第14話 告白 2-2

 新学期が始まるまで、佑俐は晧良と色々な場所へ出かけた。

 二人の共通の趣味である映画はもちろん、佑俐が行きたかった美術展や、プロデューサーを目指す晧良のために、イベントを見に行ったりもする。

 その時はものすごく楽しいのだが、恋人らしい会話を交わすこともなく、友達同士の延長のような付き合いに、佑俐はだんだん物足りなさを感じるようになった。

同性同士で手を繋いだりすることが無理なのは分かっている。

 映画の絶叫シーンで、女の子のように悲鳴を上げて腕にしがみつけたらどんなにいいかと思いながら、ひじ掛けに置いた晧良の腕にそっと手を乗せてみたり、長い脚にこつんと自分の脚をぶつけてみたりして、触れて欲しいと伝えてみる。

 今回の映画は特殊メイクが多く、将来の夢を叶えるためには、真剣に見なければいけないのに、視界の隅に入る晧良が気になってしかたがない。

 ダメだな、俺って……

 少しへこみながら、そっと手を引っ込めると、晧良の手が追ってきて佑俐の手を握った。

「怖いのが苦手なのか?」

 顔を寄せて小声で囁かれ、嘘をつくことに少し罪悪感を覚えながら、期待する気持ちに勝てずにドキドキしながらコクコクと頷く。

「握っててやる」

 神経が繋いだ手に一気に集中する。柔らかさの無い、自分よりも大きな筋張った熱い手の平に包まれて、喜びとも悲しみともつかない気もちが身体中に広がっていく。

このままずっと一緒にいたい。

 もし、晧良が望むならこの間の続きだって……

 ただ、どうやって伝えればいいのか分からずに焦りばかりがつのる。映画が終わった後で、夕食を節約するためにファーストフード店に入り、て注文するときも、気がそぞろで言い間違えたりした。

 トレイをもって二階に上がり、がら空きの店内の奥に移動する。席を区切るパーテーションがあるため、奥の席は入り口辺りの席からは見えず、疚しい気持ちを抱いていた佑俐はほっと安堵の息をついた。

「どうした? あの映画面白くなかったか?」

「いや、特殊メイクがすごかったし、勉強になったよ。つきあってくれてありがとう」

「なら、良かった。何だか話していても上の空みたいな感じだし、疲れているなら、持ち帰ってもいいぞ」

「大丈夫。疲れてないから、ここで食べよう…………あ、あのさ、この間の……」

「ん?この間? ……ああ、これか」

 小さなテーブルを挟んで向かいに座る晧良が、佑俐の襟元からのぞくチェーンに手を伸ばす。触れた指先からさざ波が起こるように、肌に痺れが走った。

「……っ」

「あ、ごめん。引っ掻いたか?」

 晧良がチェーをずらして肌に傷がついていないか確かめようとする。吐息までがかかりそうなほど顔を寄せられて、動揺するあまりトレイに載っていたアイスティーを倒してしまった。

 反射で容器を強く握りすぎたのか、歪んだ容器から蓋が外れてクラッシュアイスと紅茶がテーブルにこぼれ出る。すぐに容器を戻したものの、テーブルから落ちた紅茶が、佑俐のベージュのパンツに落ちて、濃い染みが広がった。

「何やってるんだ。ほら紅茶が垂れないように、ナプキンでテーブルの縁を押さえろ」

 机の端に置いてあったケースから、晧良がナプキンの束を抜き取り、佑俐に渡す。佑俐は晧良に言われた通り慌てて液体をせき止めたが、今度は濡れたパンツが気になり視線を落とした。

 氷が入っていたために、最初はパンツの太腿の辺りが冷たく感じられたのだが、すぐに体温で温められて生ぬるくなり、湿っている部分が気持ち悪い。広がっていく染みの上にふいにハンカチを持った手が置かれた。

 ピクリと脚が跳ねる。晧良がテーブルを回り込んでいたことに気が付かなかった佑俐は、ハンカチを被せた太腿を、晧良の手で揉み込まれるようにして水分を拭き取られた。

 太腿の内側を撫でる親指の感覚が、イーサンイーサンと上まで伝わって反応しそうになり、佑俐はもういいと声をかけた。

 下にしゃがんでいた晧良が顔を上げ、数十センチしか離れていない佑俐と視線を合わせてにやりと笑う。

「このままだと、お漏らししたみたいに見えるぞ」

「ば、ばか! 恥ずかしいこと言うな」

「紅茶は直ぐに洗わないとシミになるって聞いたことがある。俺のコーポが近いから寄っていくか?」

 すぐにうんと頷きそうになって、必死で止めた。わざとこぼしたなんて思われたくはない。

「う、うん。そうする」

 少し間をあけてから、平静を装って答えたつもりの佑俐の頬は赤く染まっていた。


 店を出て三、四十分ほど歩いたころ、二階建ての軽量鉄筋コンクリート造りのコーポが見えてきた。

「晧良の嘘つき! 近いっていうのは普通徒歩十分ぐらいまでの距離を言わないか?」

「その恰好で電車かバスに乗る覚悟があったなら、駅には徒歩十分、バス停なら徒歩五分で俺のコーポまで行けたぞ。やり直すか?」

「ぐっ……お前って、あん時じゃなくてもSスイッチ入るんだな。距離の話とエロい時の共通 点は何だ?」

「言うと佑俐が怯えるからやめておく」

 一階の奥の角部屋のキーを解錠しながら晧良が言った。

 つまり脳内で、あれこれ佑俐をどうにかしてる妄想をしてSスイッチが入ったってことが分かり、佑俐は笑いを誤魔化すためにツンと横を向く。

「言ってるのと同じじゃん」

「怒るなって。自制心を総動員させて佑俐の嫌がることはしないし、望み通り友達でいるよう努力するつもりだから」

「えっ? それは……」

「さぁ、上がって。突き当りがリビングで、左手が洗面所だ。パンツを洗濯機に入れる前に、風呂場で少し洗った方がいいかもしれない」

「うん……ありがとう」

「着替えは洗面所に置いておくから」

 廊下の右手のドアに晧良が入っていくところをみると、多分そこが晧良の寝室なのだろう。佑俐はかみ合わなかった会話の流れを考えながら、左側にある洗面所に入っていった。

 なんで、晧良は自分を抑えようとするんだ?

 イーサンに見せた威嚇といい、さっきのあいつの口調から言って、その気になっていることは確かなのに。友達でいる努力をするってどゆいうことだ?

 今まであった出来事を遡っていくうちに、佑俐は距離を置いた方がいいと言ったことを思い出した。

 発端は、あの同人誌を手にした晧良が、二人にそっくりな挿絵を見ても嫌な顔をするどころか文章まで読み始め、本当にこの部分が感じるのだろうかと興奮した様子で呟いたことにある。

 その時佑俐は、晧良が絵の佑俐ではなく、本物の自分に夢中になる顔を見てみたいという思いに突き動かされ、そそのかすようなことを言ってしまったのだ。

 その結果、あれよあれよという間に晧良の手で翻弄され、佑俐は悶えて恥ずかしい姿を晧良の目の前に晒した。

 晧良のあまりの豹変ぶりに動揺して、佑俐は家を飛び出した。

 問題なのはその後の晧良との電話だ。

『待てって!今日のことは行き過ぎた。謝る。だから機嫌を直してくれ』

 うんと頷きそうになった佑俐は、ぎりぎりのところで踏み止まった。

『晧良は、俺とあんなことになって、普通に友人として話せるのか?』

『……してみせる』

『俺は、少し距離を取った方が、お互いに冷静になれると思うんだけど』

 そういうことかと佑俐は納得した。

 だからさっき、佑俐の嫌がることをしないように自制心を総動員すると言ったのだ。

「晧良が勘違いするのも無理ないな。俺はあいつがどう思っているかだけに目が行って、自分の気持ちを伝えていないんだ」

なら、簡単だ。上手く言えるかどうか分からないけれど、誤解を解けばいい。

気持ちがすっきりした佑俐は、脱いだパンツを持ってバスルームに入っていった。

紅茶の染みはかなり広がっていて、擦ったところで落ちるかどうか疑問だが、佑俐はとりあえず洗面器に湯を溜めた。

「あっ、そうだ洗濯洗剤がいる」

 折りたたみ式のアクリルドアをガチャっと開けると、晧良がスウェットの下を持って洗面所に入ってくるところだった。

 Tシャツ一枚と下着だけの恰好で立つ佑俐を、晧良が驚いたように見つめる。晧良の視線が這うように足元まで下がり、今度はゆっくりと中心まで上がって止まった。

下着に隠されているのに、まるで何もつけていないような心もとなさを感じて、佑俐は思わずドアを半分閉め、上半身だけを覗かせた。

「あのさ、洗濯洗剤ないか?」

「あっ、そうか。ボディーソープじゃ紅茶は落ちないかもな。これを使ってくれ」

 扉の横にある洗濯機の上の棚から、晧良が液体ボトルを取って佑俐に渡す。手を伸ばして受け取ろうとした佑俐は、Tシャツの中に空気が入って身体の熱が逃げたせいか、それともパンツを脱いで脚がスースーしているせいなのか、突発的にくしゃみをした。

「濡れたまま歩いたから、風邪を引いたのかもしれないな。シャワーで温まった方がいい。パンツはそのままにしといていいよ。俺がやるから」

 晧良が扉を閉めて出て行った。

 なんで晧良の視線から逃れるように、扉の陰に隠れてしまったのかと自己嫌悪に陥りながら、佑俐は今度こそ素直に気持ちを伝えようと決心した。

 シャワーを浴びた後、佑俐はバスタオルだけを巻いていくか、晧良のスウェットパンツを穿くか迷ったが、気持ちを伝えるのが先なのでスウェットパンツを借りることにした。

 晧良とは身長が5cmぐらい違うが、裾リブで止めるタイプのスウェットパンツなら、裾に多少たるみがでるものの、佑俐にも穿ける。

 鏡に映った自分の顔は、不安と期待が入り混じり、神妙な顔つきをしていた。

 突き当りのドアを開けて入ると、ダイニングとリビングが一緒になっていて、隣にもう一部屋あるのが分かる。

 佑俐が住んでいるのは、築年数は数年と新しい方だが、ワンルームのため持ち物の隙間に暮らしているという感じだ。

「広いな。一人なのにどうしてここを選んだんだ?」

「プロデューサーとか企画なんかやろうと思うと、みんなとのディスカッションする場所がいるんだ。父を見て知っているから、大学の時間だけで収まらないときに開放しようと思って選んだんだ。かなり古いから家賃は安いよ」

「そっか。晧良は大学入る前から自分の目指す道や、その準備なんかを考えていたんだな。すごいな。俺なんかと全然違う」

「何言ってるんだ。佑俐はL・Aでやりたいことを見つけたんだろ? 俺は才能豊かな佑俐の方がすごいと思うぞ。それで、両親と話はついたのか?」 

「うん。日本についた次の日に、実家に帰って話してきた。反対されるかと思ったけれど、伯母があちらにいることが決めてになったみたいで、あっさりと許可されて拍子抜けした」

「そっか……良かったな」

 言葉とは裏腹に、目を伏せた晧良の顔は寂し気に見える。それも一瞬で笑顔を浮かべ、晧良が聞いた。

「いつから行くんだ? もう十月になるけれど、アメリカの新学期は九月からだろ? 留学ビザとか取ってから行くともっと遅れるんじゃないか? 」

「あのさ、そのことで迷ってるんだ。スクールから、来年の一月にプロ養成コースを設けるから、F1―ビザの取得や渡航の用意をするようにと連絡がきたんだ。でも、俺は来年の九月からのクラスでもいいと思ってる」

 晧良が怪訝な顔で佑俐を見つめた。

「どうして留学を一年も先に延ばすんだ?

一月のは晧良を迎え入れるために、学校が新たに作ったプログラムなんだろ? それを蹴ったら、やる気を問われて待遇が悪くなるんじゃないか?」

「そうかもしれない。でも、絶対に盛り返すつもりだし、そうなったら、日本に戻るのはずっと先になる。今は少しでも長く、晧良と一緒に過ごす時間が欲しい。俺は、晧良が好きなんだ」

 晧良は衝撃を受けたようで、口を開いたまま言葉を失っている。

 それもほんの数秒で、眉根を寄せて険しい表情になった。

「な、何言って……お前は俺とは友人でいたいんじゃなかったのか? 何でこのタイミングでそんなことを言うんだ。俺がどれだけ自分を抑えてきたか分かっているか?」

「晧良が思っていてくれたなんて知らなかったんだ。晧良がイーサンと話したときに、ひょっとしたら俺を好きなんじゃないかって分かって嬉しかった。恋人として過ごす時間が欲しいんだ」

 佑俐は、思いのありったけを込めて晧良を見つめた。両想いになれるという期待に胸を膨らませながら。

 きっと晧良は喜んで抱きしめてくれるのではないかと思うとワクワクする。だが、一瞬の間を置いて返ってきた言葉は、予想外のものだった。

「誰が好きだと言った?」

「えっ?」

 佑俐は自分の耳を疑った。好きだから独占欲を見せたり、ペンダントを買ってくれたり、デートをしたんじゃなかったのか?

 一体どうやったら勘違いになるんだ?

「だって、今だって、晧良は自分を抑えてたって言ったじゃないか」

「自分の欲望をな。いくら友達だと口で言っても、佑俐は俺に達かされたじゃないか。あのときのエロい姿が忘れられなくて、もう一度やれないかって狙ってたんだ」

「う、嘘だろ? 冗談だよな?」

「証明しようか? 好きだとか体裁を整えて、本当は佑俐も続きをしたかったんだろ? 来いよ。抱いてやる」

 晧良が佑俐の腕を掴んで、ソファーに引きずり倒す。佑俐は晧良の言葉に切り付けられて心が痛み、息もできないくらいだった。

 半ば放心状態の佑俐のTシャツを捲り上げ、晧良が顔を寄せる。色づいた箇所をついばまれ、佑俐は我に返った。

「や、やめてくれ。こんなの嫌だ」

「何を今さら、誤魔化すんだ。佑俐は俺の好みだ。俺も佑俐を抱きたい。佑俐がアメリカに渡るまでお互いに楽しもう」

 熱い舌がぬるりと這う。じゅるっと唾液を啜る音に遅れ、何かを啜る音が小さく聞こえたが、晧良は顔もあげず、丹念に佑俐の胸を舐っている。佑俐の目に涙が溢れた。

「好きだったんだ。晧良が好きだったのに、こんなひどいことをするなんて。止めてよ。もう嫌だ。お前なんか大嫌いだ」

 佑俐が泣きながら晧良の頭を押す。抵抗するかと思ったが、晧良はすぐに立ちあがり背中を向けた。

「もっとノリがいい奴かと思ったのに、興覚めだ。さっさと帰ってくれ」

 佑俐はクッションを手に取り、廊下へと歩いていく晧良の背中に投げつけてやった。

 当たった途端にピクリと揺れた身体は振り向きもせず、ガキかよと投げ捨てるように言って、自分の部屋に消えていく。

 あんなに好きだった晧良の声が、背中が、長い脚が、今は全て憎らしく映った。


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