第2話 再会

 この芸術大学に入学したとき、天野佑俐は、至るところに拘りが感じられる建物を見て、さすが流行の最先端を目指す者が集う場所だと期待に胸を膨らませた。

 だけど、授業が始まってすぐに、世の中には、どう頑張ったって敵わない相手がごまんといると分かり、それに比べれば、ああ、自分はなんて凡庸な人間なんだと思い知った。


 絵を描くのが好きだって? 田舎のレベルでは俺って天才と思っていたけれど、ここじゃあちょっと上手いだけでは、それで食べていくつもりじゃないよね? と確認されそうで、早くも画家になるという夢は崩れ去った。


 まぁ、そんなこともあろうかと、ゼミは潰しのきく、[舞台・映像・企画プロデュース]なんてところを選んだから、どこかに俺の絵を活かす機会もあるかなって、だんだん希望が小さくなっていったのは言うまでもない。


 絵を描いているときは、おしゃれなんかしなくて済んだけれど、流行を追う企画に携わったり、何かをプロデュースするには、人や社会の流れを感じ取り、自分自身もプロデュースしろと教えられて、広がりがちな癖毛を矯正縮毛もしたし、服装もできる限り流行を取り入れるように努力した。


 おかげで人からは、本気なのか、からかいなのかタレント志望? なんて聞かれるくらいには小ぎれいになったようだ。

 妹の明音に言わせると、黙っていれば俺はクールビューティーなんだそうだ。

 ははははは、何じゃそれ? って笑ったら、口を開くと台無しになるから、ツンツンしとけだと。そんな取っつきにくいことしたら、せっかくできるはずの友人だって逃げていくだろうに、おかしくないか?


 妹の冷めた物言いに反抗心が湧き、俺は絶対にツンツンなんてしないぞと誓ったのに、ゼミの初日に早くも崩れさった。

 それは、あいつのせいだ。

 思い出したくもない高校時代の黒歴史。男の身体を性的に意識する原因になった、水泳部のキャプテン水島晧良と遭遇したからだ。


 最初は全くあいつだと気が付かなかった。

 だって、水泳をしていたときは、真っ黒な髪と陽に焼けたシャープな身体つきが、日本刀の剛をイメージさせたのに、今は踊るワイヤーといった風情なのだ。


「よお! 久しぶり」


「お、お前誰だよ?」


「は? 半年会わなかっただけだで忘れたのか? 俺だ。水島晧良」


「そ、そんなこと分かってるよ。断っているのに泳ぎを教えてやるって何度も誘いに来たんだから、忘れるもんか。その髪型一体何に目覚めたんだ」


 ワイヤーは言い過ぎか。俺の地毛の色にも負けないほど、明るく染めた髪をワックスで摘まんであちらこちらに流した髪型は、晧良のキリっとした顔を際立たせ、ゴージャスな男に変身させていた。


「ああ、これな。俺の家族は芸術一家で、いろんな人が家に出入りしてるんだ。芸大受かった祝いに、映画の衣装メイクさんや、ヘアー担当さんたちが、俺をトータルコーディネートしてくれたわけ。祝いというより、面白がってやったんだけれどな」


「映画の衣装メイク?家族が芸術一家って、誰か映画スターなのか?」


「いや、母が小説家で、父が映画監督なんだ。小さな頃からそういう世界で育ったから、俺も舞台や映画に興味があって、将来はエンターテインメント全般の企画やプロデュースに携わりたいと思っている」


 きらきら瞳を輝かせながら将来の夢を語る晧良は、佑俐には眩し過ぎた。

 明るい光に照らされれば影ができるが、佑俐の内面は羞恥に焼かれて真っ黒こげだ。

 佑俐が[舞台・映像・企画プロデュース]のゼミを選んだのは、予備校の芸大志望の生徒や、この大学の先輩たちの作品を目の当たりにして、自分が絵で一本立ちすることは難しいと悟り、将来の選択肢を広げる道を模索したからだ。

 佑俐は自分の卑小さに歯噛みしたくなった。


「泳ぎは教えられなかったけれど、佑俐と一緒に何かを創れると思うと、今から楽しみで仕方がないよ。いつか才能を持った仲間たちと一緒に、周囲をびっくりさせるような共同作品を作りたいと思っているんだ」


「そうか。でも俺の専攻は美術だから、どこまでかみ合うか分からないぞ。それより、晧良は容姿に恵まれているし、父親が映画監督なら、アクターを目指した方がいいんじゃないか?今の雰囲気ならワイルドな王子役を回してもらえるかもしれないぞ」


「はははは…冗談きついよ。それを言うなら佑俐はきれいだから女役もいけるな。俺に対して冷たい態度を取ったり、辛辣な言葉を投げるところなんか、氷の女王みたいだ」


 女役と言われて、明音の小説の中の配役が思い浮かんだ。俺が受けで、こいつが攻めで……猛烈な勢いでエロイシーンが再生される。佑俐は疚しさを誤魔化すために、晧良をきっと睨みつけながら吐き捨てた。


「俺を受けにするな!お前は王子じゃなくて、バカ殿に降格だ」


 ざわついていた室内から一瞬音が消えた。

 背中に沢山の視線が刺ささる感覚に肝が冷える。俺が口を開くとクールキャラのイメージが崩れるから、ツンツンしとけと明音が言った時、絶対そんな態度を取らないと決めたはずだったのに、これはどう見ても……


「ヤッバ~。女王様を地でいく奴がいるよ」


「痺れる~~~。女王様、ご尊顔を見せて~」


 晧良まで腹を抱えて笑っているのに腹が立ち、お前のせいだと蹴ってやった。

 それさえもゼミ仲間たちを大いに喜ばせてしまい、俺と晧良は漫才コンビとして位置づけられてしまったようだ。


「はぁ~。何か調子狂う」


「ん? 何がいけないんだ? あっという間に人気者になったじゃないか。佑俐は人を惹きつけるんだよ。佑俐こそ役者に向いてるんじゃないか?」


「うるさい。俺は晧良と違って、人とすぐ打ち解けるタイプじゃないし、何かを創作する方が好きなんだ。みんなが注目したのだって、モデルばりに目立つお前に、俺が絡んだからだろ。晧良といると、俺らしくなくなる」


 ……というか、俺らしくいられないんだ。

 晧良の顔の角度が変わる度に見惚れてしまいそうになるし、男の象徴であるはずの広い肩や、襟元に覗く喉ぼとけにまで視線が引き寄せられて色気を感じるのは、きれいな物や優れた被写体を描きたいと思う絵描きの性とは違う気がする。

 水泳を止めてから、あの鍛えられた身体がどうなったか知りたいと思ってしまう自分が怖いんだ。


 妹の小説の絵を描くために、水泳を見学するふりをして晧良に会いに行ってから、晧良は何度も声をかけてくれた。

 嬉しかったけれど、正直自分の貧弱な身体を晒したいとは思わないし、傍であいつの肌を見て変な気持ちになったらどうするんだって怯えの方が強くって、親切に声をかけてくれた晧良にトゲトゲしい態度を取ったこともある。めげずに誘ってくれることにホッとしながら、俺はそんなに泳ぎたそうな顔をしているんだろうかと疑問に思ったりもした。


「佑俐はさ、どんな風なのが本当の自分だと思っているわけ? 俺が見ている限り、会ったときから変わらないんだけれど」


「そ、それはお前に会ったから……」


「えっ?」


「いや、何でもない。晧良の目から見て、俺はどんな風に見える? 教えてくれたら、俺が思っている自分との違いを答えられる」


 晧良の瞳が真っすぐに見つめてくる。受け止めきれなくて佑俐は目を逸らした。


「ん~、そうだな。家に古い映画のフィルムがあるんだけれど、佑俐はそこに出てくるヒロインみたいだ。おっと、怒るなって。モノクロは、きれいな形はきれいに撮れるから、誤魔化しがきかない。でも、透明感があるようで、掴みどころのない曖昧さが魅力的っていうのかな」


 モノクロ映画と聞いた途端、佑俐の中で今までの会話はどうでもよくなった。

 映画好きの佑俐は、好きな映画のシーンを絵に描き写したりしたこともある。晧良はモノクロ映画の特徴をよく捉えていると感心した。

 親が映画監督だからって、デジタル画面が主流の時代に、すき好んで揺れる白黒画像を見る奴は少ないだろう。


 映画と聞いてふと閃いた。異性を気に掛けるのと同じように意識してしまう晧良の存在を、好きな映画の話題を共有できる好意的な人物として、認識し直すチャンスなんじゃないだろうか。


「そんな古いフィルムがあるのか? ひょっとして映写機なんかも健在なのかな? 俺、映画好きなんだ。見せてもらえないだろうか」


「ああ。多分いいと思うけれど、一応父に確認しておく。スマホの番号を教えてくれ」


 番号を交換したところで、教室の扉が開き、ゼミを担当する教授が入ってきた。

 そうだ、俺の伯母も映画に関係する仕事をやってるって、今度話さなきゃ。

 映画の話をすることで、晧良に対する後ろめたい気持ちを、払拭できそうだと、ほっとした。

 今まで見た映画の中には、諦められない恋に身を焦がすヒロインが、数え切れないほどいたことなんて、すっぽりと頭から抜け落ちていた。


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