第5話 知られたくない過去

 晧良に、ソファーに座るよう勧められたが、部屋の中にあるものが珍しくて、佑俐は気持ちを切り替えるためにも見て回ることにした。

 前方にスクリーンが設置された部屋は、リモコン操作で天井の一部が斜めに下がり、中からデジタルビデオカメラが出る仕掛けになっていることを、晧良が見せてくれた。


 部屋の中央に置いてあるワゴンには、上半身ほどもある鉄の映写機が置いてあり、前方に突き出した二本のアームの先に、晧良がフィルム缶から取り出したフィルムリールをセットする。フィルムの両側に空いている穴はパーフォレーションと言って、回転するねじの突起に引っかけてフィルムを送るためにあるのだということを、佑俐は初めて知った。


「これは16mmフィルムだから、映画館の35mmフィルムとまではいかないけれど、雰囲気だけでも楽しんでくれ」


 ミシンに糸をかけるように、晧良が張りやたわみを調整しながらフィルムを突起にかけていく様子は、職人のようでかっこよく、佑俐の目は骨と筋が浮き出た大きな手に釘付けになる。映写機の調整を終え、晧良が佑俐に内容を説明した。


「これは父が若いころに作った人魚のショートフィルムなんだ。水中で撮れるカメラを手に入れたから試し撮りを兼ねて趣味で撮影したらしい」


「へぇ、そんなころに水中で撮影ができたんだ」


「それはそれは高価なカメラだったそうだ。父は映画のことになると金遣いが荒いんだ。母がいなければ破産してるよ」


「お互い創作の世界で頑張っているから、理解があるのかもしれないね。自分の力で相手を支えられるのっていいな。理想のカップルだ」


「父はこの映画で母を落としたんだ。当時母は、劇団で売れ始めた女優だったんだけれど、脚本も書いていたから、人魚の恋物語の脚本と役はどちらとも、母しか考えられないと迫ったらしい」


 持ち合わせた才能を見込まれて、自分の書いた脚本を高価なカメラの前で演じるのは、さぞかしプライドをくすぐられただろうと佑俐は推測した。

 上映の準備が整い、晧良が佑俐にソファーに腰かけるように促すと、ドアを閉めて明かりを消した。真っ暗な中で映写機の中の眩い光が、カタカタと音を立てながら回るフィルムをスクリーンに映し出す。映画は一五分ほどの短いものだった。


 水中に長い髪を漂わせた人魚が泡を吐きなが泳ぐ姿は、デジタル画像のようにクリアでないことが功を奏し、幻想的でこの世の者とも思えない美しさがあった。

 面立ちが晧良と似ているだけに、佑俐は食い入るように画面を眺めて、晧良が泳ぐ姿と重ね合わせた。フィルムが終わっても、美しい映像が頭の中を占めていて、放心状態の佑俐の耳に、ノックの音が届く。


 主役を演じた晧良の母、美嶋朝来がお茶とお菓子を載せたお盆を持って入ってきた。その後ろからは里奈が雑誌を手にしてついてくる。朝来がフィルム缶に貼られたタイトルを見て、目を見張った。


「あら、人魚の恋なんて見たの?恥ずかしいわ」


「どうして?きれいに撮れていると思うよ」


「このころはウォータープルーフの化粧品が無かったから、アイシャドウも流れてしまうし、つけまつ毛なんかしていると水の中で剥がれて、水面に浮いてしまったのよ。だからすっぴんなの。でも、なぜこんな古くて市場にも出ていない映画を選んだの?」


「佑俐は高校の頃、水泳に興味があったみたいで、水泳部に一度見学しにきたんだよ。大会の前でみんな練習に忙しかったから遠慮したみたいで、それから誘っても来なかったから、水中で泳ぐ人魚のフィルムがちょうどいいかなと思ったんだ」


「ぐっ……」


 出されたお茶に口をつけていた佑俐は、もう少しで噴くところだった。まさか、そんな理由で、晧良が人魚の恋を選んでくれるとは、何という皮肉。咳き込みそうになりながら、なんとかお茶を飲み込んだ佑俐の前に、里奈が持っていた雑誌を差し出した。


「水泳に興味があるなら丁度良かったわ。これね、友人が何年か前に買った同人誌なんだけれど、水泳部のキャプテンと美人の男子高生が恋するお話しなの。佑俐君はBL興味ないかもしれないけれど、表紙絵と挿絵がすごい上手いのよ。でね、主人公の一人が晧良の外見そのままで笑っちゃうのよね。良かったら見てみて」


 今度こそ佑俐はフリーズしてしまった。

 目の前に、海に佇む上半身裸の晧良と、彼シャツを手にした佑俐もどきが眩しそうに晧良を見つめている同人誌の表紙がある。

 顔が引きつりそうになるのを堪えたが、晧良が佑俐の様子がおかしいことに気が付き、里奈に変なものを見せるなと文句をつける。


「だって、ほんとにそっくりなんだもの」


 口を尖らせた里奈が、固まった佑俐を見て、あれ?と首を傾げた。


「そういえば、受けの方は天野君に似ているかも」


 佑俐は慌てて、顔の前で手を振った。

「いえいえ、まさか、そんなはずは……そういえば、妹も一時BLを読んでいたみたいで、受けは色素の薄い髪と瞳が定番だって言っていたような気がします」


「う~ん、言われてみるとそのパターンが多いかもね。そうそう、私ね、この映画の人魚に憧れて、小学生の頃アーティスティックスイミングを習いに行ったの」


 ガタンと音がして、晧良が急にソファーから立ち上がった。


「それ以上言うな。お茶会は終わり。運んでくれてありがとう。さようなら」


 晧良が追い出そうとするのに、二人は怒りもせずに、笑いをかみころしている。背中を押されてドアに向かう里奈が、身体を捩って佑俐に告げた。


「晧良に練習付き合ってもらったの。かわいいアーティスティックスイミングだったのよ」


 晧良が何か文句を言っているようだが、笑いの止まらない佑俐には、腹筋が痙攣して息をするのも苦しくて、話を聞くどころではない。ソファーに倒れこんで笑い転げる佑俐の元に戻ってきた晧良が、笑うのを止めさせようと佑俐の肩をパシッと叩いた。


「痛いな。こんなキリっとした顔の男が、アーティスティックスイミングやってたなんて。水中から片脚だけ出してクルクル回ったりしたのか? 想像すると、ブハ。ヒーヒヒ……笑いが……止まんなくて。アハハ」


「…ったく、里奈は余計なことばかりするんだ。おい、いい加減笑いを止めろ。でないとくすぐるぞ」


「ご…め…ん。も、もうちょっと、ククッ……待って」


 涙目で見上げたら、晧良が動きを止めて目を眇めた。その視線をずらして、晧良が佑俐の横にドカッと腰を下ろし、テーブルの上の同人誌に手を伸ばす。


「あっ、それは……」


 笑いが一瞬で吹き飛び、佑俐がソファーから飛び起きて、晧良の手から同人誌を奪おうとした。手が届く寸前で、同人誌が上に上がり佑俐の手が空を掻く。すぐに反転して両手を伸ばしたところで、片方の手首を晧良に摑まれ、ソファーの上に引き上げられた。


「何でそんなに焦ってる?この雑誌がどうかしたのか?」


 頭がパニックで真っ白になった佑俐は、適当に誤魔化す理由さえ思いつかない。

項垂れながら、実はそのBL小説を書いたのが妹で、妹にせがまれて佑俐が表紙絵と挿絵を描いたことを打ち明けざるを得なかった。


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