第18話 小さくて大きな一歩

 はじめて学校にいく朝。

 今日、この瞬間に世界がしゅるって、ろうそくの炎が消えるみたいに音もなく消えてしまえばいいのにって思いながら車に乗り込んだ。

 そしたら誰も私を責めないのに。

 学校なんて行かないのが普通になるのに。

 それくらいイヤで、怖くて仕方がなかった。

 今からでも遅くない、無理でしたと泣きついて、いつもの部屋に帰ろう。

 コケッコたちが待ってるいつもの庭に戻るんだ。

 そう思ったけど……制服のサイズも変えてもらったし、一度も着ないのはダメだし……まず寺田くんの所にいって「やっぱり無理でした」って言おう。泣きながら車に乗り込んだ。

 学校に来たら、寺田くんは私の目の前にコケッコの絵をひらひらさせてくれた。

 家にしかいないと思ってたコケッコが、目の前にいた。

 私が一番居たいと思っている場所。でも出たいと思っている場所を知っていて、連れだしてくれる人。

 そんな人が一緒にいるんだと、心の奥にあった漬物石みたいに座り込んでいたおおきな、平べったい石が、ごろんと転がった。

 すごく素直に、そんな人に私のことをもっと知ってほしい、と思った。

 寺田くんは私がコケッコを好きだと知ってたから、描いてくれたんだ。

 私が動いて、それを見て、寺田くんがどう思うのか、どうやって動いてくれるのか、見たいと思った。

 寺田くんと私の好きが掌で重なっていた。

 すごくうれしくて押された背中そのままに歩き始めた。

 あの日から一週間経った。

 私は毎朝普通にやってくる朝を滅ぼしたくて仕方ないけれど……寺田くんを見ると安心して……学校へ通えている。

 



「(……うん。わかる、ちゃんと、大丈夫)」


 私は学校用iPadに配信された小テストを解きながら心のなかで思った。

 最近のテストはすべて学校用iPadに配信されて、それを解くのだと知って驚いた。

 期末試験も、全部そうなのだと寺田くんから聞かされた。

 お休みの間に全部習ったから……ちゃんと使えそう。

 テストに答えながら横眼でちらりと寺田くんを盗み見る。

 寺田くんがいてくれて、本当に良かった。

 授業内容も、最初は初芽に聞いたんだけど「わかんない。40万に聞いて?」と言われてしまった。

 寺田くんのことを40万と呼ぶのはやめてほしいと言ったんだけど、初芽はやめない。 

 そういうところ、良くないと思う。でも初芽は寺田くんに珍しく心を許してると思う。

 初芽はあまり人と長く話さない。「話が下手な男はだいたいバカ。話を組み立てられない男が仕事組み立てられるはずがない」っていつも言っている。

 寺田くんは、心を持って言葉を紡いでくれるのが分かる。だから初芽も心を許してるんだと思う。

 小テストが終わり、データ転送ボタンを押す。これがほんの数分で一斉採点されるなんて、すごい。

 結果を待っていると、先生が壇上で叫んだ。


「お、満点が出たぞ。え? 如月初芽?! ええええ?!?!」


 クラス中の視線が一気に私に集まったのが分かった。

 満点、うれしい。テストを受けたのは初めてだったから心配だったけど、答え方が間違ってなくて良かった。

 国語は昔から得意だった。本を読むのも、漢字を書くのも、ぜんぶ。

 両親が呼んでくれた家庭教師も古文や現代文が得意で、いろんな事を学ばせてくれた。

 お母さんが演じた脚本は全部読んだし、それに関連する歴史書も読み漁った。

 違う世界に逃げ込んでいたからだけど……。

 目の前の席のクラスメイトがガタンと椅子ごと寄ってきた。


「ちょっと初芽、どーなってんの?! 隠れて勉強したの?!」

 私は静かに首を振る。今度は横の席の子が近づいてきて、

「カンニング……って、隣の私は10点だわ、がはははは」

 と笑った。

 テストも学校も楽しくて何も考えてなかったけど……点数を取りすぎたのかも知れない。よく考えたら初芽は全く勉強してなくて、ここも特待生で何とか入ったと聞いていた。

 ……一気に怖くなってきた。

 寺田くんのいうとおり、差をみつけて、それが自分、それを楽しみ始めていたけど……これでは私が初芽じゃないとバレしまう。

 震え始めた私の視界で、カタン……と寺田くんが席を立ったのが分かった。


「病院で俺が教えたんだ。マネージャーだからさ。いや、如月に『ヤマを教えろ』と言われたって感じかな。俺が二位なんて悔しいよ」

「やっぱりそうかああ~~~」


 とクラス中がブーイングを始めた。

 寺田くんは「俺に教えてほしいやつ、ほらそこに並べ。時給高いよ?」と手を叩き、クラスメイトたちは「オネシャス!!」と叫んで遊んでいる。

 分かってる……私が好き勝手してるぶん、寺田くんが道化になっていることを。

 私はまだマスクをしているので、こっそりと唇を噛んだ。本当は指を思いっきり噛みたい。

 クラスメイトたちは追及を止めない。


「ずっと変だと思ってたんだよねー! 突然マネージャーなんてさ。やっぱりふたり付き合ってる?!」

「初芽、最近すっごく真面目なんだけど。やっぱりこれ、寺田マネージャーに色々面倒見てもらっちゃってるから?!」

「あれも、これも、教えてもらっちゃってる?」

「ひゅーひゅー!」

「寺田って、もっとクールな男だと思ってたけど、所詮は如月初芽の犬か~~」

 

 如月初芽の犬。

 いろんなグチャグチャとした言葉という名の憎悪の中にポツンとナイフが落ちてきた。

 その言葉は、私のなかの何かを切った。


 寺田くんは、そんなんじゃない。

 寺田くんのことを、そんな風に言うのは、すごくいやだ。私が勝手にしてるだけ。

 全然ちがう。伝えたい、ちゃんと。

 初芽なら、ちゃんという。

 私も初芽みたいに、伝えたい。


 自分の言葉で気持ちを伝えたい。

 

 私はマスクを取って席から立ち上がった。

 大騒ぎしていた教室が一瞬で静かになった。

 視線を身体中で吸い込んで、呼吸。

 仕事してる時もそうだけど、みんなの視線が自分に集まったとき、自分の呼吸音がよく聞こえる。

 大きく吐き出して寺田くんを「犬」と言った人を見た。

 

「寺田くんに酷いことを言わないでくださいっ……。私は変わりたいんです。寺田くんは家族をすごく大切にしてて、一緒にいると見習う点が多いんです。それが何か変なことでしょうか」


 言い切ると、ぴゅうううう!! と口笛が鳴り響いた。

 私はマスクを戻して椅子に戻った。先生が「やれやれ……まあ勉強してくれるならそれでいいや」と授業を終わらせて帰っていった。

 寺田くんの背中をたたく男子や、私の前で笑ってる女子たちがいるけど……私はマスクの中で小さく息を吐いて、吸って……深呼吸を続けた。

 心臓が痛い。息が苦しい。

 でも違うなら言わないと辛いって、私は知っているの。




「ちょっとまって、如月さん。すごかったんだけど」

「……ものすごく、緊張しました」


 お昼休み、お弁当をもって生徒会室に逃げ込んだ私に向かって、寺田くんは叫んだ。

 そして少しきれいになったソファーに座って、


「いや、びっくりしたよ。あいつクラスでもイヤなことばっかり言うやつでさ、ひやひやしてたんだけど。すごかった、よく言ったね」

「……初芽みたいに、強くなりたい、と、そう強く思って」


 思い出して、まだ小さく震えてしまう。

 私の背中にゆっくりと寺田くんの掌が置かれた。それはあの朝のように。


「うん、そうか。まだそんなことしなくていいよ、俺が笑われたら済むことだし……と言いたいところだけど、褒めてもらえて嬉しかったな、ありがとう」

「!! ……いえ、そんなの、当たり前のことを、言っただけで……」

「いやいや、すごいよ。思ったことをちゃんと言えるなんて、本当にすごい。偉かったね」

「初芽みたいに……強くなりたくて……」


 私は思い出すように小さく、何度も言った。

 そう強く思ったのは、あの夜に。

 寺田くんが初芽にマックを買った夜。


 ふたりはずっと仕事場の話をしていた。これからどうしたらいいのか、どうしていこうか。どういう仕事をしていったら良いか、どうしたら改善できるか、仕事を、内容を、如月初芽という女優の未来を。

 それは私の仕事の話なのに、私はずっと蚊帳の外だった。

 ふたりの話に、テンポについていけない。


 初芽はどうやら細かく指示を書いたメモを寺田くんに渡していたみたいで、それを見せてもらったら人の特徴を短く、正確に書いていた。やっぱり初芽はすごい。

 

 なにより……寺田くんと親しく、同じ視点で話ができてて、すごいと思った。

 ううん、素直に言うと、ものすごく羨ましかった。

 同じ視点、同じ強さ、ふたりは戦友みたいに見えた。


 私は、ただのふたりのお荷物だ。

 5キロも10キロも離れたところから、ぽつんとふたりをみている、存在も認識されていない何か。


 私も初芽みたいになりたい。

 だから自分なりに頑張ってみたけど……正直今も心臓が痛い。

 全然、向いてない。やっぱり私はダメだと思えてしまう。

 その視界にヒョイと寺田くんが入ってきた。


「初芽さんなら『何が犬だこのヤロー!』って机蹴とばしそうだ。和歌乃さんが、俺のことを考えて言ってくれた言葉だって分かったから、嬉しかったんだ」

「……はい」


 出した勇気が認められて、嬉しくて泣けてきてしまう。寺田くんは私の背中を優しくなでて続ける。


「いや……でもやっぱりああやって注目されてしっかり立ってると如月初芽ネオって感じだった」

「如月初芽ネオ……?」

「うーん、よく分からないな。とにかくよく頑張ったね。俺も嬉しかったし、すっきりした」


 そういって寺田くんは楽しそうに手を叩いた。その数分後……私と寺田くんのスマホが鳴った。ふたりでスマホを取り出さずに目を合わせる。


「……如月初芽からのLINEだな」

「そうですね」

「たぶん怒ってるな」

「そうですね」

「あ、これも聞かれてるな」

「……そうですね」


 私がそう言うと横で寺田くんがLINEを見て「たはは、やっぱり怒ってる。舐められてんじゃねーぞって」と楽しそうに返信している。

 初芽だったらそうね、確かに机を蹴とばしたかも知れない。

 想像すると笑えてしまう。

 私はそんなこと、一生出来ない。


 でも、寺田くんをバカにされるのはイヤなの。

 寺田くんがいてくれるから、私はここに居られるから。

 私も、もっとお話したい。

 もっと私を知ってほしいし、一緒がいいの。

 今はまだぜんぜん遠いけど、いつか横に立ちたい。そんな私になりたい。

 

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