第12話 晧良の悩み
「どうしたもんかな」
ベッドの上で仰向けに寝転んで、見るともなしに白い天井を見ていた水島晧良は、大きくため息をつくと、身体を捻って横向きになった。
地下のオーディオルームで佑俐に触れてから、避けられるようになってしまった。
ゴールデンウィークを過ぎて大学が始まって以来、佑俐は晧良の姿を見ると、跳び上がらんばかりに驚いて、そそくさと方向を変えようとする。
追いかけて話しかければ、一瞬困惑した表情を浮かべた後、すぐに感情を消して普通に接しようとする。
他人行儀な態度を取るなと揺さぶってしまいたい衝動を抑えながら、出る言葉と言えば、今度仲間たちと飲みに行かないかという陳腐な誘いだ。飲み会と言っても成人前の奴が殆どだから、食べるのがメインになるのだが。背伸びをしたい年頃の仲間たちの間では、飲み会で定着している。
元々大勢でつるむタイプでない佑俐がのるわけがなく、用事があると言って断られる始末だ。
自分が悪いと分かっているから、それ以上踏み込むこともできず、去っていく後ろ姿を見送るしかない。
「でも、どうしようもないだろ。あんな熱い目で誘われたら……」
地下室で同人誌を読んだ時の記憶は、薄れるどころか、今でも生々しい映像となって晧良を苦しめる。
佑俐は妹に頼まれ、俺と佑俐をモデルにして表紙絵と挿絵を描いたと言った。
その表紙絵は、海辺に佇む俺にそっくりな男を、どう見ても佑俐にしか見えない男が眩し気に見つめていて、男の表情には愛情が溢れていた。見ているだけでぎゅっと心を掴まれるような美しくて切ない絵だった。
本人は気づいていないようだが、佑俐は時々、こんな視線を俺に向けることがある。
その度に胸がどうしようもなく騒いで、佑俐に触れたくなり、何度理由を聞こうとしたことか。
どうしてそんな目で俺を見る? 俺と同じように隠している気持ちがあるのか?
もし、そうならどんなにいいか。
用心深く観察するけれど、佑俐は友人の態度を崩そうとしない。
俺の家みたいに、芸能人や映画関係者が出入りするところで育ったなら、LGBなんて特別視することもないのだろうが、佑俐の会話から察すると、佑俐はサラリーマン家庭に育ったようだ。多分、同性愛自体を受け入れられないのかもしれない。
それなのに、あの日は何がどうなったのか、佑俐が豹変したように感じた。
佑俐が描いたという絵を全部見たくて、同人誌をパラパラと捲りながらイラストを探していくと、佑俐が、いや佑俐似の男がどんどん乱されていくのが分かり、鼓動が早くなった。
ページを捲る指が早くなり、四つん這いに腰を上げさせられた佑俐が、指を中に入れられて背中をしならせ、恍惚の表情を見せているシーンに釘付けになる。佑俐の感じている様子を詳細に知りたくて、文字を追った。
本物の佑俐が慌てて止めに入り、何かを言ったけれど、殆ど聞こえていなかった。
「あぁ……うん。これは、すごいな。話には聞いたことがあるけれど、本当に気持ちがいいのか」
文章に気を取られていたところを、本を取り返そうとした佑俐に腕を引っ張られ、バランスを崩して佑俐の上に倒れこんでしまった。
「おい、危な……」
目の前に驚いた佑俐の顔が迫る。ぶつかるのをぎりぎりで止めたものの、イラストが頭にチラついて心のブレーキがかけられない。
佑俐のきれいな顔を、快感でくしゃりと歪むほど鳴かせてみたくなり、硬くなりかけていた股間が、一気に力を増し、Gパンに押さえつけられるのを感じた。
心臓がドクドク肋骨を叩く。晧良の身体の下から皮膚に伝わる脈拍と鼓動は佑俐のものだ。
佑俐の頬が赤く上気し、心なしか目が潤んでいるような気がする。
まさか、佑俐も欲情しているのか?
驚きと期待に打ち震えた時、佑俐が掠れた声で信じられないことを言った。
「俺も、興味がある」
「……な、なにを」
「あの部分で本当に感じるのか、試してみたい……気がする」
落ちるとはこのことだ。息を止めていたことにも気がつかず、苦しくなって吸った途端に唾液が湧いた。ゴクリと喉がなる。
もう後は、訳が分からなくなるほど、がむしゃらに佑俐を求めていた。
佑俐は感じやすかった。
滑らかで白い肌に指を走らせれば、ビクビクと反応する。自分の反応に戸惑いながら止めることができなくて、必死で耐えようとする姿に、大いにそそられた。
攻められて、半泣きになった佑俐をもっと感じさせたくて、理由をつけて下着を剥き、淡い欲望が無防備に露を滴らせるのを見た途端、自分の下着も濡れるのを感じた。
自分のものではない男の部分に触れるのは初めてなのに、佑俐の熱くて滑らかなそこが愛おしく感じられる。焦らして、ねだらせて、ようやく達した佑俐は放心状態に陥った。
鳴かせた分の労りを込めて、髪を撫で、触れるだけの口づけをする。
佑俐が望んだ後ろでの快感は与えてやれなかったけれど、佑俐が俺と関係してもいいと思ってくれたことが嬉しくて、ついストレートな感想が口をついて出た。
「お前、エロすぎる」
佑俐の眉がわずかに寄ったのを見て、いきすぎた行為の言い訳に取られたかもしれないと思い、佑俐に惹かれていたことを仄めかした。
「最初に会ったときから、きれいな顔が焼き付いて、しつこいと思われたらどうしようと思いながら部活に何度も誘ってしまった。でも、佑俐はつれなくて、ツンツンしているかと思うと中身が面白い奴だと分かってきて、何だかちょっかいをかけずにはいられないんだ」
自分としては精一杯佑俐への気持ちを伝えたはずなのに、佑俐の顔は強張っていて、訳の分からない質問をする。
「俺の反応が楽しいから、揶揄いたくなるのか?」
「な、何で怖い顔をしているんだ。俺だって戸惑ってるんだ。楽しいから揶揄うって、まるでいじめっ子のガキじゃあるまいし……いや、根は同じなのか……」
昔から、好きな子ほどいじめたくなると言うではないか。他に何と説明すればいいんだ?
目を白黒させて自分の気持ちを探ろうとしているうちに、佑俐はさっさと帰り仕度を済ませて部屋から出て行ってしまった。
何度電話やメールを送っても、佑俐は応答しなかった。ようやく返事が来たと思ったら「変態!」の三文字だ。
そんなに嫌だったのかとショックを受けた。
かけた電話がようやく通話に切り替わった時には、不安と喜びの間で心が揺れ、どうにかなりそうだった。
ところが……
『なに?今、忙しいんだけど』
こちらの気持ちなど察することの無い、佑俐のそっけない態度には腹が立つ。
「何が忙しいだ。変態なんてメッセージを送れるくせに、ずっと電話もメールも無視しやがって」
『切る』
「待てって! 今日のことは行き過ぎた。謝る。だから機嫌を直してくれ」
『晧良は、俺とあんなことになって、普通に友人として話せるのか?』
かなり痛い責め言葉だった。
友人以上になりたいと言えば、佑俐は二度と口を聞いてくれないかもしれない。
佑俐の乱れる姿を見た後で、友人として話せるわけがない。でも、今は……
「……してみせる」
『俺は、少し距離を取った方が、お互いに冷静になれると思うんだけど』
「佑俐、俺はお前を失いたくない」
突き放されそうになり、本音が漏れた。慌てて言葉を足す。
「お前とはずっと友達でいたいんだ」
『……』
「佑俐?」
『ああ、分かった。俺もお前とはずっといい友達でいることにする。怒ってないから安心しな。課題をやっていて忙しかっただけだから』
「そっか。良かった。じゃあ、また大学で会おう」
乾いた声で告げて電話を切った。
佑俐が安心するまで、自分の気持ちは抑えるつもりだったのに、そのチャンスさえ与えてくれず、佑俐はよそよそしくなっていった。
「一体、俺はどうすればいいんだ?」
晧良は、ベッドの脇に置いてあるテーブルの上から、同人誌を取り上げた。
姉に頼んでもらったものだ。
さんざん揶揄われたけれど、佑俐のあんな姿を家族に見られるのが忍びなかったから。
表紙絵の佑俐は相変わらず、晧良に思いの丈を込めた視線を注いでいる。
こんな風に見てくれたと思ったのは間違いで、自分の願望が生み出した妄想だったのだろうか。
「そういえば、俺たち写真の一枚も撮ってなかったな」
そうだ。今度どこかへ遊びに行こうと誘ってみよう。
晧良は表紙絵の佑俐を指でなぞりながら、聞いた。
「友達としてなら写真を一緒に撮ってもいいよな?」
絵の中の佑俐は、他の男を見つめているだけで、晧良には答えてくれなかった。
前期試験画終わり、ようやく夏休みに入った日、晧良は佑俐に予定が合えばどこかに行かないかとメッセージを送った。
会いたい。会おうと言いたいところだが、必死過ぎると怖がられる可能性がある。緩く網を投げて相手がどこに引っかかり、どうやって手元まで引き寄せるか、もはや獲物を待つ漁師の気分だ。
専攻学科が違うので佑俐とは殆ど会えなかったが、試験勉強に力を入れながらも、あれこれ佑俐を喜ばせるような行先を考えるのは楽しかった。
二か月半も休みがあるのだから、一日ぐらいは一緒に過ごせるだろうと高をくくっていたのに、夜中になっても既読にならない。
晧良もイベントスタッフのバイトをこなして疲れていたので、明日になったら電話をかけることにして眠りに就いた。
いつもなら横になればすぐにぐっすり眠れるはずが、佑俐の返事が来ないことが引っかかっていたのか、眠りが浅く、夢の中に佑俐が現れた。晧良が呼んでも振り向かずにどんどん歩いていく。走って追いかけるのに距離は全く縮まらず、開いていくばかりだ。
そのうちに見失い、汗だくになって目が覚めた。辺りは明るくなっていて、いつの間にか朝を迎えたようだ。
夢は普通は覚えていないものだが、こんなにもはっきりしているなんて正夢のように感じる。
「朝っぱらから縁起悪いな。俺は迷信は信じないぞ。絶対に信じるもんか!」
悪い予感をねじ伏せてスマホに手を伸ばす。
早朝に佑俐からメッセージが届いていたのを知り、ほっとしてSNSの画面を開いた。
ところが佑俐からメッセージにはL・Aの伯母を訪ねていて、夏休みはこちらで過ごすと書いてある。
「嘘だろ? 何で黙ってロサンジェルスになんかに行ったんだ? 教えてくれたっていいのに」
期待を外されたショックもさることながら、まさかあの時のことが原因で俺から逃げたのではないだろうかと不安が湧く。
突然、スマホの画面に色鮮やかな写真が現れた。
見事に装飾されたトルソーは、多種類のビビッドカラーで彩られているが、絶妙な個所に配色してあるために、喧嘩しそうでバランスを保っている。まさに芸術的だ。
L・Aのブティックのショーウインドウに飾ってあるのを撮って送ってきたのだろうかと一瞬思ったが、拡大してみると、ペイントしてある部分と写真がフィルターでうまく馴染ませてある。
これは何だ? ひょっとしてトルソーの顔も佑俐が描いたのか?
同人誌の表紙絵も上手いとは思ったが、写実的であるが故に、目を見張るような個性は見られなかった。
それが、どうだ。この作品には意思や感情が見受けられる。
作品から目が離せずにいると、文字が出た。
『へへっ。どうこれ? 俺がアレンジしたんだ』
オンタイムで佑俐と繋がっていることにさえ頭から抜けていたことに気が付き、晧良はビデオ通話に切り替えた。
「もしもし、佑俐? 作品見たよ。素晴らしくてずっと見ていたくなる。トルソーの顔も佑俐が描いたんだろ?」
画面に映った佑俐が晧良の言葉を聞いた途端、照れ臭そうに笑う。晧良の心臓がトクンと跳ねた。
届かない場所にいるのに、そんなかわいい表情をみせるなんて惨酷だと思う晧良の胸中も知らず、佑俐は嬉しそうに話を続ける。
『分かってくれたんだ。何か照れるな。俺の伯母さんはメイクアップアーティストなんだ。学校でも教えていて、俺も伯母さんの講義と実技に参加させてもらったんだけれど、夢中になって作ったのがそれなんだ』
「作品に意思やストーリーを感じられて、見る程にイメージが膨らんでいくみたいだ」
『うわ~っ。大袈裟だって』
「俺は自分では絵を描かないけれど、芸術一家に育っているから、自分で言っちゃなんだけど、見る目は確かなつもりだ。佑俐は開眼したんだな」
『うん、まぐれじゃなくて、そうだといいな。俺さ、分かったんだ。自分は一から描写する才能はないけれど、在る物に手を加えてアレンジする力に恵まれているんじゃないかって』
考えながら話していたために、さまよっていた佑俐の瞳が画面の中の晧良に定まり、意を決したように告げた。
『俺の作品はこっちでも評価されたみたいだ。学校の校長から、奨学金を出すからここで学ばないかと言われた。この学校は映画の仕事に携わりながら学べるみたいだから、やってみたいと思うんだ』
「…………」
頭を殴られるようなショックを受け、晧良は声も出ない。急に押し黙った晧良の態度を見て、佑俐は誤解したようだ。
『やっぱり、さっきのはお世辞で言ってくれたんだよな? 調子に乗ってと思うかもしれない。でも、俺は限界を感じていたんだ。このまま芸大を卒業できたとしても、ありふれた画力しかない俺には、大きな仕事なんて回ってこないと思う。先が見えているのに、もしかしたら自分だってって、あり得ない夢にしがみつくのはもう無理なんだ』
「ごめん。佑俐がそこまで追いつめられていたんて知らなかった。察してやれなくて、ごめんな。それと、さっきのはお世辞じゃないから。本気で素晴らしい作品だと思っている」
辛そうだった佑俐の表情が少し和らいだように見えた。
改めて佑俐が無から何かを生み出す芸術家だと知る。吐き出さなくては窒息しそうになるほどの情熱を、その細い身体に宿していて、魂をぶつけ、感性の糸を紡ぎ、形にしないではいられないのだ。
どうして止められる? 心の赴くままに生きたい。世に認められたいと願う佑俐を、その心さえ掴んでいない俺に、どうやってとめられるんだ。
もし、掴んでいたとしても、佑俐の芽吹いた才能を摘むなんてことは、俺にできはしない。
「佑俐がやりたいと望むなら、俺は応援する。俺も自分の道を見つけてみせるから、これからも夢を実現するまで一緒に話そうな」
『晧良、ありがとう。偉そうなこと言いながら、本当は不安なんだ。これからも相談にのってくれ』
もちろんだと言いかけた晧良の言葉を、遮ったのは、佑俐の後ろからやってきて声をかけた外国人だった。
晧良は小さなころから英才教育をされたので、日常会話なら聞き取れる。振り向いた佑俐が、あれっと驚いて英語で返した。
『イーサン。誰かと思ったよ。特殊メイクを落としたんだね。今、日本にいる親友と話していたんだ。晧良って言うんだ。ほら、かっこいいだろ?』
スマホの画面が回転して、イーサンとやらを映し出す。
栗色の髪とハシバミ色の瞳の男性は人懐っこい笑顔を浮かべて挨拶をすると、とんでもないことをのたまった。
『WOw!君かっこいいね。佑俐は外見がきれいで中身が面白くて僕好みだけれど、佑俐は僕のことは好みじゃないみたいなんだ。君はどう? こっちに来ないの?』
「佑俐に手を出したら、速攻でお前を殺しに行くから、覚えとけ!」
イーサンの顔から笑顔が消え、スマホが回転してフリーズしている佑俐を映し出した。
イーサンが小声で、彼はヤクザかと尋ねるのが聞こえて、佑俐が噴き出した。
そんなに無防備に笑っていると、奴に食われるぞと、忠告してやりたい気がしたが、一度ならず二度までもイーサンを悪く言って相手の機嫌を損なえば、晧良に抱くはずの悪感情が、佑俐に向かないとも限らない。帰国したら注意するしかないだろう。
「佑俐はいつまでそっちにいるんだ?」
「二か月ぐらいかな。九月中旬には帰る予定だよ」
「じゃあ、その時に会おう。連絡をくれ」
「分かった。晧良も夏休みを楽しんで」
電話を切った晧良は、朝食を食べるために階下に降りていった。
ダイニングの隣の部屋は母の仕事部屋になっている。開いたままの扉の向こうに、母がパソコンのキーを叩いているのが見えた。
仕事の邪魔をしないように、おはようと一言だけ声をかけて通り過ぎようとしたが、呼び止められた。
「おはよう。晧良。ちょうどいいところにきたわ。今ね、人魚の恋を改稿して長編にしているの。今時の子の考えを聞かせて欲しいのだけれど、人魚姫はどうして王子に気持ちを打ち明けなかったのだと思う? 声を失ったとしても、他に方法は無かったのかしらね」
「さあね。身を引いてまでも、相手の幸せを願ったんだろうけれど、俺ならなんとか伝えようとするだろうな。例え相手が心変わりしていたとしても、言わないまま消えるよりは、相手に自分の記憶を残すことで、生きざまを後悔しなくて済むと思うから」
「何か意味深ね。そんな情熱的に思う相手ができたの?」
「どうかな。言えるのは、人魚は人間の脚を欲しがったけれど、俺は逆に海原を泳いで渡れる魚の下半身が欲しいってことかな」
きょとんとしている母を残し、ダイニングへと向かう。歩きながら晧良は、これからのことを考えていた。
好きだと気持ちをぶつけるだけなら子供でもできる。佑俐に振り向かせるためには、自分の可能性を見つけなければと。
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