第6話 如月初芽からの誘い

「(おはよ)」

「(おう。昨日帰ってくるの遅くなってごめん。うるさくなかったか?)」

「(平気)」


 朝六時半。起きた俺と妹の菫は小声で話す。

 なぜ小さな声で話しているかと言うと、薄い壁一枚隔てた隣の和室で、父さんと母さんが話しているからだ。

 家が古すぎて色んな所に穴が開いているのか、どこで話していても声が聞こえてくる。 

 父さんの静かな声が聞こえてくる。


「菫の塾を、冬真が行かせると言っている」

「そう」


 その言葉にまだ布団に丸まっていた菫が俺のほうを見る。

 表情は「(また無茶して~~)」という顔だが、嬉しそうだ。

 惣菜屋の店長が来月から時給を上げてくれることになった。時間リーダーになるからで管理業務が足されるけど、それは今もしてきたことで、むしろ正当な評価をしてくれた……という状態だ。

 菫には近所の高校じゃなくて、もうワンランク上の所に行ってほしい。

 現時点で十分に狙えるけど、その学校は小論文の加点が大きくて、そのためには専門の塾に行った方が良いと担任に聞いた。

 父さんと母さんは、朝の陽ざしのように静かに、優しく話し合っている。

 俺と菫はその声を目覚ましに、今日の準備を進めた。

 父さんが和室を出る音がして、俺と菫も子ども部屋から出た。

 父さんが俺に気が付いて、机を指さす。


「アイロン、かけておいたぞ」

「ありがとう、父さん」


 父さんは目を静かに伏せて頷き、裏口から出て行った。

 机の上には俺のワイシャツ、そして菫の制服、美琴の給食エプロンがキッチリと畳んで置かれていた。

 俺には到底できないプロの仕事だ。

 俺の学校のワイシャツは父さんがいつもキッチリとアイロンをかけてくれるので、学校で一番美しいと思う。

 先生にも何人か「すごくきれいね!」と褒められた。毎朝これを着られることが嬉しい。

 菫の上はシャツなのだが、それも父さんがきれいにアイロンを掛けてくれる。

 菫も嬉しそうにそれを抱えて、子ども部屋に向かった。


 父さんは朝五時半に起きて家族分の味噌汁を作り、ご飯を炊いてくれる。

 そして家族の服にアイロンをかけて仕事場に向かう。

 俺が見ているかぎり、毎日しっかりと、丁寧に守られた日々だ。時間もほぼズレない。

 そして仕事場に行く前にいつもアイロンをかける場所は、母さんが眠っている和室だ。

 父さんはいつも母さんと小さな声で話ながら、アイロンをかけている。

 菫の進路、美琴の笑い話、母さんの体調と今後の方針、そして俺の学校の話。

 静かに、静かに。俺と菫はそれを横の部屋でこっそり聞くのが好きだ。

 俺は皿を洗いながら家を出ていく美琴に声をかける。


「今日は歯医者だから、遊びにいく約束するなよ!」

「何時から?」

「四時半から!」

「じゃあ四時十五分まで遊んでくる」

「遊んでる時に時計なんて見ないだろ、五時のくそデカチャイムでなんとか帰ってきてるのに、どーーして四時十五分に帰ってこられるんだ?! 駄目だからな」

「ふーん……?」

「なんだその不満げな顔は!」


 美琴は「ふ~ん? ふにゅ~ん?」とふざけた声を出しながらランドセルもちゃんと閉めず、カッチャンカッチャン言わせながら家を出て行った。

 歯医者の予約は基本的に一か月前にしてるので、行くのを忘れると二か月先になる。

 美琴は公園で遊ぶ時にいつも甘いものを食べていて、すさまじい頻度で虫歯になっている。

 ハイチュウ、美琴の歯を守るために、すまないが滅びてくれ!!

 そして自転車を漕いで学校に到着した。今日はいつもより三十分早く来た。

 なぜなら日直だからだ。

 月に一度回ってくる日直は、基本的な仕事は黒板消しくらいだけど、学級日誌を書き込む作業がある。

 時間割と授業内容、そして何があったか……わりとちゃんと書くことを求められていて、最後の一日報告は英語で書く必要がある。

 最低でも三十分以上かかる作業なんだけど、これを学校が終わったあとにするのは俺的に痛すぎる。

 一秒でも早く帰って家事を済ませたいからだ。

 だから日直の日は早めにきて、もうこの学級日誌を書いてしまう!


「今日は……総合、数Ⅰ、世界史B……」

 

 突然新しいことを始めるわけではないので、内容は大体予想がつく。

 今日あったことを英語で……あー、朝来たら教室の空気が淀んでた、換気大切……みたいなのを適当に書けばいいや!


「おはよう、寺田くん!」

「お、おう。如月。早いんだな」

「今日寺田くん日直だったなあと思って、話したくてきたの」


 ガリガリと日誌を書いていたら、如月が教室に入ってきた。

 今日は長い髪の毛をくるくると高い場所でまとめている。うちの制服は大きなリボンが特徴的なんだけど、生徒会役員は先輩たちから引き継いだ古いものを使っていて、それが少しカッコ良い。

 如月は四年前に卒業した先輩が使っていた旧式のリボンに触れながら俺の前の席に座ってトン……と日誌を叩いた。

 昨日会った時の指先のケガが気になってみると、左手の親指にバンドエイドをしていた。

 如月はにっこりと笑顔を作って口を開いた。


「これ、ありがとうね。それにお茶も。夜は疲れててああしてゆっくりできると、嬉しい」

「そっか。今日は来るのか? イチゴ大福とプリン、取っておくよ」

「それねー。最近また太っちゃって。プリンだけ食べたい」

「オッケー! じゃあ取っておくよ。何時くらいに来る?」

「その前に確認したいんだけど、寺田くんって毎日バイトに入ってるの?」

「平日は月曜から金曜日まで毎日入ってる。時間は18時から22時まで」


 実は先日如月にぶつかってから、店長が焦って時給を更にあげて深夜の人を補充していくれた。

 個人的には美味しかったけど、危なかったので良かった。


「休憩時間とか無いの?」

「土曜日とかは朝からずっと入るから昼に休むけど、平日はたった4時間だからな」

「平気。じゃあ今日22時に、裏で」

「オッケー!」


 俺が顔をあげると、目の前に席に座った如月は「いくよ~ん」とウインクしてピースした。

 夜の如月とは違う元気ぶりに心がついていかないが、低血圧? とかなのかな?

 菫も夜はひっつめ髪でフラフラとコーラ買いに行ったりするから、女子という生き物はそういうものなのか?

 こんど怒られるの覚悟で菫に聞いてみよう。

 如月は机に顎をついた状態で、スマホをいじりながら口を開く。


「ねえ寺田くんって、書道部だよね、幽霊の」

「ああ。そうだな」

「就職の加点、部活幽霊だとすんごく引かれるって知ってる?」

「ええ?! そうなのか」


 西宮学園の学費は高い。そんな学園に学費無料で通えているのには理由がある。

 特進コースに学費無料で通っている俺は、卒業と共に西宮関連企業に就職することが義務付けられているのだ。

 西宮関連企業以外に就職した場合、全額学費を返還する必要がある。

 人材の事前確保の一環で、就職先を限定されるのがいやなのか、この制度を利用して入学してくる生徒は少ない。

 特進コースの6割はスポーツ関連、3割は西宮芸能所属、残り1割が学費無料目当て……といった感じだ。

 西宮財閥は多種多様な企業があり、個人的には学費も無料になって、就職先も決まっているなんて、ラッキー! という感覚だが、就職先はなるべく選びたい。ここの高校出身者は最初から地方や海外に飛ばされることも多いらしく、家族を近くで見守りたい俺としては就職の加点は重要だ。

 加点が多い人から、国内企業に就職できる……と聞いているからだ。

 加点はほしいけど……俺はため息をついた。


「でも俺、それはマジで無理なんだよなあ」


 部活は本当に時間を喰われる。俊太郎は週に3回朝6時から部活してるし、週末も全部試合だと言っていた。

 そんなの絶対無理だ。

 生活を考えると部活に時間を割くより密度で時間をこえられる勉強で加点を狙うしかない。

 だから時間を見つけて勉強して学年トップ10をキープしているが、最近はかなり危ない。

 如月は自分のリボンをピンと引っ張って顔をあげた。


「ねえ、寺田くん、私と一緒の生徒会しよう。補助員でいいから」

「えええ?! 俺そんなの絶対無理だよ!」


 うちの学園の生徒会は、小学校中学校高校と縦割りの生徒会で、規模がデカい。

 衆議院と参議院のようなものというか、ディベート関係? にあるという保存会と生徒会は、片方が運動会を「球技縛り」したら「マラソン縛り」にするために意見をだして戦いあうのが西宮式だ。

 意見を出して戦うはずが、子どもの喧嘩のようなことをしてる……という印象で、個人的には関わりたくないのが本音だ。

 如月は椅子から立ち上がり、横に机に座って足を組んだ。


「私が生徒会してるのは、加点のためなのよ」

「そうなのか、したくてしてるんだと思ってた」

「こっちだって暇じゃないのよ。保存会はバカの巣窟だし、めんどくさくて死にそう。でも生徒会しておくと勉強も態度も悪くても、部活してなくても、大学は推薦一発で行けるわ」

「マジか」

「二年前の書記だった安藤先輩は、勉強適当、部活幽霊、女喰いまくりのアホやろうだったけど書記の仕事バリバリやって、西宮貿易に入ったわよ」

「マジか!!」


 西宮貿易はこの高校から行ける最も良い就職先だ。

 語学が必要なので夜間の西宮大学にも通わせてもらえるし、待遇も最高。正直俺が狙っているのはその枠だ。


「私なんて昼から収録も多いし、勉強はだいっきらい。知ってるでしょ? 私テストで20点以上取ったことない。でも生徒会してるから許されてる感じ? 私生活忙しいなら生徒会に入るべきなのよ。そのほうが結果楽なの。どうかな、私の補助。ちなみに中休みと昼休みがメイン業務の時間よ。だって私が帰りたいんだもん、夕方は週に一度くらいかな」

「……ありかもしれん」

「とりあえず今日の昼休み、付き合ってよ」

「わかった、行くよ」

「よっしゃ、決まり~!」


 そう言って如月は手を叩いた。

 気が付くともう三十分は余裕で過ぎていて、何人かが教室に入り始めていた。

 やっべ、じゃあ日誌は中休みに終わらせるか。俺は日誌を閉じた。

 生徒会なんて全く考えてなかったけど西宮貿易入れるなら別だ。

 あそこは給料と待遇がすごく良いし、頭五年は日本で研修と語学勉強だ。

 なるべく日本で家族と居たい。


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