第12話 学校へ

「にぃに。最初の日だからって、すごく変。髪の毛がパリパリすぎると思うの」

「……変か?」

「のりでくっつけたみたい。のりがあふれだして全部くっついている美琴のお道具箱の中みたい」

「はっ?! ちょっとまてよ、美琴、お前道具箱の中見せろ!」

「美琴のお道具箱の中みたいなの、その髪の毛はお道具箱の中なの」


 そう言って美琴はランドセルを背負って家から出て行った。

 ちょっと待てよ。美琴、春休みにお道具箱持って帰ってきたか? 俺は中を見た覚えがないぞ?

 足りないものの補充をしたのがいつなのか覚えてない。


「それ、そんなにつけるもんじゃない」


 考え込んでいた俺の横に菫が座り、靴を履いた。ええ……そんなに変かな?

 寝ぐせが酷かったからつけただけなんだけど。菫は立ち上がって俺を見て、


「初日でしょ。がんばって」


 と言って家から出て行った。


 結局俺は如月の父親が経営している如月映宝如月えいほうプロダクションにマネージャーとして雇われるという話を家族にした。

 みんな「なんだそれは?」「怪しすぎる」「40万ももらえるなんて変だろう」と心配していたが、道尾さんが説明にきてくれてから黙った。

 如月映宝は西宮芸能の関連企業であり、いうなればインターン制度に近い(実際に高三になったら就職組は四月から希望企業に研修に行く)。

 むしろ学業優先で仕事ができるようになり、夜も22時までという就業時間を徹底しているが遅くなることは稀だと言う。

 そして挨拶に来た如月初芽(本人)は「悪役令嬢大作戦よ」と、高そうな紅茶と椅子と机を持ち込み、自作だというドレスでどや顔登場、髪の毛はくるんくるんに巻かれていて「昭和のロケが出来そうな家ねえ」と悪口を吐きまくって去って行った。

 母さんと菫は予定通りのドン引き。

 なぜか美琴は「髪の毛すっごぉ~い、ドレス素敵ー!」となついていた。ある意味心配だ。

 父さんは否定も肯定もしなかった。

 いつも言ってるんだ。「人を、よく知らない時期に判断しない」。

 そして静かに「落ち着いたら、また遊びに来なさい」と言ってくれた。

 父さんはいつも冷静でカッコイイ。

 作戦はばっちりハマって「大変な仕事だけど頑張ってね……」という家族からの理解? を得ることになった。



 そして今日から、和歌乃さんが学校に来るのだ。

 如月初芽はいつも学校の下の駐車場まで車で来ていたが(今考えると運転手は道尾さんだった)少し離れた場所で車から降りて、俺と登校したい……と言われた。

 普通だったら「同級生と一緒に登校?!」と緊張してしまうけど、今日からこれはもう「仕事」だ。

 なにより外は如月初芽だが、中は和歌乃さんという別人が登校する初日。

 別の意味の緊張で髪の毛がカリカリになってしまったが、きっと本人のほうが緊張してる。

 助けられたら良いなと思うんだ。



 自転車で第二駐車場のほうに向かう。

 待っていると見慣れてきた黒い車がきた。運転しているのは道尾さんだ。

 止まると後部座席が開き、そこから如月初芽にそっくりな……でも和歌乃さんが降りてきた。

 西宮学園の制服を着て、如月初芽がしていた大きなリボンをしている。

 その表情は石のように硬くて、もう左手の親指を口に入れていた。

 運転席から道尾さんが心配そうに見ているが、自分で車から降りてきたのだ。たぶん一番きついのは今日。

 新しい学校に行くときは入学式から一週間が一番緊張する。

 俺が道尾さんに挨拶すると、道尾さんも運転席で会釈して……車を動かして去って行った。

 逃げる場所を失った和歌乃さんは、指を噛んだまま動かない。身体は小さく震えていて目は潤んでいる。

 静かに近づくと、身体をさらに小さくした。このまま消えてしまいたい、そう言っているように見える。

 俺はポケットからマスクを取り出して渡した。


「おはよう。今日は14日ぶりの登校で発熱からの喉頭炎こうとうえんになった設定だから、マスクしようか」

「……はい」

「一週間熱で入院して、そのままずっと体調がすぐれない。今も声が出ない設定にしたんだから、一週間くらい話さなくても変に思われないよ」

 

 これは如月初芽が考えたアイデアだった。

 実は一年生の時に喉頭炎になり、10日間学校を休んだらしい。

 俺は同じクラスだったけど、全く関わりがなくて気が付いてなかった。「喉が死ぬほど弱いのよ。あの時も一週間以上声が出なかったの。だからこれが一番疑われないわ」その間に学校に慣れなさい……と。

 和歌乃さんはマスクをしたが、表情はさえない。

 俺は目をのぞき込んで静かに続ける。


「まずは居るだけでいいよ。ここに来ただけで偉い」


 その言葉に和歌乃さんはほんの少し、数センチ、コクンとうなづいた。

 これは菫が不登校になった時に俺がしていたことだ。

 本人の意思で何かひとつでも出来たら、なるべくそれを認めるようにしていた。

 過剰に褒めると「気を使われてる」と更に気に病む状態にあった菫には、本当に手を焼いた。

 家を出るのに三か月、学校近くに行くのに半年以上かけた。

 風邪をひくと、鼻水が出たり熱が出たりして、わかりやすいけど、心のけがは目に見えない。

 和歌乃さんは自分の意思でここまできたんだ。

 本当にそれだけで偉い。

 俺は目の前にいる和歌乃さんの背中にそっと手を置いた。

 すると、ゆっくりと歩き始めた。


 学校に向かう道を歩き始めると俊太郎が居た。

 俺たちを見つけて手を振って近づいてくる。


「ういー-す、おはよう。さっそくご一緒で!」

「うるせえよ」


 実は昨日、先生が「じゃあ明日から如月は学校に来るんだな。マネージャーの寺田くん?」と言ったことで、話が駆け抜けた。

 これも「最初は冬真くんが道化になって和歌乃を守りなさい。同級生のマネージャーなんて話題沸騰よ。前日に伝えるから」と言っていた。

 すべては如月初芽の掌の上。みんなコロコロと転がされてるだけだ。

 まあ俺も転がされていたんだけど。

 俊太郎は和歌乃さんに向かって頭を下げた。


「あっ、如月さんおはようございます!」


 はじめて話しかけられて、和歌乃さんはビクンとした。

 和歌乃さんはこの一週間、今まで如月初芽が録音してきた音声と、クラスメイトの顔、そして「どう呼んでいたか」と徹底的に頭に入れていた。

 俺は学校でなんとなくクラスメイトたちと動画を撮り、顔と名前を一致させる手伝いをした。

 俊太郎の顔を名前は完全に一致しているはずだ。

 そして真っ先に会うのも、たぶん俊太郎だという話もしていた。

 でも……和歌乃さんの目は左右に泳いで左手の親指を口に運んで噛んだ。そして俺の後ろに沈むように隠れていく。

 瞳が大きく震えているのが分かる。立っているだけで伝わってくる恐怖感に、俺も唇をかんだ。

 和歌乃さんは、俺の後ろの服をクッ……と引っ張った。

 その指先には爪が欠けていることを、血がにじんでいることを、俺は知っている。

 それでも最近は、噛まないように頑張っていたのも知っている。

 バンドエイドを自分で張って、噛まないように練習していた。

 そして先日、噛んだら苦いというマニキュアを発見して、今日は塗ってきているはずだ。

 さきから、噛めば噛むほど苦いはず。

 俺は自分の手を後ろに回して、大きく広げて見せた。


 実はそこに掌の中心にマジックで鶏……コケッコのイラストを描いてみた。


 コケッコを抱っこしていた笑顔が忘れられなくて、思い出してほしくて、丸い線を書いて鶏冠とクチバシだけ描いた簡単なものだけど。

 手を洗う前、朝だけは消えない、秘密の暗号だ。

 後ろの制服を握っていた手が、ゆっくりとゆるんだ。

 そして俺の横に出てきて小さな声で、


「おはよう、俊太郎くん」


 と答えた。

 その表情は、全然如月初芽ではなく、鶏を抱えて少しだけ微笑んだ和歌乃さんだった。

 俊太郎がうろたえる。


「お、おお?! おっと、おはよう、ございます? おっと、あれれ? あ、そうか喉がやばいんだっけ」


 その言葉に和歌乃さんはコクンとうなずいた。

 対応できてる。俺は静かに後ろをついて歩いた。

 本人が頑張ってるときは、口出ししない、鉄則だ。

 和歌乃さんは喉に手を置いて、


「声が……」

「あー-っと、いいよいいよ、無理しなくて。今年の風邪やべーもんな。飴ちゃん食べる? 飴。あ、如月さんは食べないだった」

「……いえ、頂きます」

「マジで?! ちょっとまってね。あったあった。はい、どうぞ」


 そう言って俊太郎はポケットから個別包装になっている飴を出した。

 俊太郎は小学校まで大阪にいた経験上、ポケットに無限の飴を入れている。

 会う人会う人にそれを渡して、話のとっかかりにしていたが、如月初芽には四月頭に渡して無視されていた。

 でも和歌乃さんは手を広げた。

 俊太郎はそこにポイと飴を置いた。


「俺のお気に入りのイチゴ飴」

「……のど飴じゃねーじゃん」

 

 頑張ってやり取りしてるんだから黙ってようかと思ったけど、思わず口を開いた。

 どこがのど飴なんだ。

 俺の横で和歌乃さんがそれを見つめて、口を開いた。


「……大切にします」


 それを聞いて俊太郎が笑う。


「大切にしてたら溶けますぜ? 俺ポケットに入れたまま何度溶かしたことか」

「はい……」


 そう言って和歌乃さんは包みを開いてマスクを取って、口に運んだ。

 そして小さな声で「ありがとうございます……」と言った。

 俊太郎はあまりにいつもと違う如月に「?」顔だったが、俺にも飴を投げつけて歩き始めた。


「遅刻するぜ!」

「おう」


 俺たちは三人で歩き始めた。

 口に運んだ飴は一回溶けてるんじゃないか? 変なカタチしてる気がしたけど、まあいっか。

 これは和歌乃さんが踏み出したものすごく小さくて偉大な一歩。

 

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