしい容姿をしている。象牙色の肌。くりくりの輝く大きな琥珀色の瞳。背がすらりと高く、フワフワと顔の周りで揺れる癖の強いハニーブラウンの髪でさえも、美しい顔を装飾しているように見える。

年齢は佑俐と同じぐらいで、モデルからデザイナーへと転向し、十代後半から二十代の女性をターゲットにしたハイセンスな服や小物をネットショップで売り出したところ、すぐに完売。モデル時代からの幅広い人脈も功を奏して、知名度も売り上げもビッグな注目の新人デザイナーだ。

誰もが見惚れるその顔で、チクッと棘を刺すのだが、にっこり笑われると、それが嫌味にも聞こえず、気の利いたブラックユーモアに受け取られてしまうのだから恐ろしい。ただ、自分の友人や親しい者に向けられることはないから、ミッシェルの仲間たちは彼をとても愛していた。

凪咲が大人しいので、一瞬だけ背後に立つミシェルを仰ぎ見て、感謝の視線を送る。佑俐を守るためにミッシェルは、極上の笑みを浮かべながら、ダメ出しをするところだった。

イーサンじゃないけれど、佑俐は心の中で、おお、ミッシェルと崇めたくなった。

「それとユウリは世界に通ようするカリスマであって、ただのメイクアップアーティストとじゃないから。ユウリをバカにすれば、例えあなたがアメリカに進出することになっても、メイクを担当するものは一人もいないよ」

 こんなにすごい援護射撃をしてくれるとは思わず、鼻の奥がツンとする。

 しかし、佑俐の時には気色ばんで突っかかってきた凪咲が、黙って聞いているのはどういうことだと思った時、凪咲が震える声で言った。

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